第37話 エクセリアの答え

     /黎

 夜になって。
 わたしはそっと、その場を訪れていた。
 隣の部屋。
 この事務所を徐々に覆っていく、冷気の源。
 その結界された空間は、すでに凍っていた。
 中心に、氷漬けにされた妹の姿がある。
 やはり、その身に剣を受けて。
 その姿はこれまで幾度と無く見てきた。
 何も変わってはいない。
 しかし、変わったものもある。
 それはわたしの心境――この子を見る、わたしの気持ちが、違う。
 この憎悪の空間にいても、全くあてられない。
 むなしさでいっぱいだから、だろうか。

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「……どうして、どうしてわたしを殺さなかったの」

 理由など分かっている。
 それは、この子がユラだから。
 それ以外の何ものでもない。
 正直に、羨ましかった。
 その変わらない純粋さに。
 更に一歩、ユラに近づこうとしたところで。

「……ふうん?」

 声が、した。

「――――?」

 振り返る。
 そこには見慣れない少女。――いや。

「お邪魔するわ」

 そうとだけ言うと、少女は真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。

「――――あなた」

 わたしは知っている。
 この少女のことを。
 しかしその少女は何も応えることなく、ユラの目の前まで歩み、そして足を止めた。

「まったく……またこんな姿になって。手間が増えちゃったじゃない」

 唇を尖らせて、そっと手を伸ばす。
 ユラに突き刺さった、氷の剣に。

「な……」

 わたしは目を疑った。
 抜ける。
 あっさりと、身体から。

「う、そ……?」

 信じられなかった。
 その剣を抜ける者など限られている。わたしの知る限り、三人しかいないはずなのだ。この少女のことは知っているが、しかしその三人の中には入っていない。
 そんなわたしの心境などお構いなしに、少女は抜き放った剣をまじまじと見つめた。
 その目前で、氷が砕け散り、一気に崩れていく……。

「氷涙の剣(アルレシアル)、か。死神の鎌(タルキュートス)といい、持ち主を選んだり、対象を選んだり……。どうして観測者の作る武器というのは、こうも使いにくいものばかりなのかしらね」

 つぶやいて、剣を軽く振ってみせる。

「ねえ? そう思わない?」

 言うなり、無造作に剣を投げつけた。

「――――!?」

 完全に虚を突かれたわたしは、為す術なくそれを受けてしまう。

「か……あ……!?」

 一撃を受けたわたしは、その衝撃で壁際まで吹っ飛んだ。
 背をしたたかに打ち付け、かっけつ喀血する。

「ほうら。あなただと、全然凍ったりしないものね?」

 つまらなげにそう言うと、一歩進んでしゃがみ込み、倒れているユラへと手を伸ばした。

「起きなさい。こんなところで寝ていては、風邪をひいてしまうわ」

 その言葉に。

「あ……え……?」

 当たり前のように、ユラは目覚めた。

「なに……?」
「ぼんやりしないの。起きなさい、由羅」
「ん……あ。アルティージェ……?」
「そうよ」

 微笑み頷いて、少女――アルティージェはそっと、ユラを助け起こす。

「まったくあなたときたら、優しすぎるわ。あんなのに情けをかけてしまうのだから」
「あんなのって…………な」

 驚いた顔で、ユラがこちらを見た。

「ジュリィ……!? な、なんで」

 剣を腹に受け、溢れる出血の中に倒れるわたしを見たユラは、慌てて駆け寄ろうとする。
 ――それを、

「駄目よ」

 アルティージェは押しとどめた。

「どうして……!?」
「どうしてって。いい加減もう邪魔でしょう? わたしもあの女は嫌いだし、ちょうどいい機会だものね」
「で、でも……っ!!」
「由羅」

 ふっと、アルティージェはユラの耳元で、何事かささやく。

「殺してしまいなさいな。どうせもう、放っておいても死ぬしね? だったらあなたの手でしてあげるのが、一番だと思うの」

 妖艶に、そう告げる。
 それは一見、ただの言葉。
 けれど違う。
 言霊だ。
 一瞬にしてあてられたユラの顔から、表情が消える。
 あっさりと、精神を支配されてしまう。
 そして、ユラはこちらを見た。

「ほら」

 促されるまま、歩を進める。
 わたしを殺そうと、歩んでくる。

「…………」

 別に、構わなかった。
 死ぬことなど、別段怖くはない。
 ただ一つ思い残すことがあるとすれば……。
 苦笑する。
 違う。二つだった。
 一つはエクセリア様のこと。
 もう一つは、最後の最後までわたしに反対し続け、なのに協力してくれた、あのお人好しの真斗のこと。
 彼は、わたしが死ぬことすら嫌がっていた。
 ここで死ねば、どんな顔をするだろうか。
 しかも、ユラに殺されるなんてことに。
 その思わぬ未練に、おかしくなる。
 自分は本当に、死を覚悟していたのだろうか、と。
 ユラが、目前に迫る。
 その手がわたしを掴み上げようと伸ばされたところで。

「――何をしている」

 新たな声が、割り込んだ。
 ユラが飛び退く――その空を、短剣が薙ぐ。
 九曜さん……?

「あら」

 現れた九曜さんに、アルティージェは小さく声を上げた。
 そして笑う。

「誰かと思ったら……」
「お前は誰だ?」

 わたしの前に立ち塞がり、警戒もあらわに九曜さんはアルティージェとユラを睨みつけた。

「誰? そう。記憶までは無いの。残念ね」

 アルティージェはそうつぶやくと、左手を真横へと上げ、その瞬間光が溢れる。

 ゴォ!

「――――!?」

 咒法の爆発――いや、違う。これはユラと同じ力だ。規模は極端に抑えてあるものの、もっと洗練された……。
 その余波が収まると、部屋の壁に大きな穴が空いていた。

「あなたとはまたじっくりお話したいけれど、このままゆっくりしているとみんな集まってきそうだものね。せっかくエクセリアのいない時を見計らって来たのだし。だから今夜は由羅をもらうだけにしてあげる」
「なにを……?」
「じゃあね。おいで、由羅」

 こくりと頷いて、ユラはアルティージェの後へと続く。

「この……!」

 思わず追おうとした九曜さんだったが、踏みとどまった。
 ――わたしがいたからだ。

「黎――」
「いい、から」

 この時わたしは、ほとんど意識を失いかけていた。
 だから、冷静に判断できなかった。

「わたしは、いいから……。あの子を、追って。お願い……」
「――だけど」
「お願い……。あの子を、返して……」

 その時のわたしは、どこまでも身勝手な願いをしてしまったのだ。

「――わかった」

 九曜さんは頷いてくれて。
 それを見て、わたしは意識を手放す。
 その後のことはもう、分からなかった。

     /真斗

 夜になり、俺は自分のマンションを出た。
 今夜。
 茜の知り合いが、由羅をみてくれるというのだ。
 わざわざ茜が教えてくれたのだし、俺が同席させてもらっても問題はないだろう。
 そう思い、事務所の方へと向かう。
 そこへ。

「真斗」

 不意に、誰かが俺を呼び止めた。

「――お前か」

 俺の視線の先には、小さな人影が生まれ出している。
 空間から現れたそいつは、エクセリアに間違い無い。
 この脈絡の無い現れ方にはいい加減驚かなくなったが、それにしたって夜にいきなりやられると、さすがに少しは怖い。
 文句の一つでも言ってやろうと思ったが、口から出たのは別の言葉だった。

「お前、大丈夫なのか」

 エクセリアは頷く。

「今は安定している」
「そりゃ良かったけど。でもあの時どーしてぶっ倒れたんだ?」

 伏せ目がちになるエクセリア。そのまま、小さく口を動かした。

「我々は、精神が弱い……。一時の感情、混乱で、容易く思考が停止することもある。発狂しないための、一種のブレーカーのようなものだ」

 発狂って。

「あの時お前、そんなに……?」

 思い詰めていたのだろうか。

「大したことではなかったのかもしれない。しかし私の精神は小さく、幼い。ゆえに遮断値も低いのだろう。……そなたには迷惑をかけた」
「……謝ってもらっても困るけどさ」

 俺は少々戸惑いながら、頭を掻いた。

「……それで? それだけを言いに?」
「いや」

 ゆっくりと、エクセリアはかぶりを振る。

「そなたに、願いがある」

 願い?

「ユラスティーグ……由羅のことだ」
「……あいつがどうしたっていうんだ?」
「あの者に刺さったアルレシアル――あの剣を、私に引き抜かせて欲しい」
「――な」
「そなた……九曜茜が、死神に協力を求めたことは知っている。あの者ならば、容易であろう。だが……できることならば、私にさせて欲しい」
「お前……?」

 真っ白になりかけていた思考を、俺は何とか元に戻そうと努めた。
 剣を引き抜く。
 つまり由羅の封印を解くことのできる奴がいる。
 その一人が、エクセリアだと。

「できるのか……!?」
「あれは、私の妹の為したもの。同等の存在である私ならば、引き抜くことも可能だ。何より私が一度抜いているからこそ、ああしてあの者は存在していた」

 ……言われてみれば、そうだ。

「けどどうしてお前が? だってお前は……」

 エクセリアの目的は、自身から一度聞いている。
 由羅はもちろん黎までも、その存在を認めたくないということを。
 そのために、二人とも処分するつもりだったはず。

「今更のように気がついた、私の我侭だ。……私はもう、誰も失いたくない……」

 そう告げるエクセリアの顔は、まるで昨日見せた時のような表情だった。
 今にも泣き出しそうな……。

「感謝、すべきなんだろうかな」

 正直に、嬉しく思った。
 たぶん、今回のごたごたした中では――一番に。

「あの二人のことも、私から話してみようと思う。そなたの望みは、私の望みと同一であるから」
「なんか、昨日とは正反対のことを言ってるな」
「――そうだな。すまぬ」
「謝ることでもないだろ。別に、嘘ついてたわけでもないんだしさ」

 エクセリアが悩んでいたのは、昨日の姿を見れば分かる。
 あの後、新しい答えが出たというだけのことだろう。

「けどさ。またわざわざどうして俺なんかに言いにきたんだよ?」

 ふと疑問に思ったことを聞いてみる。

「……恐らくこの後も、私は悩み続ける」

 真っ直ぐにこちらを見て、エクセリアは言う。

「さまざまなことを。そうなった時に、助けになるものが欲しい」
「――それが俺ってか。けどどうして俺なんだ? 黎や由羅とか、妹だっているんだろ?」
「いる。しかし答えはくれぬだろう。誰もが皆、私には優しすぎるから」
「なんだ。俺は優しくないってか?」

 エクセリアはこくりと頷き、そして首を横に振った。
 何なんだよ、それは。

「そなたやアルティージェのような存在がいると、私に疑問を覚えさせる。それは、家族では為せぬことなのだと思う」
「……なるほどな」

 あまりに近しいものでは駄目ってことか。
 まあそういうこともあるかもしれない。

「だからそなたには、存在としてあり続けて欲しい。それが、そなたが私に尋ねたことへの答えでいいだろうか」

 尋ねたことへのって……。
 言われて、思い出す。
 黎に託しておいたやつだ。
 この後俺を、どうする気なのかっていう。

「つまり……まだ生きていられるってことだな」

 ――そうか。
 肩の力が抜けるのを感じる。
 俺は俺で、思っていた以上にこのことに対して緊張していたということか。
 あまり考えないようにしていたけど、やはりずっと気になっていたのだ。

「……ほっとした」
「そなたには迷惑をかけた」
「まったくだ」

 ――まだ色々と解決したわけではないが、少し先が明るくなってきたような気がする。
 俺一人じゃ駄目かもしれないが、エクセリアの協力があれば、あの二人のこともあるいは――と思わせてくれる。
 と、ふと思い出す。

「そういやさ。お前らって本当に家族なんだなって、朝見てて思ったよ」
「……朝?」
「ああ。お前、黎に子守唄を歌ってもらって、寝てただろ? あの様子がさ。お前はずいぶん無防備になってるし、黎は黎でえらく優しい顔になってたし。それに何ていうか、自然な感じがしたからさ」
「自然、か」

 しみじみと、エクセリアはその言葉を噛み締める。

「確かに、心地の良いものだと思う。とても懐かしいものを感じた。私はきっと、得られるかもしれぬものを、得ようとしなかったのだろう……」

 エクセリアがそうつぶやいた――その時だった。
 ズンッ、と鈍い振動が響く。

「何だ……?」

 その振動に、俺は反射的に周囲を見渡した。
 近い。
 この振動の源は。

「――――」

 エクセリアが、振り返る。
 その視線の先は――

「まさか!?」

 和んだ空気が一気に払拭された。
 嫌な予感が全身を伝う。
 俺はわき目もふらず、ただ事務所へと向かって駆けた。


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