/真斗
深夜。
公園にて、俺達は落ち合っていた。
「時間通りだな」
「当たり前だろう」
身軽な俺とは対照的に、茜はそれなりの荷物を身につけている。
帰る準備は万端らしい。
ちなみに俺は、途中まで茜を送り、その後は囮になる予定だ。意味があるかどうかは知らないが、多少の気休めにはなる。
「……確認しておくが、由羅あたりにつけられていないだろうな?」
「大丈夫だろ」
念には念をということで、一旦茜と大学で別れて以来、自分のマンションには戻っていない。
「それにあいつ、そんな器用なことができる性格じゃないしな。近くにいたら、絶対気づく」
俺の言葉に、茜は苦笑する。
「確かにな」
「俺よりお前の方はどーなんだよ? 大丈夫なのか?」
「手落ちはない」
と言い切るが、すでに何度かイリスに掴まっている前科があるのだ。
いかに茜とはいえ、相手が相手だし、完全に信用するわけにもいかない。
「どうだ?」
俺は背後へと視線を送って、闇に声をかける。
返事はあった。
「――周囲に気配はない」
静かな声が返ってくる。
「……エクセリアか」
不意に現れた小柄な少女を見て、茜はその名を呼ぶ。
身長に匹敵するほど髪を長く伸ばしており、その銀髪と紅い瞳が印象的な少女だ。
名前をエクセリア・ミルセナルディスという。
「いつものこととはいえ、ほとんど背後霊だな」
「そう言うなって。俺はこいつのおかげで命があるんだし、それにけっこう役に立つからな」
人前にはあまり姿を現さないエクセリアだが、茜はすでにその存在を知っている。
エクセリアに対して黎はやたらと腰が低いし、由羅はどうしてだか物怖じしているようだったが、茜はというと、いつもの態度を崩してはいない。
「それにいつもかも近くにいるってわけじゃないらしいし」
俺としても、四六時中張り付かれているのはちょっと困る。
それで普段は適度に距離をとってもらっていた。
「知覚、ということに関しては、一番信用できるだろ? 探知機代わりに近くにいてもらえれば、安全に行けるって」
「そうでもないが」
見上げて、エクセリアは言う。
「そうなのか?」
「完全ではない。偽る方法はいくらでもある。それに相手があの死神であるのならば、自身の存在を支配し、この町の有象無象の中に紛れることなど――」
言いかけたエクセリアの声が、不意に途切れた。
眉をひそめ、周囲を見渡す。
「……どうしたんだ?」
エクセリアの様子に、俺が怪訝に思ったところで。
「囲まれている」
その一言だけを残して、エクセリアの姿は掻き消えてしまう。
「おい、こら!?」
『私はここにいる。ただ、気をつけた方がいい。あまりいい感情は感じない』
声だけが、直接頭に響いた。
エクセリアは、無闇に姿をさらすことを嫌う。
誰がやってきたのかは知らないが、姿は見せるべきではないと判断したようだった。
ったく、恥ずかしがり屋め。
「……何かわかるか? 茜」
「馬鹿」
「なぬ」
俺が周囲を見渡しても、はっきりいって何も分からない。ただ静かな公園のままに見える。
しかし茜は違うようだった。
「自然を装え。見られているぞ」
「見られているって……誰にだ?」
もしかしてイリス達か、と一瞬思ったが、茜やエクセリアの様子からしても、恐らく違う。
「わからない。まだ遠い。数も……多いな。これは……」
くそ、俺にはちっとも分からねえ……。
「! 避けろ!」
言うなり、茜は俺を押し退けた。
そして自分も後ろに跳ぶ。
「な――どわっ!?」
驚くよりも早く、紅蓮の炎が俺の目の前で膨れ上がった。
慌てて身を引く。
「ち……なんだっ!?」
炎が弾けるその光で、一瞬人影が見えた。
誰かがいる。
炎が収まったところで、茜の声が響いた。
「いったい何の真似だ」
淀み無い口調で、詰問する。
「さすがに気づいたか。堕ちたとはいえ、腐っても鯛ではあるな」
耳に届いたのは、男の声。
「この声……? お前――いえ、あなたは」
僅かに目を見開いて、茜は驚きの声を上げる。
「マスター……? ザイン……ザイン・ローレッド?」
「いかにも」
頷き、進み出たのは屈強な身体つきの、中年の男だった。
赤い僧衣をまとっている。
「誰だ。知ってるのか?」
「……アトラ・ハシースのマスターの一人だ」
「アトラ・ハシース?」
俺は思わず見返した。
このおっさんが………?
「いったいこのような場所に、マスターが何の用でしょうか。それに、先ほどの炎は」
身分が上の相手だからか、茜は珍しくかしこまってそう尋ねる。
しかし、その表情には明らかな警戒の様子が見てとれた。
「知れたこと。リーゼ・クリスト。貴様を捕縛するためだ」
「な……?」
捕縛? アトラ・ハシースが茜を……?
「私を? なぜ」
「貴様には、異端の嫌疑がかけられている。大人しく拘束されるならば、とりあえずの命は保証しよう。しかし拒否すれば、その場で異端と認定し、処断する」
「…………。何を理由に?」
「ラゼル・レーゼンの殺害容疑及び、異端容認。そして聖務放棄だ。言い逃れなどできぬ」
殺害……?
不穏な台詞に、俺は思わず茜を見た。
あいつの顔色は変わっていない。
「お前……?」
「ラゼル・レーゼンというのはアトラ・ハシースのマスターで、私の師だった人のことだ。すでに死んでいる。表向きは、行方不明ということになっているけど」
冷静に、茜は答えてきた。
そして今度は、ザインという奴に向かって言う。
「私はラゼル様を殺してなどいない」
「わかっているとも」
表情を変えることもなく、ザインは頷く。
「やったのはイリス……死神か」
「――――」
あっさりとその名が出たことに、茜は今度こそ驚愕したようだった。
「どうして――その名前を知っている……?」
「貴様があの異端と頻繁に接触していることは、すでに確認済みだ。……イリスといえば、かの伝説の死神。そのような者と接触していることからして、貴様が異端に堕ちたことは明白だろう」
「伝説の死神……?」
あのイリスが……?
「……それで、私を異端として認定したというわけですか」
「いかにも」
「…………」
淀みない返答に、茜はしばらく黙していたが、やがて一つ頷いた。
「状況は理解しました。――悪いが、従えない」
「ほう。しかし賢明な判断とはいえぬな」
ザインがそう言うなり、周囲に無数の人影が現れる。
「げ……」
俺は思わず声を洩らしてしまった。
数は二十ほどだろうか。
完全に囲まれ、公園内に封じ込まれてしまっている。
「まさかと思うけどよ……。こいつら全部アトラ・ハシースなのか?」
聞けば、あっさり頷く茜。
「……うん。もちろん見習いも混じっているだろうが、それでもそこらの咒法士よりは、腕は立つぞ」
だろーな……。
アトラ・ハシースといえば、対異端の名門。
俺が習った九曜家も名門ではあるが、明らかに規模も厳格さも違う。
つまり、茜程度には強い連中ってわけだ。
「従えないってお前、ならどーすんだよ?」
打開策はあるのか。
「さあ、知らない」
「知らないって、てめえ……」
「大人しく捕まるか? だとすると真斗、お前も私の仲間と見なされているだろうから、火刑確実だな」
このご時世に火刑ですかい。
「そいつはごめんだな」
「だろう?」
「つまり切り抜けるしかない、か」
「使え」
茜は荷物を放り投げてから、一本の短剣を寄越してくれた。
「助かる」
今の俺は丸腰だ。
愛用している銃は、そうそう携帯しているわけじゃない。
「刃向かうか。愚か者め」
その言葉を合図に、囲んでいた連中は一気に飛び掛ってきた。
処刑を迅速に行うために、か!
「雑魚は任せる!」
「おいっ!?」
茜はそう言うなり、一直線にザインへと向かう。
この数が相手だ。逃げてもすぐ捕まる。
ならば少しでも数を減らしておくにこしたことはない。
もっとも実力があるであろうザインを茜が抑えている間に、他の連中の相手は俺にしろってことか。
役割分担は悪くないが、雑魚って言うけどお前、雑魚じゃねえだろうがこいつらみんな!
「俺にとってはな! くそ、エクセリア!」
あいつが頷くのが、気配で分かる。
瞬間、一気に俺の身体能力が飛躍した。
エクセリアの認識力が増したため。
いわゆる〝捏造された力〟だ。
「うらぁ!」
アトラ・ハシースというのは、咒法に優れているだけでなく、体術にも精通している。
そんな連中を相手に、いくら九曜家で学び、素人ではないとはいえ、俺ごときではどうにかなるわけもない。
しかしエクセリアがいれば話は別だ。
あいつがその気になって認識力を傾ければ、恐らく由羅を相手にだって力負けしない。
それは一年前に、曲りなりにもアルティージェと闘った経験から分かる。
俺の一撃を受けて、手近な一人が吹っ飛んだ。
連中に動揺など起きなかったが、警戒はされたようだった。
幾度かの交錯の後、無闇に仕掛けてこなくなる。
俺は茜の様子をうかがいながら、対峙し続けた。
ザインに向かった茜は、一気に仕掛けた。
接近戦を選んだのは、他の連中に介入されないようにするためか。
「ふん。ぬるいわ!」
真横からきた茜の蹴りを片手で受け止め、ザインは押し返す。
「神罰!」
その一言と、突き出した掌から生まれた衝撃波は、空気の弾丸となって茜を襲う。
「く……!」
咄嗟に顔をガードするが、茜は威力に逆らえきれず、後方へと吹き飛ばされる。
そこへと群がるアトラ・ハシース。
「邪魔だ!」
しかし茜は周囲全てに炎の咒を解き放ち、一蹴する。
そして即座にザインへと向かい、地を蹴った。
「おいおい!?」
迫ってくる炎に、俺は思わず声を上げる。
無造作に放たれた炎は、所構わず俺にも構わず、周囲を席捲したのだ。
しかしその炎が俺に届くことは無かった。
寸前で分かれ、俺に届くことなく後方に流れていく。
エクセリアの仕業らしい。
茜の奴、ちゃんとそこまで考えてはいたんだろーけど、物騒なことをしやがって。
そんな俺の気を知ってか知らずか、茜はザインに立ち向かっていく。
はっきり言って、茜は強い。
今俺を囲んでいる連中に比べれば、ずっと。
あいつの歳でそれは凄いことなのかも知れないが、対するザインもやはり強い。
何とか助太刀したかったが、俺も今はこいつらで手一杯だ。
エクセリアの力は、俺の身体にけっこうな負担を強いる。
というより、精神の方に。
慣れの問題だとか、エクセリアは気軽に言ってくれるが、少なくとも今の俺はまだまだ慣れてなどいない。
こいつはまずい、と。
少しずつ、俺は焦りを感じ始めていた。
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