/茜
「ち……っ」
こちらが放った咒法はあっさりと弾かれたが、それは予想の内だ。
あくまで隙をうかがうためのもの。
「ふん!」
疾風のごとく、ハルバードが振るわれる。
かわし、背後に回る。
相手はこちらの姿を捉えてはいたが、身体そのものは私に背を向けてしまっている。
僅かではあるが、こちらの方に時間的猶予が生まれる。
好機!
「はあああああっ!!」
ずっと溜めていた力を解放する。
右手よりあふれ出た黒い炎を束ね、剣として振り下ろす。
手加減など無しだ。
「やっときたわね――」
そいつはにやりと笑うと、大斧を持っていない左手を掲げた。
そこから溢れるのは、私が放つものと全く同じ炎。
「〝ゼル・ゼデスの魔炎〟!」
放たれるのは、この禁咒の原型となった咒。
全く同質のものであるというのに、お互いを敵とみなして、二つの力はぶつかり合う。
「く……う…………!」
激しい鬩ぎ合いの結果、先に力尽きたのは私の方だった。
脱力感に教われ、完全に力尽きる前に飛び退く。
未だ顕在な相手の炎は消えてはいなかったが、追い討ちは無かった。
あれば、私は死んでいる。
「はあ……はあ……」
息が荒くなるが、仕方ない。
倒れこまないだけマシというものだ。
「ふん、その程度?」
こっちをじっと見ていた凛は、やがて肩の力を抜いた。
同時に黒い炎を消えていく。
「……まだまだね」
こちらへと歩み寄ってきた凛は、私を見下ろしてそう告げる。
「人間にしては大したものではあるけどね。私もこの身体になるまでは、なかなか扱えずに苦労したから。でも茜、あなたは今そういう力が欲しいんでしょ? だったら力尽きてる暇なんかないわよ?」
「……うるさい。わかってる」
ようやく息が整い、私は凛を見返した。
私の前に立っているのは、さざき左崎凛という女だ。
もっとも偽名であるらしく、本名はレダというらしい。
イリスの傍にいつもいるのだが、その関係は友人とかそういったものではなく、主と臣、といった方が適当だ。
「茜っ、大丈夫?」
ずっと離れて見ていた由羅が、心配そうに駆け寄ってくる。
そして、イリスも近くへとやってきた。
「少し、休む?」
「いや、いい……」
休んでなどいられない。
時間はきっと、そんなにないだろうから。
――ここは、市外から離れたところで、人気の無い山の中である。
適当に開けた場所で、そんなところで遊んでいるわけではない。
昨夜のうちからイリスに頼んでいたことで、いわゆる特訓の最中なのだ。
もちろん、昨日の一件を踏まえてのことであるけど。
知識、というものに関しては、イリスから学ぶことが多い。しかし実戦となると、凛を相手にすることが多かった。
イリスに仕えているだけあって、今でこそ化け物じみた力を持っている凛だけど、最初は私のような人間とさほど変わらない、妖魔の子だったという。
大して強くもなかった彼女は、必死に努力して、実力をつけていった。
叩き上げでここまできたこともあってか、過去の自分を含めて〝弱いもの〟を知っている。
そのあたりはイリスには持ち得ないものであって、凛の教えのいいところでもあった。
「やる気だけは満々ってとこね。でもこのままじゃ、何度やったって仕方ないわ」
「なんだと?」
「別に茜のことを弱いって言ってるわけじゃないわ。強いわよ、あなた。でもだからこそ、なのよ」
「これ以上は無理、ということなのか?」
「そういうわけじゃないんだけどね……」
凛は曖昧に答えながら、イリスの方を見る。
「うん。レダの言うこと、何となくわかるよ」
「だからどういうことなんだ!」
思わず声を荒げてしまった。
正直、私は焦っている。
昨夜のこと。
真斗がいなければ、私は危なかった。
守るどころか、守られてしまった。
少し――いやけっこう、悔しかった。
イリスに守られてもそんなことは一切思わないのに、どうしてか真斗だと思ってしまう。
それに加え、ザインのこともある。
あの男を相手に、私はあの禁咒を用いても勝つことができなかったのだ。
これではこの先闘ったとしても、勝てるとは思えない。
そんな諸々の理由があって、私はイリスに頼んだのだ。
強くなりたい、と。
「あ、茜……?」
びくりとして、由羅がこっちを見る。
「いや……すまない。でも、苛々して……」
「まずは落ち着くことね。そんなカッカしててもどうにもならないでしょ」
「ふん。お前にだけは言われたくないぞ」
「どういう意味よ!」
早速怒鳴ってくる凛だったが、まさにそれが理由だ。
私なんかより遥かに短気なくせに、偉そうに説教するな。ふん。
「……で、結局どういうことなんだ?」
私はイリスへと視線を向ける。
イリスは口に手を当てて、少し考えてみせた。
「……はっきりとはわからないんだけど。貴女はね、とっても強いはずなの。それこそ、楓に負けないくらい」
思わず顔をしかめてしまう。
姉さまの話が出ると、反射的にそうなってしまうのだ。
我ながら情けないとは思うのだけど。
「でもそれは、技術とかそんなのじゃない。レダの言う通り、技術的には茜は充分に強い。たぶん、わたしよりも」
「……そうは思えないけど」
どういうことなのかと、私は少し考えた。
私が思うに、凛はとても強い。剣の腕や、戦術の思考、そういったものは姉さまに劣らないと思う。そしてイリスはというと、そういったものは明らかに二人より劣っているかもしれない。
彼女はその純粋な性格通り、行動――戦い方は真っ直ぐだ。
しかしその分無駄が無く、研ぎ澄まされている。
イリスの言うことは、そういうことだろうか。
「器の問題ね」
凛が言う。
「器?」
「そう。私がどんなに頑張っても、きっとイリスさまには敵わない。私ではそういう器だから」
「どういうこと?」
首を傾げる由羅。
いまひとつ良く分からないらしい。
「潜在的な力のことか?」
「そういうものかもね」
凛は頷く。
「茜、貴女は強いけれど、きっとそれを活かしきれていないと思うの。活かしきれていないということは、まだ使っていないものがあるということ。これから伸びるものではなくて、まだ見えていないもの」
「……何なんだ、それは?」
そんなものが、私にあるというのだろうか。
「……だいたいわかるんだけれど、うまく説明できない。楓と良く似ているようで、違うから」
……ますます何のことだか分からないぞ。
「うん……何て言えばいいのかな。貴女にはね、何かあるの。隠れているけど、間違いなく。その片鱗が、貴女を強くしている。でもそれは僅かだから」
「私もそう思うわ。時々あなたから放たれるプレッシャーは、はっきり言ってただの人間に放てるようなものじゃないもの」
「う~……私はわかんないけど」
しょぼん、と最後に由羅が言う。
「……いったい何のことなんだ?」
「なんだろう……初めはね、茜にも楓がそうだったみたいにネレアが憑いているのかと思ったんだけど、違うみたいだし。……ごめんね、うまく答えられない」
「いや、いいけど……」
ちっとも良くなかったが、イリスですら分からないのならば、どうしようもないだろう。
「ただ、それをうまく引き出せれば今よりもずっと強くなれると思う。だけど、それは危ないことのような気もするの」
「危ない……?」
「うん。楓の時みたいになるかもしれないから」
「……姉さまに、何かあったのか?」
初耳だった。
「そういえば茜って、知らなかったの? 楓のこと」
「……悪かったな」
私はぶすっとなって、顔をそむける。
「茜」
そんな私を、真っ直ぐにイリスが見つめてきた。
「危ないことかもしれないけど、いずれはそれを乗り越えなければならないと思う。でないと、強くはなれないよ」
乗り越える、か……。
しかし問題は、それが何であるか、だな……。
「でも、それって今すぐっていうわけにはいかないんでしょ?」
首を傾げ、由羅がイリスに聞く。
「そうだね」
イリスは頷く。
「それだと……茜は困るんじゃないの?」
由羅の言う通り、困るといえば困る。
「大丈夫。わたしが力を貸してあげるから」
微笑んで、イリスは断言する。
いや……私は自分自身が強くなりたいんだけど。
とはいえ、今すぐというのは時間的にも無理だろう。
そんなに簡単にいくわけがない。
「はい」
イリスはもぞもぞと服の中から何やら取り出すと、それを手渡してきた。
「……?」
訝しく思いながらも、とりあえず受け取ってみる。
それは。
「弾……?」
そう。
それはごくありふれた、ライフル用の銃弾に見える。
「特製だよ」
にこりと笑うイリス。
特製……?
「ほら。ずっと前に、ゴルディオスを作ってあげたことがあったでしょう?」
「ああ……死裁の銃身のことか」
「うん。そう」
それは、イリスと一緒になって私が作った武器のことだ。
「あれの弾だと言うのか?」
あの銃は、弾を込める必要などない。
気合一発で放つことのできる、優れものだ。
もっとも私の精神を弾としているわけだけど。
「そうなの。もう少し強化できないかなと思って、ある咒法をね、うまく形にすることができたの。茜の性質にも合うように、わたしなりに調整もしてみたから、ちゃんと溶け合うと思う」
「…………」
イリスが考案する咒法は、全てが禁咒の類である。しかもアトラ・ハシースにすら及びつかないものの場合が多い。
「気に入ってもらえたら、またたくさん作ろうかなって」
「……物騒なものじゃないだろうな?」
「……さあ? それはわからないけど」
そんな返事に、少し不安になる。
撃ち込んだ瞬間、辺り一帯が吹き飛んだりしないか心配だ。
「ただね、装填した後、撃てるようになるまで少し時間がかかると思うから。物理化して、そのサイズにまで圧縮するのが少し難しくて、解凍するのにどうしても時間がかかってしまうの」
「どれくらいかかる?」
「たぶん、一分くらい」
一分か。
どれほどの威力があるのかは知らないけど、一対一では使いにくいかもな。
使える機会があるかどうかは分からなかったが、それでもイリスの気持ちはありがたかった。
その銃弾をしまい込んでいると、何やら視線に気づいて私は顔を上げる。
じっと、こちらを見ている凛と目が合う。
何となくだけど、睨まれているような気がする。
「……なんだ?」
「ふん。別に」
ぷい、と視線を逸らす凛。
その意味に最初に気づいたのは、代わる代わる視線を巡らせていた由羅だった。
「あ、凛てば茜に嫉妬してる。イリスにいいもの作ってもらえる茜が羨ましいのね」
そう言って、意味ありげに笑う。
「な、何を言ってるのよ由羅……!」
かああ、と凛は顔を赤くした。
そして怒鳴り散らす。
「そんなわけないじゃない! こぉんな小娘相手に、どうして私が羨んだりしなきゃいけないのよ!?」
む……小娘だと?
文句を言おうと私が口を開くよりも早く、由羅が答えていた。
「え~、だって」
「だってじゃないわよ! 馬鹿由羅!!」
「ば……馬鹿じゃないもの!」
ぷんぷん、と由羅も怒り出す。
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだからね!」
「ふんっ。この世界で私以外はみ~んな馬鹿、愚か者よ!」
「あ、そんなこと言うし! じゃあイリスも馬鹿ってことよね!」
「イリスさまが馬鹿ですって!? 何ていう無礼を――――!!」
「凛が言ったんじゃない!」
……まったく。
二人揃って元気なものだ。
これで二人とも、かの伝説の千年ドラゴンだというのだから、世の中いい加減なものである。
それにしても、嫉妬、か……。
二人の光景を見ながら、その言葉を噛み締めた。
姉さまの顔がついよぎってしまったけど、振り払う。本当、今更だ。
イリスはきょとん、となって見つめるだけで、この事態が分かっているのかいないのか、全く掴めない表情のままである。
まったく……どうして私はこんな連中と知り合ってしまったんだろうな。
色々気苦労も増えたけど、悪くは無いと思う。
そう……悪く無い。
アトラ・ハシースに異端とされ、命を狙われるようになったというのに、そんなことは些細なことのような気がする。
これからしばらく――もしくはずっと、この異端者達と一緒にいることができるのならば、見合う代償だと。
そんなことを、ふと思うのだった。
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