第33話 アルティージェと名乗りし

「……?」

 さも当然のように、そいつはそこにいた。
 俺の知らない顔。
 淡くて長い髪をした女――いや、少女というべき年齢だろう。
 細い顎をつんと反らして、どこか見下すようにこちらを見ている。――いや、俺ではなくエクセリアを。

「なぜ……そなたがここに」

 僅かなりとも驚いた様子で、エクセリアが小さく口を動かす。
 顔見知りか……?

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「ふん、なぜですって? わたしがあなたに言ってやりたいことがないとでも思っているの? もしそうなのならば、少しは感心してあげるけど」

 少女が発するそれは、ひどく皮肉げな口調だった。
 どう聞いても、好意的なものには受け取れない。

「別段捜し出してまで文句を言ってやろうなんて、そんなつまらないことは考えなかったけれど、こうして近くに現れてくれたんだもの。せっかくなのだから、会ってやろうと思った程度よ」

 またずいぶんと高圧的な女だな……こいつは。
 けどそれ以上にこいつからは、敵意だか憎悪だか、それに近い感情が見え隠れしているような気がした。
 多少呆気に取られながらも、だからといって傍観しているわけにもいかず、口を挟みこむ。

「おい、お前、いきなり――」

 何だなんだと言おうとした瞬間、一瞥された。

「お黙りなさい。あなたとは話していないわ」
「な」

 こ、こいつ……。
 その言いように、俺は顔を引きつらせる。
 ……この女、とんでもなく態度がでかい。やたらめったら偉そうな雰囲気を全身から発散させてやがるし……。
 とにかく、むかむかとなる。
 だがそんな俺の気など微塵も気にした風も無く、そいつはエクセリアへと視線を戻した。

「……それにしてもエクセリア。あなた、今になってもそんな下らないことを口にしているなんて、正直呆れたわ。本当に愚かしいものね」
「…………」
「ふん? 何か言いたそうね」
「私が愚かだと?」

 エクセリアの紅い瞳が鈍く光る。思わず悪寒が走るような冷たい視線だった。
 こいつ、やっぱりただの人間じゃねえぞ……。
 しかし対する少女は少しも動じはしない。むしろ挑発するように口を開いた。

「そうでしょう? でなければ何だというの?」

 二人が睨み合う。
 俺はぞっとしながら、その光景を見ていた。
 今この場に満ちている感情の圧力は、黎や由羅のそれらを簡単に凌駕している。
 間に挟まれた俺は、何というか、最悪だった。

「あなたは自分の感情に気づいていながら、隠している。隠して、未だに下らないことに縋っているわ。怖いのかしら。それとも……レネスティアへの嫉妬?」
「――――」

 エクセリアの表情が、微かに凍りつく。
 構わずに、少女は続ける。

「簡単な証明をしてあげましょうか。……あなたがどうにかしたいと思う存在は何人かいるのでしょうけど、さしあたってはあの二人。由羅を始末して、その後はジュリィ。そしてそこの人間を片付ける。それでとりあえず、レイギルアの後始末はできるというわけね」

 …………?
 ちょっと待て。こいつ、今とんでもないことをさらっと口にしなかったか……?

「その手間、わたしが省いてあげるわ。――まずはその人間を殺しなさい。そうすれば、由羅はもちろんジュリィもわたしが始末してあげる。ジュリィを殺すのなど簡単だし、由羅も千年ドラゴンとはいえ、わたしにとってそれは問題にならないわ。そんなこと、あなたが一番知っているものね?」
「おいこらてめえ!!」

 さすがにたまらず俺は口を挟んだ。
 その声に、鬱陶しげに見返してくるそいつの姿が、また腹立たしい。

「……あなたに発言を許した覚えはないのだけど?」
「誰がてめえの許しなんぞを欲しがるか! だいたい何なんだ、いきなり出てきて勝手にべらべらしゃべりやがって! 挙句俺を殺せだと?」
「もう死んでいるくせに、何を今さら」
「て、てめえ……!」
「――エクセリア、何をしているの? 早く消してしまって。どうせ仮初の存在。ちょっと視線を逸らせば消えてしまう哀れな木偶。簡単でしょう?」
「いい加減に――」

 さすがにカッとなりかけた俺だったが、その刹那、身を翻した少女の姿に目を見張る。
 ――速い!

「くっ!?」

 俺が振り返るよりも速く、背後に回りこんだそいつに背を押される。
 軽くだったにも関わらず、バランスを崩して前のめりに倒れそうになった。
 だが――何とか踏み止まる。
 それが、命を救った。

「こ、の……っ!?」

 悪寒。
 ぞっとするそれに恐怖して、俺は何よりもまず、その場を思い切り蹴った。
 飛び退く――そこを、何かが一閃する。

「……ふうん?」

 きょとん、としたように、そいつは声を洩らした。

「避けたの。少しはできるのね」

 そう言って、手にしている物騒なものを、自分の肩へと置く。

「こ、こいつ……」

 そいつが持っていたのは、剣というには長すぎて、槍というには刃の長すぎるという武器だった。
 ぱっと見ただけでもまともな重量のものでないと分かるのに、そいつは片手で軽々と持ち、肩に置いている。
 ふと地面を見れば、さっきまで俺がいた場所は深く抉られていた。
 もし地面に倒れこんだままであったら、俺の身体は両断されていただろう。

「てめえ……殺す気か?」
「だってぴーぴーうるさいんだもの。エクセリアも煮え切らないし。だったらわたしがしてあげるわ」
「…………っ」

 絶句する。
 こいつ――とんでもない奴だ。
 何者かは知らないが、まともじゃない。

「逃げてもいいのよ? けれど今度は」

 そいつは手にした槍剣を地面に突き刺すと、すっと片手をかざす。

「粉々にしてあげるわ。逃げるのなら、わたしの視界全てから逃げないとね?」
「てめえ、全部吹っ飛ばす気か!?」

 何か得体の知れない力が発動しているのが否応無く分かった。
 しかもそれは、俺が今まで感じたことが無いほど、強力なものだ。
 かざしたそいつの指先がぼんやりと光り出し、こちらに狙いを定めてくる。

「だって、それなら逃げられないでしょ? ううん、逃げても無意味、ということになるものね。でも努力はしていいんじゃない?」

 無意味な努力でもしろと、そう言いたいのだろう。
 完全に、弄んでやがる。

「まだ他に人がいるかもしれないんだぞ!? 第一あの二人だって――」
「あら、一人で逝かなくてすむというわけね。良かったじゃない」

 本気でそう思っているかのような口調で、事も無げに言う。
 くそ――冗談じゃ……!
 俺が何の活路も見出せずにいるその時。音も無く、誰かが俺の前に立った。

「お前……!?」

 小柄な人影――そいつは紛れも無く、エクセリアだった。
 まるで俺を庇うように間に入り、あいつを見返している。

「……何の真似?」
「…………」
「ふうん……。嫌なのね。その人間を殺されるのが」
「理由はどうあれ、私が一度認識したものを、勝手に他者に否定されたくはない」

 その言葉に。

「ふふ、あははは」

 また、そいつは可笑しそうに笑った。
 そして発動していた咒法を消し去る。
 あまりにもあっさりと。

「そうね、それが観測者というもの。レネスティアを見ているから、よくわかるわ。でもだからこそ、あなたは愚かだというの。今わたしがやったことと同じことをあなたがしているということ。それを理解していないのだから」
「――――」
「ふうん? そんな顔もできるのね。けれどもう遅いわ。今までの貸しは返してもらう」

 そう言い、そいつはそっと歩み寄ってきた。
 無視するようにエクセリアの横を通り過ぎ、俺の前まで来て足を止める。
 思わず身構える俺の前で、そいつは見上げて微笑を作った。
 ――今までの敵意のようなものは、一切消えていて。
 なんだ……?

「真斗、少々脅かしすぎたけれど、許してね?」
「はあ……?」
「そんな馬鹿みたいな顔しないで。あなたは由羅のお気に入り。あの子の大切なものを、わたしが奪うわけがないじゃない」

 それは皮肉でもあった。
 俺へではなくて、多分、エクセリアへの。
 そんな気がした。

「お前……?」
「お前、ではないわ。もちろん、てめえ、でもね」

 そう前置きすると、そいつは一歩下がって優雅に一礼してみせた。

「わたしはアルティージェ。そう呼びなさい。由羅のパートナーということで、特別に許してあげるわ」
「な、ちょ、お前……?」
「だからお前ではないと言ってるのに」

 唇を尖らせて拗ねるように、そいつは言う。

「殺されながらも由羅を選んだあなたには、それなりに感心しているのよ? 人間にしては……とね」
「お、おい、こら―――」

 一方的にそんなことを言われ、俺は戸惑うしかなかった。
 ほんのさっきまでは、こいつに殺されそうになっていたっていうのに、いきなりそんなことを言われても、簡単に整理できるものじゃない。

「今日はあなたに任せて引いてあげるわ。ちゃんと由羅を助けて、ジュリィを殺しなさい。そうすれば、あなたの存在は助けてあげるから」
「な……?」
「いいこと? 確かに言ったわ」

 それを最後に。
 そいつ――アルティージェと名乗った少女は、そのままこの場から立ち去ってしまう。
 いったい何だってんだ……?
 しばし呆然と見ていた俺だったが、やがて我に返ってエクセリアへと視線を戻した。

「……あいつ、何なんだ? いきなり現れて、いったい何を……」

 俺が声をかけても、エクセリアは黙ったままだった。
 俯いていて、顔色も見えない。

「おい、こらって」

 俺は頭を掻きながら、その場にしゃがみ込む。
 そうやって、エクセリアの顔を見上げて。
 息を呑んだ。

     /黎

「っあ!」

 わたしの一撃を受けて、由羅は吹き飛び背に当たった木を砕く。
 常人なら内臓破裂で死んでいるだろう威力だったけれど、それでもユラにとっては致命傷にはなり得ない。
 それでも痛みが無いはずもなく、顔を苦痛で歪めてこちらを見返してくる。
 わたしは追い討ちをかけようとしたが、できなかった。
 理由は二つ。
 一つは体力の温存。
 ユラと闘い始めてから、わたしは大した傷を負ってはいない。ユラがほとんど守りに徹しているからだった。
 そのせいで持久戦になってしまっている。
 そして徐々にではあるが確実に、わたしの体力は損なわれていた。
 今日一日真斗と市内を回り、微量ではあるが、少しずつ周囲の人間から生気を吸収し、得ることができた。
 そのおかげで、思った以上に回復させることができている。
 しかしずっと一緒にいた真斗のものまで奪ってしまい、きっと彼はずいぶん疲労していることだろう。それは申し訳なかったが、感謝している。
 だが回復したとはいえ、万全には遠い。
 しかもこうして闘っていることで、限界が近づいてきていることも、認めなければならなかった。
 このままユラに決定打を与えなければ――この剣を突き刺さねば、いずれわたしは敗北するだろう。
 どんなに傷つこうと、相手は千年ドラゴンだ。
 例え頭を砕いたところで、蘇ってくる。
 もはや、無駄に体力は消費できない。
 …………いや。
 わたしは顔をしかめた。
 考えたくもないことが、脳裏をよぎってしまったから。
 けれど一度浮かんでしまったことは、なかなか頭から離れない。
 ――もう一つの理由。
 それは、ユラの狙いだ。
 彼女の目的は、持久戦に持ち込むこと。
 体力を削り合っていけば、やがてこちらが不利になる。それを狙ってのことだと、当初は何ら疑わなかった。
 けれど今になって、疑問を覚えてしまう。
 本当にそうなのか、と。
 こちらの状態は万全ではない。これまでの交錯の最中、わたしも体勢を幾度も崩し、隙を作ってしまっている。
 ユラがいくら闘い慣れしていないとはいえ、全くの素人というわけでもないのだ。そんな隙を、見逃すはずがない。
 おかしい、と思った。
 変だと。

「……ユラ」

 わたしは倒れ込んでいるユラへと、声をかける。

「いったいどういうつもり? いくらなんでもあなたには意欲が無さ過ぎるわ。単に片手が使えないからだけだとも思えない……。何を考えているの?」
「……別に、何も考えてなんかないもの」

 答えて、よろりと揺らめきながら、ユラは立ち上がる。

「嘘ね。あなたはさほど馬鹿でもないわ。何も考えてないなんて、言わせない」
「…………」

 どうしてこんなにも気になるのだろうと自問したくなるほどに、わたしは思考を巡らしていた。
 ユラが何を考えているかなんて、関係無い。
 ただ倒し、もし逆にやられれば、それはそれまでというだけ。
 どちらにせよ、わたしは終われる。
 それで、いい。
 けれど。
 何かがやっぱり引っかかる。
 ユラのことが気になる。
 何を考えているのか。
 まるで、ずっと昔のように。
 わたしが、姉であった頃のように。

「――――」

 はっと。
 わたしはそれに気づいてしまう。
 ユラの、目的に。

「あなた……」

 考えてみれば簡単なことだった。
 ユラは何も変わってはいない。
 今も、昔も。
 ならば。

「…………守るつもりなのね。真斗との約束を」

 そう言えば、ユラは微かに目を見開いた。
 その軽い驚きも、すぐに消えはしたが。

「………そうよ」

 淀みなく、頷く。

「あなたって子は………っ」

 まるで、あの時と同じような苛立ちだった。
 ユラが、お兄様を拒絶したのを目の当たりにした、あの時のような。

「どこまでいい子ぶるの……?」
「違う……私はそんないい子じゃない。頭だって悪いけど、決めたことは絶対にやり通すことくらい、やってみせる。それだけだもの」
「ユラ!」

 思わず、叫んでしまっていた。
 感情が溢れてしまう。
 ……ユラは真斗との約束を、この期に及んでなお守るつもりなのだ。
 もう誰も殺さない、という約束を。
 ユラが持久戦を望んでいることは、もはや間違いない。ただし、その目的は違う。
 わたしを殺すためではなく、わたしを傷つけずに倒すためなのだ。

「……私は何度だって、受けてあげる。私はそうそう死ねない身体だから、何度だって。ジュリィが許してくれて、諦めてくれるまで」

 体力の削り合いに終始すれば、先に力尽きるのはわたしの方だ。そうなったら行動不能になり、しばらくは動くことはできなくなる。
 もしその後体力を回復させて、挑んだとしても、ユラはまた繰り返すと。
 わたしを傷つけずに、倒す。
 どれだけ時間がかかろうと、確実な方法だ。
――『確実な方法があるのなら、どんなに大変でもやってみせる!』――
 初めユラはそう言っていた。
 それはこういうことだったのだ。

「どうして……そこまで。そこまでして、真斗に……」
「……わたしはきっと、真斗のことが好きだから」
「――――」
「ううん……そう思いたいだけかもしれない。でも、とっても感謝してる。どんな理由があったって、わたしは真斗を殺した。なのに許してくれて、良くしてくれて……。今になっても、わたしの敵にならなくて……。本当に、嬉しいから」
「……それだけの理由で?」
「充分だもの。だってそのおかげで、あの時のように……狂わずにいられるんだから。そうなりそうだった私を、救ってくれたから」

 そうきっぱりと言うユラを見て。
 違うと思った。
 同じだと思ったけれど、違う。――あの時のユラとは。
 あの時のユラは、大切なもののために、選ぶことができずに身を引いた。
 でも今のユラは、身を張って立ち向かっている。
 優しくて、純粋なところは変わっていないけれど、ずっと強くなった。
 ――それに比べて、わたしは……。

「……わたしが許すと思っているの?」
「わからない。でも、やるしかないもの……!」

 ――どうしてこんなに、この子は。

「…………っ!」

 どうしようも無く溢れる感情に押し出されるように。
 再びユラへと、わたしは剣を振りかざした。


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