第52話 その約束は

「えー……」

 夜になって。
 楓さんと泪さんが帰り、黎も早速日本を発った。それから小一時間ほどして、遊びにいった三人組が帰ってきた。
 衣服が汚れ、少しぼろぼろになった茜の様子を見るに、どうも単純に遊んでいたようでもないけど。
 で、それからしばらくの間、楓さんと泪さんがやってきて、発覚した状況を三人に説明した。
 その中で、黎が一旦日本を離れるという話をした途端、由羅が声を上げたのだった。

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「ねえ、真斗……。それって長いの?」
「さあな。けど海外なんだ。そこそこかかるだろ」
「そう……」

 しゅん、となる由羅。
 何やらとても残念そうな顔だった。

「どうしたんだ?」

 気になって聞いてみる。

「ううん……いいの。大事なことだし」
「いいって、お前……?」
「いいの! それより、茜のことでしょ?」
「そりゃそうだけど……」

 気にはなかったが、話を強引に戻されてしまう。

「まあ、つまりはそういうことなんだ。今は黎があっちに向かっている。うまくいけば、それで事は収まる。だからその間まで――特にイリス。自重してくれよ?」
「……どうしてわたしに言うの?」
「そりゃな。お前が一番不機嫌な面してるからだろ?」
「不機嫌? そう……わたし、不機嫌なんだ」

 ぽつりと、噛み締めるようにつぶやくイリス。

「でも……真斗。貴方はそうは思わないの?」
「俺か?」

 反問されて、俺は思わず茜を見返した。
 視線が合う。

「不機嫌――ではないかもしれんけど、不快ではあるな。一応こんなんでも幼馴染だし、勝手にあれこれされるのはむかつくさ」
「……こんなのとは何だ」

 半眼で、茜が睨んでくる。

「いいだろ、別に。――とにかく、俺も黙っている気はない。黎から吉報があるまでは、俺がこいつを守ってやる」
「な」

 ぽかんとして、茜がこっちを見た。

「何をふざけたことを言っている……? 私がお前なんかの助けを――」
「反論は無しだぜ。茜」

 ぴしゃりと言って、釘を刺す。

「もう決めたことだ。だからイリス。こいつのことは、俺に任せて欲しい」
「おい、勝手に話を――」

 茜の言葉など耳に入らない様子で、イリスはただ真っ直ぐに俺を見返した。
 赤い瞳が、探るようにこっちを見つめる。

「……守れるの?」
「ああ」
「信じられない、とは言わない。……でも」
「でも、なんだ?」
「わからない。……茜はそれでいいの?」
「別に私は……」

 イリスに弱い茜は、突然そう聞かれ、少し動揺したようだった。

「わたしより、真斗の方がいい?」

 茜は、答えられなかった。
 これ以上無いほど困った様子で、俺を見返す。
 それが、イリスには答えとして映ったようだった。

「いいよ。茜がそう言うのなら」
「いや、私は何も言っていないぞ……」
「いいの。ちょっと悔しいけれど、仕方ないから。でも、真斗?」
「おう」
「ちゃんと守ってね? 約束だよ」

 約束、か。

「いいぜ。任せてくれ」
「うん」

 こくりと頷くイリス。
 ……しっかしこれは、相当気合を入れてやらんとな。
 もしもの時、イリスにどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。

「えっと……私は?」

 控え目に尋ねてくる由羅。

「大人しくしてろ」

 即答してやる。

「え~……。私も何かしたい~」
「駄目だ。変な騒ぎでも起こされたら面倒だしな。今は、連中の目が届かないように大人しくしててくれ」
「う、うん……」

 渋々ながらも、由羅は頷いた。

「わたし、一度帰るね」

 少し考え込んでいたイリスが、静かに立ち上がる。

「考えてみたら、裄也も九曜の関係者だし、ちょっと心配だから。この事も、話しておきたいし」
「そうだな」

 イリスの言う通り、先輩のいずみ和泉さんも九曜関係の人間だ。
 和泉家は桐生家に比べて九曜との縁はほぼ切れてしまっているものの、元は同じ一族であり、楓さんを通じてその関わりは浅くない。
 しかもイリスに最も深く関わっている人物でもある。
 アトラ・ハシースの異端としての対象となる可能性は充分だ。

「じゃあ茜。気をつけて。何かあったら、すぐに駆けつけるから」
「……わかった。すまない」

 茜が素直にそう言うと、イリスは微笑してそのまま帰っていった。

「……いったいどういうつもりだ?」

 イリスが帰ってから、茜がじろりと睨んで聞いてくる。

「何がだよ?」
「何がじゃない。お前が私を守るなどと言ったことだ!」
「怒るなよ」
「怒ってなどいない。ただ呆れているだけだ」

 そうかもしれんけど、そうは見えないぞ。

「俺、そんなに大それたこと言ったか?」
「馬鹿なことだ。もし私に何かあったら、真斗、お前は確実にイリスに殺されるぞ?」

 なんだ。俺の心配かい。

「そ、そうなの?」

 びっくりしたのは由羅。

「恐らく、だけど。イリスは約束を守らなかったり、嘘をつかれたりするのを病的に嫌ってるんだ」
「あ……それ何かわかる」

 由羅も改めて得心したようだった。
 俺もそのことは、イリスと接する上で重要なことだと、和泉さんに聞いたことがある。

「もしもなんてねえよ。当然だろ」
「だけど、お前……」
「今心配されてるのはお前だろうが。なのに俺の心配なんかするな」
「……ふん」

 このことに関して、茜はそれ以上は何も言わなかった。

「それと、茜」
「なんだ?」
「一人にはなるな。しばらくの間はここにいろ」
「事務所にか?」
「ああ」

 やはり、夜は危険だ。
 しかも一人でいるのは一番危ないだろう。
 いかに茜とはいえ、不意打ちにどこまで対処できるかなど分かったものじゃない。

「所長には言ってある。部屋貸してくれってな」

 もちろん了承済みである。

「俺も、こっちで寝泊りするから……」

 まあ寝るといっても、長椅子に横になるくらいしかできないだろうけど。

「それじゃあ熟睡できないだろう。そこまでしなくてもいい。真斗は部屋で休め」
「いや、けどな……」
「近いし、問題ない。それにこの事務所にも、それなりの対策は施しておく。何かあればすぐに気づく」
「あ、それならわたしがここで寝る♪ 体力には自信があるし、ちょっとでも寝られれば大丈夫だから」

 ここぞとばかりに、由羅は主張した。

「それに、定と二人きりなんて危ないわよ? 何されるかわからないもの」
「一応、おれは紳士のつもりなんだがね」

 由羅の声を聞きつけてか、奥の部屋から所長が顔を出した。

「わっ……。えと、聞こえてた?」

 聞こえてたから、反論したんだと思うぞ。所長は。

「当然」
「う~……でも事実だし」
「事実じゃないぞ。まったく失礼なお嬢ちゃんだな」

 別段怒った風もなく、所長は席についた。
 どうやら風呂にでも入ってたらしい。

「しかしまあ、悪くない案だ。どっちかっていうと、君自身が一人にならなくていいだろう」

 なるほど。
 そういう考え方もあるか。
 由羅だって、狙われる可能性が無いわけではないのだから。

「え? でも真斗は一人で大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。一人じゃねえから」
「――あ、そっか。そうよね」

 俺にはエクセリアがいるからな。
 頼めば寝ずの番でも何でもしてくれる。

「で、茜はいいんだな? ここで」
「……しょうがないだろう。何かあると面倒だしな」
「よし。じゃあそうしてくれ」

 思っていたより簡単に納得してくれて、ほっとする。
 実際、もっとごねるのではないかと思っていただけに。

「今日はちょっと、私も疲れたからな。休息はとりたい」
「遊び疲れか? いったい何をやっていたんだ」
「それは……」

 口ごもる、茜。

「えっとね、茜は――」
「由羅!」

 代わりに答えようとした由羅を、茜は止めた。
 言って欲しくないらしい。

「言わなくていいことだ」
「え~? でも」
「でもじゃない。どうしても話すというのなら、追い出すからな」
「ぶー。茜のイジワル」

 渋々と、由羅は口を噤んだ。
 まあいいか。

「そんじゃ俺も帰るわ。茜のこと頼むぜ。所長に由羅」
「ああ」
「任せてっ」
「茜も気をつけておけよ?」
「ふん。誰にものを言っている?」
「はは、そりゃそーだ」

 つい心配してしまうが、心配されるほど茜も弱くないのだ。
 ま、大丈夫だろう。

「そんじゃまた明日」
「あ、送ってくよ?」
「いいって別に」

 由羅の申し出を俺は辞退する。

「それよか茜の傍にいてやれ」
「うん……そうする」

 素直に頷く由羅を見て、俺は事務所を後にした。

「――とまあ、そんな感じなわけだ」

 自分のマンションに戻ってから。
 俺はずるずると晩飯のカップラーメンをすすりながら、大体の事の次第を説明していた。

「……そうか」

 俺の前に正座して、エクセリアは小さく頷いた。
 ただ座っているだけではなくて、片手にはフォークを持って、麺を口に運んでいる。
 つまり、俺と同じカップ麺を食べているわけで。
 俺だけ食うのも何だったので、エクセリアにも勧めてみたところ、口にしてみたというわけである。
 本来ならば食事などは必要無いらしいが、食べて食べないこともないとか。
 ……しっかしどーでもいいが、無茶苦茶丁寧に……っていうか、上品に食べてるよな。
 カップ麺食べてて品があるっていうのも、何か変な感じだけど。

「……うまいか?」

 思わず聞いてしまう。

「わからない」

 小首を傾げるエクセリア。

「他の食事と比較できるほど、私はこういったものを食べた経験が無い。だから、判断は難しい」

 なるほど。

「機会があったら食べてみたらどうだ? 食事っていうのは、基本的に楽しいものだし」

 準備や後片付けは面倒だけど。

「……考えてみる」

 そうつぶやいて、スープをこくりと飲み込むエクセリア。

 うーむ、何やら新鮮な光景だな。

「飯のことはいいとして、どう思う?」
「アトラ・ハシースのことか?」
「ああ。黎が行って、何とかなるかどうかってことだけど」
「今の黎は、アトラ・ハシースの全てを掌握しているわけではない。かつてとは違う。しかし、原因がわかれば対応のしようもあるだろう」
「だな」

 完全に期待するわけにもいかないが、それなりの進展はあるだろう。

「ちなみにお前はどうなんだ? あっちのことについて、何も?」
「私は千年前より、アトラ・ハシースへの干渉をやめている」
「千年前、ね」

 俺なんかからすれば、途方も無いような時間をエクセリアは生きている。
 その間に色々とあったんだろうが、詳しくは俺も知らない。

「結局お前にもわからんってことだな」
「すまない」
「いや、謝ってもらようなことでもないけどさ。それより、しばらくはちょっと警戒してて欲しい。俺も、寝てる間に狙われるのは困るしな」
「努力する」

 相変わらず謙虚な物言いだよな。
 どこかの誰かにも見習って欲しいものだ。

「……ところで真斗」
「うん?」

 食べ終えたエクセリアが、少し改まって俺の名を呼んでくる。

「もう一杯、食べてみたい」
「へ?」


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