第45話 優雅な午後のひととき

     /アルティージェ

「ご苦労様だったわ」

 昼下がり。
 ようやく訪れてくれたその相手は、まずそう労ってくれた。

「あれで良かったの?」

 悪いとは言わせない、とそんな感情をちょっと込めて、聞いてみる。
 わたしの前に座る銀髪の少女は、微笑んで頷いてくれた。

「そう?」
「ええ……。姉さんも、これで少しは変われると思うわ」

 そう言って、レネスティアはわたしの出した紅茶に口をつけた。

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「ふうん」

 どうやら彼女にとっての諸事は片付いたようで、今彼女が主に視線を向けているのは姉のことだ。
 彼女がもっとも気にかけているのは、間違いなく契約者のことだろう。まあ配偶者ともいえる存在のことだ。
 まだ少女みたいな顔もしているくせに、ちゃんと娘までいるんだから侮れない。
 今では旦那や娘のことは落ち着いて、姉のことばかり気にしているようだけど。
 今回のことも、まあそんな感じのレネスティアに頼まれたっていうのが、一番の理由だ。

「でも良かったの? 由羅のこととか」
「……わたしの気持ちを汲んでくれたのでしょう?」
「どうかしら。わたしはあの子とこれから仲良くなりたかったから、封印されたままなのはちょっと困るわけだし」

 いかにわたしといえども、あの氷涙の檻だけは、さすがにどうすることもできない。本来ならば剣など抜けはしないのだ。
 けれどわたしはそれを抜くことができた。
 それはつまり、レネスティアが許したということだ。
 あの子が自由になることを。

「それにしても……少し損しちゃったかも。お芝居だったとはいえ、わたし何かとっても悪役してたし」
「芝居?」

 意味ありげに、笑われる。

「なによう……?」
「わたしはてっきり地だと思っていたのだけれど」
「うるさいわね」

 わたしはそっぽを向く。
 しかしまあ……それを言われて完全否定できないのは確かだ。
 偉そうだとか、高慢だとか。
 ……いいじゃない。
 わたしって実際偉いんだし。

「……これからどうするのかしら?」

 レネスティアが聞いてくる。

「頃合いを見ながら、また顔を出すつもり。もう一回、由羅をさらうのもいいかもね?」
「構わないけれど……驚くんじゃなくて? あなたのこと、死んだと思っているかもしれないのだし」
「さあどうかしら」

 そこまではっきりと、わたしが敗北したっていう風に認識されていると、ちょっと不愉快ではある。
 負けたのは事実だけど、それはそれ、だ。

「エクセリアだったら気づいていたんじゃない? わたしが本当にわたしだったのか、とか、あなたが関わっていることとか」
「そう思う?」
「別に過小評価する理由も無いしね」

 わたしはあまり、エクセリアのことは好きではない。
 というか嫌いだ。
 性格が鬱陶しい、っていうのもあるけど、何より一度、わたしの命を狙ってくれたこともあるからだ。
 だからほとんど手加減しなかった。
 けっこう痛い目にあっただろうけど、それでもレネスティアが何も言わないのは、その辺りの事情を理解してくれているから……だと思う。
 何だかんだいって、レネスティアも実際何を考えているのか分からないから、油断はできないけれど。
 ともあれ、今回のことは成功だったのだろう。
 捏造でも何でもいいから、エクセリアに自分の感情そのままに何かを認識させること。
 それはもしかすると、彼女が危惧するように、この世界にとっては由々しきことなのかもしれない。
 しかしそんなことなど、レネスティアにとっては些事だ。
 ただただ、姉が自分自身の気持ちに正直なって欲しいと、そう願っている。
 それはどちらかというと、姉よりもずっと我侭を通して今までやってきた、レネスティアなりの想いなのだろう。
 わたしはその手伝いを、少しした程度だ。

「けど……真斗にはちょっと驚いたわ。ずっと闘っていたのはわたしの人形にすぎなかったというのに、あの人形を介してしっかりと……刻印を刻んでくれたんだもの」

 今のわたしの手には、例の刻印がある。
 さすがにあの瞬間はわたしもカッとなってしまったけど、今となっては感心するやら呆れるやら、まあそんな感じだ。
 完全な紋章なだけに、由羅の時とは違って何の痛みも無い。
 この始末をどうしようかと考えていたけれど、今ではしばらくはこのままでもいいかなと思っている。
 同時に、あの人間にも興味は湧いてきていた。
 なかなかの、掘り出しものなのかもしれない、と。

「何だかエクセリアとかにあげちゃうの、もったいないわ……。うん、そう。こっそり身体をつくってあげて、篭絡するのもいいかも」
「そんな余裕、あるのかしら」

 何やら意味ありげな言葉に、わたしはむ、と眉を寄せた。

「……何が言いたいのよ?」
「あなたがわざわざこんな所に赴いた本当の理由……よ?」

 面白がるように言われ、ついそっぽを向いてしまう。
 本当、侮れないわねレネスティアって。
 いったいどこでどんな情報を仕入れてきているんだか。

「何のことかしら」

 とりあえずは惚けておくことにした。
 正直に白状するのはプライドが許さないし、現状では最優先というわけでもない。
 差し当たっては由羅やイリスのことが気になるから、そっち優先でやるつもりだし。

「――アルティージェ」

 あれこれ考えていると、低い声がかかった。

「歓談中、失礼する」

 やってきたのはドゥークだ。
 壊れていた身体は元に戻してあげたので、いつも通りの姿になっている。
 彼との出会いは千年以上も昔だが、一目で気に入って、何とか下僕にしようと思ったのに、本人はうんとは言ってくれなかった。
 さすがに諦めたわたしだったんだけど、彼が死神への戦いに赴く前に、あるもらいものをしたのだ。
 それは、彼の名前。
 その時は特に狙ったわけではなかったけど、考えてみると好都合だった。
 わたしは名前から彼を支配し、死神と戦って瀕死だった彼の身体を人形として、そのまま傍におくことにした。
 けっこう無理矢理だったし、だから彼にはかなり自由にさせてあげている。
 彼もまた、何だかんだでこれまでわたしに付き合ってくれていた。
 これもわたしの美徳の為せるわざ、ね。

「なあに?」
「客が来ているが」
「お客?」

 わたしがここにいるっていうことを知っている者は、せいぜいレネスティアだけだ。
 そのレネスティアはここにいるのだし。
 ぴんとくる。

「ディエフ殿だが」
「ああ……エルオードね」

 さっそく嗅ぎ付けてきたらしい。
 ご苦労なことね、まったく。

「追い返しておいて」
「それで、帰るような人物でもないと思うがな」
「だったら放っておきなさい」

 わたしはにべもなく言ってやる。

「……ではそうしよう」

 それだけ言って、ドゥークは踵を返した。
 相変わらず、真面目なんだから。

「会って、あげないの?」

 不思議そうに、レネスティアが覗き込んでいた。
 わたしは頷く。

「今はね。その時になったら、いずれ。わたしもちゃんと、決着はつけてあげるわ」

     /真斗

「ねえねえ真斗! お昼だよ!」

 授業で寝ていた俺を起こす声。
 相変わらず元気一杯だった。

「むー……」
「ご飯食べるとこ、人でいっぱいになるよ?」
「もうなってるよ」

 ふああと欠伸をして、のろのろと立ち上がる。
 隣には、こっちをじ~と見ている由羅。

「お前、今日は図書館じゃなかったのか?」
「イリス? イリスなら茜と遊びに行ったよ。わたしは真斗がいるからって断ったんだけど」
「一緒に遊んでくりゃ良かっただろーに」
「なによう」

 せっかく来てあげたのに、とぷうと頬を膨らませる由羅。
 相変わらず、子供っぽい。
 ぶーぶー文句を言う由羅を連れて、俺は教室を出た。

 ……あれから一年くらいたつ。
 一部派手にぶっ壊れた校舎だったけど、ようやく元に戻ったっていう感じだ。
 由羅はというと、あの夜の次の日には、もうぴんぴんになって帰ってきやがった。
 疲れ果てて寝ていたところを起こされ、ぐああと吼えたのを、今でも覚えている。
 まあ、心配しててくれたんだろうけどな。
 次にエクセリア。
 あいつは基本的につかず離れずで、いつもどこか俺の近くにいる。
 呼べば出てくるが、普段は姿を見せない。
 どうやら気を遣ってくれているらしいけど、もうちょっと積極的でもいいと思うんだけどな。
 由羅と一緒にいれば、そのうち感化されるかもしれないか。
 ともあれ、あいつのおかげで俺は今もなお、ちゃんと生きている。それは何よりありがたかった。
 で、黎はというと。
 あいつはちゃんと、期待に応えてくれている。
 将来的には何を考えているのかは分からないとはいえ、少なくとも今は、自ら死を選ぶようなこともなく、けっこう前向きに生きているようだった。
 由羅との仲も、上々。
 いつも緊張している由羅とは違って、黎はごく自然に接していた。
 一年たった今も、多少ぎこちなさの残る二人だが、今後に更に期待できそうだ。

「さあて」

 外に出た俺は、背伸びをしてしゃっきりさせる。
 そして不意に思い出した。

「そういや茜のやつ。そろそろ帰るぞって宣言してなかったっけか?」

 茜がこっちにやってきて、一年。
 一年前のあの時に重傷を負ったが、あいつの周りにいる連中が尋常ではなくて、あっさりと治って帰ってきた。
 その辺りから新たに知り合ったのが、イリスだとか凛とか、まあそんな連中。
 何でもイリスというのは、由羅がアトラ・ハシースを逃げ出してきた際に助けてくれたやつだとかで、それを頼って由羅は日本までやってくることになったのだという。
 ちなみに茜の天敵である。
 凛というのはあの夜に現れた少女で、そのイリスに仕えている千年ドラゴンだとか。
 本名はレダというんだけど、イリス以外にはまず呼ばせないでいる。なので俺も呼ぶ時は凛だ。
 同朋には優しいのに人間は大嫌いというやつで、よく茜や茜の姉貴と喧嘩しているのを目にしている。
 由羅は茜に怪我を負わせたということで、イリスにこっぴどく怒られたようだったが、今の関係は良好だ。
 わけあってこの大学によく出没するため、一緒にいるところを見るのは少なくない。

「茜?」

 きょとん、と由羅は首を傾げる。

「ああ。いい加減疲れたとか言って、帰るって宣言してたじゃねーか」

 天敵であるイリスはもちろん、由羅にまで懐かれた茜は、二人にまとわりつかれてここのところずっとぐったりしていた。
 さすがに逃げ帰りたくなったらしいが、イリスやら由羅やらが、それを容認するはずもなく。

「そんなの」

 にっこりと笑う由羅。

「帰すわけないじゃない」

 笑って言っているが、聞きようによっては怖い台詞だぞ、それ。
 今のところ良好な関係だから、問題ないとは思うけどさ。多分。

「まあいいか。帰ったら帰ったで、それはそれで寂しいしな」
「うんうん!」

 全力で肯定する由羅。
 茜、大変だけど頑張れよ~……。

「腹減ったし、メシだメシ」
「だから人いっぱいだって。……蹴散らすの?」
「お前じゃねーよ」
「なによう! 私はそんなことしないもの!」

 どーだか。
 ……ま、のんびり行くか。

 最近、どうも事務所がにぎやかでいけない。
 はやっているのならば問題ないのだが、そういうわけでもなく。
 何ていうか、溜まり場になってしまっていた。
「だから! いい加減に帰ると言ってるだろう!」
 猛々しく宣言しているのは、もちろん茜。
 あいつの座るテーブルの前には、説得相手が二人、座っている。

「いや。だめ」

 あっさり却下するのは、黒衣の少女。
 エクセリアほどではないが、茜よりは間違いなく小さい。

「そうそう。イリスの言う通り」

 隣に座る由羅が呼んだように、その少女の名前はイリスという。
 いまひとつ何者なのかは知れないが、まともな奴でないことだけは確かだ。
 雰囲気が、どことなくエクセリアに似てるしな。
 そういやエクセリアの奴は、イリスがいる時にはまず姿を見せない。
 理由を聞いたこともあったが、「負い目があるから」という一言のみの返事しかもらえなかった。
 因縁深い相手ではあるらしい。

「ていうかさ。あいつら二人、遊びに行ったんじゃなかったのか?」

 三人の様子を眺めながら、俺はこっそり隣にいる黎へと聞いてみる。

「遊びに?」

 黎はちょっと驚いたようにこっちを見て、それから苦笑する。

「まさかね。本当は今日、決行日だったはずよ。失敗したみたいだけど」

 ……決行日? はて。

「国外脱出」
「…………なるほど」

 こっそり逃げ出すつもりだったらしい。
 しかしあえなく失敗したと、そういうことなのだろう。
 哀れな。

「おい真斗! お前からも何とか言え!!」

 たまりかねた茜が、助け舟を求めてくる。

「そーゆうのはだな。和泉さんに言えって」

 ちなみに和泉さんというのは、俺の一個上の先輩のことだ。
 イリス達の元締め……というと語弊があるかもしれないけど、そんな感じのひとである。

「裄也じゃ話になるか!」
「俺じゃもっと話にならんて」

 俺の言葉なんて、イリスが聞くわけもねえし。

「由羅を何とかしろ!」
「……だってさ?」

 俺は受けたものを、そのまま黎へと送ってみた。

「残念だけど」

 肩をすくめる黎。
 どうやら姉としては、干渉する気は無いらしい。

「所長ー。茜が困ってるぞ?」
「のようだな」

 あくまでのんびりと、所長は頷く。

「助けてやらんの?」
「楓君にでも連絡するか? 妹さんが窮地だ、とでも」
「……あとで茜に殺されるって」
「はっはっは。おれも同意見」
「冷たいよなあ……俺たちって」

 とはいえ触らぬ神に何とやら、である。
 由羅はともかく、イリスにあれこれ意見する度胸は、俺には無い。
 見た目は小娘なのだが、本質は得体が知れないからだ。
 これは推測ではあるけど、あのアルティージェと同じか、それ以上に物騒なやつなんだと思っている。
 エクセリアだって、相当警戒してるっぽいし。
 あといつもイリスにくっついている凛が、とてつもなくうるさいのだ。
 厄介事はごめんなので、特に俺へと支障をきたさない限り、見て見ぬふりが一番なのである。……自分で言っておきながら、哀しくなるが。
 頑張れ茜。
 俺だって耐えているのだ。

「……真斗、何か自己完結してない?」

 鋭く黎が指摘してくるが、そこは素知らぬふりだ。

「ま……俺としても、茜には長くいて欲しいけどな。たぶんあいつが一番、由羅の扱いには長けてるし」
「そうね」

 あっさりと、黎は頷いた。
 と、ドアが開いて新たな人物が入ってくる。

「おお! 今日もみんないるな」

 入ってきたのは二人。
 東堂さんと上田さん。
 東堂さんは由羅やらイリスの姿を見て、嬉しそうに目を輝かしていた。
 ここ一年で、この事務所に出入りする女性がかなり増えたが、そのことに一番喜んでいるのが東堂さんである。
 何とも幸せなひとだ。
 一方沈んだ顔で入ってきたのが上田さん。

「相変わらず景気の悪い顔してるな。どうした?」
「いえ……いつものことではあるんですが」

 所長の問いに、それこそいつも通りの返事の上田さん。
 何やら毎日のように頑張っていることがあるらしいのだが、毎日のようにうまくいかないらしい。
 何をやっているかはともかく、結局上田さんは黎から離れず、事務所に残っている。
 黎の斥候としてなのか、アルティージェを捜すためだったのか――日本へとやってきた目的は未だに不明だけど、黎がどこにもいかないので上田さんもここにいついてしまっていた。

「……何だか、こういうのもいいわね」

 ぽつりと、黎が隣でつぶやいた。

「ん?」
「みんながいて、こうやって同じ場所で他愛もないことを話し合って……。家族とはまた違うけど、悪くないわ」
「今じゃ、お前もその中の一人だろ?」
「そう、なのかしらね」

 曖昧に、頷いてみせる。

「……そーいや由羅に頼まれてたんだった。お前に聞いてみてくれって」
「……ユラが?」
「ああ。俺も知らなかったんだけど、そろそろお前、誕生日なんだってか?」
「――そう、なの?」

 きょとん、となる黎。

「やっぱり本人も覚えてなかったか」

 予想通りとはいえ、何だかなあ。
 けど黎が生まれたのは二千年以上も前のことらしいし、忘れていても仕方ないといえば、そうなのかもしれない。

「……そんなこと、ここしばらくは気にしたこともなかったから」
「で、思い出せるか?」
「……それは大丈夫だけど、でも」
「そうなんだよ。お前が生まれた頃とは暦が違うからな。しょーがないんで俺が調べまくって、今の暦に直してみた。その結果、十一月十二日がお前の誕生日ということになったぞ」
「……来週ね」

 カレンダーを見て、黎は頷く。

「だな。それでだ。その日に由羅が、お前と一緒にどこか食事に行きたい、だとさ」
「…………」
「いいとこないかって、一生懸命調べてたぞ」
「……知らなかったわ。あの子がそんなことをしてたなんて」

 そりゃそうだ。
 あいつ、秘密でやってたしな。

「で、どうするんだ?」

 俺の問いに、黎は何も言わず、ただ小さく頷いた。
 ためらいはあったかも知れないが、迷いは無く。

「そうか」

 その答えに、俺は満足する。
 おっかなびっくりだった由羅も、喜ぶことだろう。
 以前のようにはいかないのかもしれないが、それでも今は今の形で新しいものを作ることができるはずだ。

「いいじゃないか。妹っていうのも、さ」
「……そうね」

 黎は、茜と何やら説得し合っている由羅を見つめた。

「一度見失ってしまった幸せだけど、また……見出せるかもしれない」
「そうだな」

 ――本当に、そうなればいい。
 この先どうなるのやら不安もいっぱいだが、ちゃんと希望もある。
 悪くない。
 そう思い、とりあえずは目先の騒ぎを、二人で見守ることにした。


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