第63話 シュレストの未練

第63話 シュレストの未練

 事務所の方に行った途端、黎が心配した通りのことになった。
 俺も覚悟しておいて良かったと言うべきか。

「――――答えて。あの女は……どこに行ったの……?」
「ぐ……」

 顔を見せた瞬間に、イリスに襲われてしまった。
 胸倉を掴まれて、壁に叩きつけられる。
 気を失っていた間は自重してくれていたのかもしれないが、俺の顔を見て感情が爆発してしまったというところか。

「答えて……!」

 尋常な力じゃない上に、俺の身体はがたがただ。
 抵抗すら、できない。

「――――やめてよイリス!」

 すぐに飛んできた由羅が、俺を庇おうとイリスの腕に手をかける。

「真斗は悪くないもの! 離して!」
「いや……! だって、あの女が邪魔しなければ……っ!」
「イリス!」

 由羅が叫んだ。

「離してっ!!」

 由羅はイリスの手を無理に引き離すと、そのまま押し退けた。

「やめて! 真斗にひどいことしたら、いくらイリスでも許さないから!!」
「――――」
 ハッと、イリスの目が見開かれる。
 そしてそのままぱたん、とその場に腰を落とした。
「…………っ」

 イリスはその瞳に涙を一杯にすると、嗚咽混じりに泣き始めてしまう。
 驚いたのは由羅だった。

「あ……ご、ごめんね……。わたし、そんなつもりじゃ……」

 慌てて駆け寄って、イリスを抱きしめる。
 ……大変だな、お前も。
 ぼんやりと思いながら、俺はイリスの前に行って座り込んだ。

「お前が怒るのはもっともだよ。俺がお前でも、多分怒ってただろうさ」

 反応は無いが、構わない。

「俺に責任があるかどうかはともかく、少なくともあいつにはある。あの場で選ぶことができなかったっていう、な」
「真斗……」

 イリスをなだめながら、由羅がこっちを見る。

「別にあいつが悪いって言ってるわけじゃない。ただ責任はとってもらうさ。茜を無事に連れ戻すって形でな」
「………………できるの」

 ぽつり、とイリスがつぶやく。
 俯いて、しかも垂れた前髪のせいで、その表情は見えない。

「ああ」

 俺は迷わずに頷いた。

「こっから先は、俺の責任でやってやる。できなかった時は、煮るなり焼くなり好きにしろ」

 できなかった時――それは恐らく、俺の死を意味する。
 エクセリアがエルオードにつき、俺を切り捨てれば、俺は生きてはいられない。

「……それは、約束?」
「――そうなるな」

 これで、イリスが納得したかどうかは分からない。
 だけど、その時イリスはそれ以上何も言わなかった。
 俺は立ち上がると、事務机のある場所まで行って、椅子に腰掛ける。

「……ふう」

 どうにも身体が重い。
 歩くのも一苦労だった。

「ご苦労様だな」

 声をかけてくるのは所長。

「……そーだな」

 由羅に付き添われて、さっきまで俺がいた部屋へと行くイリスを見送りながら、俺は疲れたように頷く。

「一つ聞いておきたいんだけど」
「なんだ?」
「泪たちの背後にいた黒幕がエルオードだってこと、所長は知ってたんじゃないのか?」
「知っていたわけじゃない。可能性は考えていたがな」

 ……なるほど。
 本当にエルオードは、最後まで巧妙に自分の意思を隠してたってわけか。

「あいつもそうだったんだろうな。おれが支配されていない可能性を考えていた。だから不用意におれの前に姿を現さなかったんだろう。おれは泪の背後を探るつもりだったが、一歩遅かったというところだな」

 所長が泪に支配されていた振りをしたのは、その内情を探るのが第一の目的だったってわけだ。
 その最大の目的が、黒幕の正体か。
 もっとも所長が完全に気づく前に、エルオードはその状況すら利用してのけたわけだけど。

「どうして、背後に誰かいるって思ったんだ?」
「泪が主導で今回のことをやっていたとは思えなかったからさ」
「だから、なんで?」
「言わなかったか? このおれにシュレストなんていう想念を植え付けたのは泪だったんだよ。まあ、その辺りがおれが最遠寺を出た理由なんだが」

 そういや昨日、アルティージェが簡単に説明してくれたっけか。

「ザインにオルディードを植え付けたのも、あいつだ。泪はアルティージェへの復讐のために、かつてアルティージェに殺された兄弟姉妹の想念を探し出し、そして適当な人物へと植え付けた上で支配した。ここで、当然浮かぶ疑問が出てくる」
「泪には誰が、ってか?」
「そうだ。泪にも、シャルティオーネが植え付けられている。あいつの場合、赤子の時に植え付けられたから、完全に同化していたがな。じゃあいったい、それを誰がしたのか」

 当然、そういう人物がいなければおかしい。

「昨日も少し言ったが、その男はまず九曜家に目につけた。で、同じことを実験したわけだ。九曜と並び称せられ、その素質も充分に持っていた最遠寺の人間を実験体にしてな」
「実験?」
「ああ。最初の実験体に選ばれたのは、最遠寺葉。泪の母親だ。憑依したのはラスティラージュ。アルティージェの一つ上の姉だ」

 そういえば泪が言っていた。
 継承戦争っていうので、アルティージェによって滅ぼされたのは、ナウゼル、オルディード、シャルティオーネ、ラスティラージュの四人だと。

「いったい何人いたんだよ?」
「全部で八人だ」
「あとの三人は?」
「姉の一人であるメルティアーナは、アルティージェに唯一味方している。あとの二人は、他の兄弟との抗争に敗れて死んだ」
「…………」

 ということは、八人いた中で、アルティージェに味方したって奴以外、全員死んだってわけだ。

「……何でそんな戦争なんかし始めたんだよ?」

 後継者争いというのは、いつの時代でもよくやっていることだと思うが、ここまで徹底しているのも珍しい。

「おれが……というか、シュレストの命で始まったことだからな」
「親がそんなことさせたのか?」
「その辺りが、おれにシュレストが憑いている理由でもある。シュレストは魔王になるにあたって、レネスティア悪魔と契約していた。その内容は、もっとも強き存在になること。悪魔も満足するほど、シュレストは最強だった。おれが自慢しても仕方ないんだが、恐らく過去未来の魔王の中でも、飛び抜けて強かったはずだ。ところがシュレストは満足できなかった。自分は決して最強ではない、と」
「……謙虚だったってことか?」
「そうとも言えんな。どちらかというと、悪魔の期待にどうしても応えたかったんだろう。強迫観念のようなものだったんだろうが、それほどまでに悪魔のことを想ってしまっていたわけだ」

 悪魔って、エクセリアの妹のことだよな。
 いったいどんな奴だったのか……。

「最終的に、自分では駄目だと判断してしまった。応えられない、と。で、自分の子供に託したわけだな。実際、シュレストに劣らぬ才を持つ者も、その中にはいた」
「それが、アルティージェだったってか?」
「いや。その頃のアルティージェは、生まれて十数年しかたっていなかった。兄弟の中では一番弱かったといってもいいだろう。一番の後継者はナウゼルだと目されていたからな」
「なのに、アルティージェが?」
「そういうことた」

 そこで、にやりと所長は笑った。

「ある意味、シュレストの勘は正しかったってことさ。実際にいたんだよ。自分より強いやつがな。別に腕っ節ってわけじゃないぞ。何ていうかな……運の力、っていうか」
「ふうん……」

 運の力、ねえ……。
 確かにそれが最強だったら、あらゆる意味で最強になるかもな。

「そういうわけで、継承戦争は始まって、終わった。シュレストは後をアルティージェに譲って、悪魔との契約は白紙。残った娘二人に面倒みてもらいながら……一応、天寿をまっとうしたってわけだ」

 と、そこで所長は肩をすくめた。

「したのはいいんだが、やっぱり未練は残った。こうなるともはや呪いの類だな。あいつとの契約なんてものは。でまあ、それが使われてしまったというわけだ」

 それが、シュレストなんてものが出てきた原因であるらしい。

「――少し話は逸れてしまったが、その男はそんな昔にあったことを、今回のことにうまく利用したらしい。まず泪の母親で実験し、成功した後に泪を生ませ、成長させた。これを核に、色々と裏でやらせていたんだろうな」

 所長もそれにやられた口なんだろう。

「おれの場合は失敗だったんだが、おれがこっちに来たのを支配から逃れるために、とでも思ったんだろうさ。だから失敗しているとは思っていなかった。で、おれもそれを逆手に利用しようって考えたんだが……」
「寸前に、やられたってわけだな」
「そんなところだ」

 あっさりと、所長は認める。

「しっかし……そうなると、初めからわかってたんだな」
「ん?」
「いやさ。例えば初めて由羅を連れてきた時のこととか。あれ見てすぐに分かってたんだろ? あの刻印の正体に」
「まあな」

 だからこそ、あんなにも迅速に応急処置ができたのだ。
 他にも思い当たる節はある。
 一年前、アルティージェと戦う前に、あいつのことを妙に詳しく知っているように話していたこととか……。
 それはそれでいい。
 所長がそのことを話さなかったのは、それなりに事情があってのことだろうし。
 憑かれる、というのがどういうものかは分からないが、あまりいい経験でもないだろうしな。

「で、結局エルオードの目的は何だと思う?」
「黎くんと話したんだろう? 察しはついていると思うが」
「アルティージェ、か?」
「まず間違いなく」

 エルオードが最初の主であるエクセリアの命令を、今も忠実に実行しようとしているのならば、それに以外に考えられない。

「じゃあ……茜をさらったのは」
「泪の目的と同じはずだ。継承戦争の時とは違い、アルティージェはもはや単純に強い。一人では勝てはしない。だからこそ、茜くんの中のナウゼルを利用しようとするはずだ。何といってもナウゼルは、アルティージェの最大の敵だったしな」

 やはり、そうか……。

「もしナウゼルとかいう奴の意識が覚醒した場合、茜の意識はどうなる?」
「わからん」

 さすがに困ったように、所長は答えた。

「ナウゼルの意識が目覚めることで、茜くんの意識は反対に眠りに落ちるかもしれん。もしくは二つの意識が鬩ぎ合い、どちらかが打ち消されるか、二律背反で発狂するか……」
「ろくなことにはならない、ってことだな。けど所長の場合はどうだったんだ?」
「おれか。言っただろう? おれの場合は失敗したんだ。元々シュレストの想念が希薄だったんだよ。だから容易におれの意識の方が残ることができた」

 茜の場合とは、ケースが違うってことか……。

「茜くんの場合、生まれたその時から憑いていたはずだからな。どちらかというと、泪の場合に近い」
「…………」

 最悪の場合、あいつと戦うことになるのだろうか。
 そして、元に戻すことはできるのか……。

「なら少しでも早く、あいつを見つけ出さねえと……」
「馬鹿を言わないで」

 あっさりと、釘をさされた。
 隣の部屋からやってきた黎が、腕を組んで俺を見ている。

「イリスは?」
「イリス様なら、落ち着かれたわ。由羅が一緒にいてくれているけど……そんなことより、あなたは動いては駄目よ」
「そっちこそ馬鹿言うな。ここまできて、茜を見捨てろってか?」
「そうは言ってないわ」

 少し怒ったように、黎は言う。

「もちろん、茜はわたし達が捜す。エルオードのことは、わたしにも責任あるしね」
「ていうか、一番の責任はアルティージェだろうが」

 昔に色々派手なことをやってくれた挙句、そのとばっちりを受けているのは俺達だしな。

「文句でも言う?」
「……言ったところで無意味だな」

 苦笑して、認める。
 何といっても相手はあのアルティージェだ。恐らく徒労に終わることだろう。

「とにかく、真斗は動いては駄目よ。少なくとも、元の状態に戻るまでは」
「黎くんの言う通りだ」

 所長まで黎に同感だと言う。

「茜くんのことはおれたちに任せておけ。お前が自分で思っている以上に、お前の身体は弱っている。つつかれただけで死にかねんのだからな」

 その自覚はある。
 しかしだからといって、その通りにするわけにもいかない。
 第一俺は、イリスと約束したばかりなのだ。
 エクセリアのことを含めて、茜を連れ戻すと。

「悪いけどな――」
「いいえ、駄目よ」

 俺が反論するよりも早く。
 すっと、黎の手が伸びてきた。
 指先が頬に触れ、その瞬間に脱力感に襲われてしまう。

「――――……?」

 この感覚には覚えがある。
 食われたのだ。
 なけなしの生気を、黎に。

「て、てめ……!」

 それはほんの僅かだったのだろうけど、俺には充分だった。
 あっという間に立っていられなくなり、圧倒的な睡魔が襲ってくる。

「ごめんなさい。でも真斗を放っておくよりずっといい。茜のことは、わたしたちに――……」

 声が聞こえなくなる。
 あー……くそ。
 最後にそう思った。

     /黎

「何ていうか、相変わらず手荒だな」
「……かもしれないわ」

 定の感想に、苦く笑う。
 かつてのユラとのことを言っているのだろう。
 倒れ込んだ真斗を支えながら、定を見てわたしは言った。

「けれど、仕方ないでしょう。真斗は、放っておけば何でも背負い込んでしまうもの。そんなことは、わたしとユラの時のことを思い出せば、考えるまでもないわ」
「確かにな」

 定は安物の煙草を取り出すと、やれやれといった感じで一服する。
 真斗やユラの前では滅多に喫煙しないが、わたしの前ではお構い無しだ。
 理由はいたって簡単である。

「一本どうだい?」

 わたしは首を横に振った。
 今は別にいい。

「真斗も言っていたことだけどね」
「ん?」
「アルティージェのことよ。今回のことの一番の責任は、彼女にあるわ」
「ふむ……」

 紫煙を吐き出して、定は肩をすくめてみせた。

「その通りではあるがな」
「なら」

 声が冷たくなるのが、自分でも分かる。

「彼女を差し出してしまえばいい。エルオードにね。そうすれば無意味に茜を手元に置く必要も無くなるわ」

 今ならば、アルティージェは手元にある。
 しかもエルオードの不意打ちをまともに受け、かなりの重傷だ。
 いかに彼女とはいえ、簡単には全快しない。
 しかしアルティージェもまた、千年ドラゴンなのだ。
 いずれは全快してしまうだろう。そしてそれは、そんなに遠い日のことでもない……。

「チャンスは今しかないわ。それで全て片がつくのならば、それでいいんじゃないの?」

 別に試したわけではない。
 定が何と答えるかは分かっていたけれど、それはわたしの一つの本音でもあった。
 それで済むのならば、それでいいのではないかと。

「やはり君が、一番現実的……というか、合理的だな。真斗にも見習わせたいものだ」

 苦く笑いながら、定は言う。

「時にはそういう判断も必要だ。冷酷とも思える判断を下し、そして汚れ役をも買って出てくれる配下というものは、王にとっては得難い人材だ。が……君は配下の器じゃない。どちらかというと、支配者側の人間だ。しかし王が泥まで被ってしまうのはうまくない。王とは常に綺麗でなくてはな。誰も御輿を担いでくれなくなる」
「……結局、中途半端だと?」
「君が望んでいる理想と現実が一致していないだけさ。だから中途半端にも見えてしまう」

 それは、的確な指摘だった。
 わたしはずっと背伸びをしてきた。
 でなければ、エクセリア様やレネスティア様の姉としては存在できないと思ってしまっていたから。
 本当は、ただの妹でいたかったのだ。
 レイギルアに、みんなのように甘えてもみたかった。

「……大した洞察力ね」
「なに、自慢にはならんさ。おれのというよりは、シュレストのだ。仮にも最強とされた王の経験だ。時には役に立つ。というか役に立ってもらわねば困る」
「………それで?」

 先を促す。
 定は話を元へと戻した。

「君は頭がいい。だからわかっているはずだろう。――もし君がそうするのであれば、おれが敵になる」

 確かに、予想通りの答えだった。

「……アルティージェのこと、好きなのね」
「シュレストは、限定したくはなかっただろうがな。だが、まあ……恐らく八人の中では最も愛でていたのも事実だ。継承戦争の後、いい男を見つけてさっさと結婚してしまったメルティアーナとは違って、アルティージェは老後の世話をずっとしてくれたからな……。結局、最期を看取ったのもレネスティアではなく、アルティージェだった」

 あの戦争において、兄弟姉妹にはどこまでも残酷に臨んだアルティージェだったけれど、親に対しては全く逆の感情を見せている。

「では却下ね」
「最初から、そのつもりなどなかったんだろう?」
「本音ではあるわ。実現不可能なね」
「おれに話を持ちかけるあたりが、やはり損な性分をしている。君らしいがな」

 定の言う通りなのだろう。
 今さら確認するほどのことでもないけれど。

「それなら、エルオードと直接対決するしかないわね」
「そうなるな。だが、あいつの実力はどうなんだ?」
「わからないわ」

 長く彼はわたしの傍にいたけれど、その間ずっと隠し通してきたはずだ。
 己の実力を。

「ただ、アルティージェに負けているのは確かよね」
「話を聞けば、そうだな。だからこそこの期に及んで、茜くんまで利用しようとしている。一人では無理だと判断しているんだろう」

 定の言う通りだと思う。
 エクセリア様さえいなければ、何とかできる相手のはずだ。

「しかしな……あいつのことだ。油断はできん」
「ええ」

 それは同感だ。

「事は急を要するが、慎重にだな。その辺りを肝に銘じて探ってみよう」
「わたしも行くわ」
「真斗はどうする?」
「ユラに任すつもりよ」
「ほう」

 そこで、にやりと定は笑った。

「やはり君は、損な性分をしている」

 その意味するところは充分に分かったけれど、その時わたしは何も答えないでおくことにした。


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