第32話 糸口

第32話 糸口

「――――?」

 思わず声のした方向を振り向いた途端――

「おわっ!?」

 何かに体当たりされた。
 いや、抱きつかれたのだ。

「おまっ……由羅――!?」

 俺は驚いて、抱きついてきた奴の名前を口にした。
 ふわりとした淡い金髪が、視界一杯に広がっている。
 間違いなく、あいつの髪。

「お願い……私と来て!」
「お前、いきなり……」

 俺は慌てて由羅を引き剥がそうとしたが、馬鹿力で抱きしめてくる由羅の腕はびくともしない。

「――そんなに真斗が欲しいの?」

 半ば混乱しかけていた俺の思考に、冷たい声が差し込まれる。
 黎だ。

「そうよ!」

 先ほどまで見せていた表情など微塵もなく、冷たく言う黎へと、由羅は睨み返しながら答える。

「もう……いいじゃない! 真斗が傍にいてくれれば、私は何もしない。ちゃんと真斗の約束だって……。だから返してよ!」
「返す?」

 黎は鼻で笑う。

「何を言ってるの? 彼はね、あなたが殺して捨てたのでしょう? それをわたしが拾ったの。自分勝手な言い草ね。第一真斗は、あなたの所有物なんかじゃないわ」
「そん……なの。でもジュリィのものでもないじゃない!」
「いいえ、わたしのものよ。ねえ?」
「違う違う違うっ!」

 髪を振り乱して、由羅は叫ぶ。
 その表情は必死で、まるで余裕がなかった。

「違う……そうでしょ真斗!?」
「お前、ちょっと落ち着けって」
「わたしは落ち着いてるもの!」

 いや全然そうは見えないって。

「いいから真斗……一緒に来て! お願いだから……!」
「わかっていないの? 真斗は……」
「知ってる! でも何とかなるから……そうできるって言うから――」

 その言葉に、黎は目を細めた。
 何かを察するように。

「人形にでもして、支配する気かしら……?」

 ぴくりと、由羅が反応する。

「彼女の入れ知恵、ね……。その行為自体の良し悪しは言わないけれど、そんなことをわたしが黙って見過ごすとでも思うの?」
「う……」
「もし真斗があなたの手に渡ったら、わたしは彼を殺すわ。別に傍にいる必要はない。エクセリア様にお願いすれば、それですむのだから。あなたは依存する相手を失い、かつてのように自制を失って……。それはそれで愉快かもね? きっと、レネスティア様の目にも届くでしょうし」
「そんな……!」

 ひどい、と由羅は歯を噛み締める。
 同時に、怯えているようでもあった。
 ……黎の言うことは、本心ではないだろう。あくまで由羅への挑発だ。
 たとえ本心だったとしても、俺にはどうすることもできない。

「だったら奪いなさい。わたしからね。かつてお兄様を奪ったように」
「…………っ! ……でも、真斗との約束……」
「ふん、彼の前ではいい子ぶるの? 偽善もいいところ。もう何人も殺してるくせに」

 その言葉は決定的だったのだろう。
 由羅はカッとなって、黎に飛びかかろうとする。

「こら待て!」

 俺から離れて飛び掛ろうとした由羅を、今度は俺が掴まえた。

「な――離して真斗! あんな女、殺してやるんだから!」
「いい加減、その短気治せ馬鹿!」
「馬鹿じゃないもの!」

 思わず言い返す由羅だったが、とりあえずは止まってくれた。
 俺は溜息をつくと、黎と由羅との間に割って入る。
 そして言った。

「いい加減さ。決着つけてしまえよお前ら」
「え……?」
「真斗……?」

 二人は同時に、訝しげな視線を向けてくる。

「俺は部外者だから、本当は関わるべきことじゃないのはわかってる。けど、巻き込まれちまったからな。あんまり騒がしいのも迷惑だ。だからとっとと終わらせろ」
「でも、決着って……」

 由羅がこちらを見る。

「ああ。もう遠慮なくぶつかり合えよ。言葉で言い争うのは、まあ平和的で結構かもしれんけど、はっきり言って見苦しいしな。そんなことより直接ぶつかった方がまだいい」
「……確かにね」

 頷く、黎。

「恨みつらみを言葉にしていても、終わらないわ……。ではユラ、殺し合いましょう」
「……別に殺し合って欲しいわけじゃないんだけどな」
「でもわかっているのでしょう? そうなることくらい」
「……ああ」

 俺は頷く。
 二人がぶつかり合えば、それは凄惨な殺し合いになるだろう。

「けどな、やっぱりそれは俺の希望だ。できたら二人とも、覚えていて欲しい」

 黎は答えない。
 由羅は何かを言いたげに俺と黎を交互に見ていたが、やがて黎へと視線を定める。
 そして、言った。

「私はもう、負けたりしない」
「どうかしら」
「あの時とは、違うもの」
「どう違うと言うの?」
「もう絶対に譲る気がないから」
「…………」

 それをどう受け取ったのか、黎はふんと鼻をならすと、その手にいつもの剣を現す。
 刀身の透けた、氷の剣。

「ユラ、今でもわたしのことを姉と思っている?」

 その問いに、由羅は少々目を見張ったが、やがて小さく頷いた。

「……うん」
「わたしはあなたを妹などとは思っていないわ」

 対照的に、吐き捨てるように言う黎。

「だからあなたはわたしに勝てない。甘すぎるもの」
「…………っ」
「真斗。手出しは」
「しない。好きにしろ」
「……良かったわ」

 それを最後に。
 黎は一気に由羅の元へと駆け込んだ。

 まず放たれる一撃。
 氷の剣の刃が、空を切る。
 その剣の脅威を充分に理解しているからか、由羅は受けようともせず、黎からの攻撃をかわし、間合いを取りつつ地面を駆けていく。
 それを追う黎。
 黎の一方的な攻撃に対し、由羅は後手後手に回り、反撃の機会を掴みかねているかのように、見える。
 一見不利に見える由羅だったが、それだけが全てではないようにも思えた。
 冷静に闘っている。
 少なくとも俺は、そう感じた。
 あいつの表情に真剣そのもので余裕など見えなかったが、焦りも見えない。
 何かを狙っている。
 俺がそれを察するよりも早く、黎は気づいていたようだった。
 ブンッ! と剣が舞い、しかしそれが捉えたのは僅かな髪の毛のみ。
 さらさらと毛が風に飛ばされる向こうで、由羅が地面に着地する。
 再び、二人の間に距離が生まれる。

「ふん、らしくないわね」

 面白くもなさそうに、黎は言う。

「持久戦とは」
「…………」

 黎の指摘に、由羅は何も答えない。
 しかし当たっているのだろう。

「まあ間違っているとは言わないわ。お互い深手を負ったのだもの。けれどあなたに比べ、わたしはそこまで回復していない。元々体力勝負では、あなたのような化物には敵うはずもないのだから」

 由羅の奴がどこまで回復しているのかは分からないが、体力という点では黎の方が分は悪いのだろう。
 だからこそ、改めて俺に協力を求めてきたのだから。

「……私はジュリィほど、強くないもの」
「そうね。技術ではあなたはわたしに敵わない。例えあなたの方が力があっても、当たらなければ意味はないものね」
「…………」
「だからわたしの疲れを誘う持久戦は、悪くないわ。疲れれば、わたしも鈍る。けれどこれじゃあ……つまらない。これも、彼女の入れ知恵?」

 どこか嘲るように言われ、由羅はキッと睨み返した。

「……私は負けないもの! 確実な方法があるのなら、どんなに大変でもやってみせる!」
「ふん、それはどうかしらね? 確かに悪くはないとはいえ、それが確実というわけでもないでしょう? わたしの手数はあなたに比べるべくもないわ。その全てをかわし、あるいは受けきることができるのかしら。――それに」

 すっと、黎は剣先を由羅の左手へと定めた。

「片手が使えなさそうだけど、大丈夫かしらね?」

 そう言われ、由羅は思わず左手を庇うように、右手で押さえる。
 図星なのだろう。
 例の刻印が原因なのか何なのか、確かに由羅は左手を庇っているように――使わないようにしていた。

「……ジュリィなんて、片腕で充分だもの」
「よく言うわ……。逃げ回ることしかできないくせに!」

 再び始まる両者の闘いを視界に入れつつ、俺は少しずつその場を後ずさった。
 持久戦ならば、それはそれで好都合だ。
 そう思いながら。
 俺は戦場を後にした。

 二人のいる場所より少し距離を置いたところで、俺は足を止めた。
 すでに太陽は沈んでしまっており、周囲は暗く、不気味なほどに静かだ。

「おい。話があるから出て来い」

 俺はまず、どこにともなくそう言い放った。

「どうせどっか近くで高みの見物してるんだろ。エクセリア……って言ったっけか」

 それだけ言ってから、俺はその場に座り込む。
 ……黎と由羅をけしかけたとはいえ、別段本当に二人が決着をつけるのを望んでいるわけではなかった。
 ただし、俺がどう足掻いたところでどうにかできる可能性も低い。
 だったらと、俺は考えた。
 そこで思い出したのが、エクセリアとかいう奴だ。
 あの二人とは因縁があり、黎へと協力しているらしく、しかも俺を生かしているとかいう……。
 昨日会ったが、わけの分からんことを一方的にだけ言って、消えてしまった。
 ともあれ、そいつがあっさり出てくるかどうかは賭けだった。
 俺はあいつがどんな奴なのか知らない。
 そんな奴が、ここで成り行きを見守っているかどうかなど知る由もなかったし、更に俺に応えて姿を現すかなど、分かるわけも無かった。
 それでも、もう俺にはそいつしか糸口を見出すことはできていない。
 ここで現れなかったら……全て終わりだろう。

 ――どれくらい、待っただろうか。
 そんなに長くはなかったと思う。
 せいぜい一、二分ほど。
 それでも俺には、何時間も待っていたような気がした。
 それだけに緊張していた証拠だろうか。

「よう」

 目の前に、何の脈絡も無く現れたそいつに向かって、俺は軽く声をかけた。
 そいつはただ無表情で、何を考えてこっちを見ているのか、少しも分かりはしない。

「私を呼んだのか?」

 冷たい声が響く。
 相変わらず、気圧されそうになる雰囲気。

「ああ。会いたかった」

 そう答えると、そいつ――エクセリアは、僅かに顎を引いて顔を傾けさせる。
 どうやらその理由を求めているらしい。

「話したいことがある。色々な。昨日会った時に話せれば良かったんだけど、お前あっさり消えちまったからな」
「……昨日?」

 俺の言葉を不審に思ったかのように、エクセリアは微かに表情を変える。

「私が、そなたに?」
「夜に由羅のマンションの前で会っただろ? 人のことをじろじろ見回すだけ見回して、どっか行っちまっただろうが」

 そう答えながら、俺も引っかかるものを感じた。
 印象が違う。
 昨日の奴と、今目の前にいる奴とでは。
 そういや昨日も印象が違うって……。でも一昨日と今日のとでは、同じに思える。

「……その者は、何かそなたに語ったのか?」
「その者って、お前なんだけどな」

 見間違うなんてことは無い。どう見ても、容姿は同じだ。

「何も言わなかったのか?」

 俺の言葉など無視するかのように、エクセリアは質問を繰り返す。

「言ってた……と思うぞ。いい機会だとか、自分に応えろとか……」
「…………」

 エクセリアはしばし考え込むかのように視線を逸らしていたが、やがて視線を戻してきた。

「それで、話したいこととは?」
「決まってるだろ。今あっちでやらかしてる……あの二人のことだよ」
「…………。それについては、私も聞きたい」

 すっと、こちらを見据えてエクセリアは言う。

「なぜ、そなたはジュリィを選ぼうとしない。この期に及んで、未だにユラスティーグに意識を傾けるのは、何故だ?」

 それはまるで、糾弾でもされているようだった。

「不満、なのか?」
「不満?」
「ああ。お前は黎に協力してるんだろう? でもって、俺が生きてられるのもお前のおかげらしいな。――だっていうのに、俺は全面的に黎に協力していない。今この瞬間だって。だから不満……なんじゃないのか?」

 そう言ってやると、エクセリアは戸惑ったような表情を浮かべる。

「不満に……思っているのだろうか、私は。そなたには、そう見えるのか?」
「さてな。けど多分、今の俺と似たような顔してるんだと思うぜ」
「そなたにも、不満があると?」
「無いわけないだろ」

 思わず苦笑いして、俺は頷く。
 あいつら二人のこともそうだし、自分自身の生死についてだって。

「……そなたはユラスティーグに殺されている。生きているように見えるが、それも私がそう認識しているからに過ぎない。だが記憶は全て戻ったはずだ。私が考える人間の感情というものでは、自分を殺そうとする相手に対して、普通好感は抱かぬものではないのか?」
「だから俺が由羅のことを気にする理由がわからない、か?」

 エクセリアは頷く。
 本当にそう思っているのだろう。
 そんなエクセリアへと、俺は答える。

「普通はそうだろ。ただ俺の場合、順番が入れ代わったせいで、そんなふうに単純にはいかなくなったんだよ」

 多分、それが頭を悩ませてくれた原因。

「順番……?」
「ああ。俺、記憶無くしてただろ? あいつに殺された時の。だから今の俺にとって初めてあいつにあったのはあの夜じゃなくて、次の日の朝ってわけだ。しかもその後俺は何も知らずにあいつのことをかまってたからな……。そんなことしてるうちに、そこそこあいつのことを気に入ってしまったんだろうさ。だからその後に記憶が戻っても――まあ何だ。そういうことになったんだよ」

 俺は軽く肩をすくめて言ってやる。

「…………そうか。原因は、私自身か」

 目を伏せて、エクセリアはぽつりとつぶやく。

「……でもって黎だけど、あいつはあいつで俺は借りがある。あいつがいなければ、いくらお前がいたからって俺は死んだままだったんだろ?」
「……確かに。そなたのことについて頼んだのは、ジュリィだ」
「つまりだ。あいつの目的はどうだったにせよ、俺はあいつのおかげでここでこうして存在してられる。まだまだ死ぬつもりなんかなかったから、それはそれで嬉しい。あまり死んだっていう実感はねえけど、それでもあんな記憶を思い出しちゃな……」

 由羅にやられた時の記憶。
 あれは生々しいし、正直思い出して気持ちのいいものではない。
 それでもあの記憶がある以上、俺もどうしようもなかったというのだけは、分かってしまう。

「そなたの記憶を、調整すべきではなかったのかも知れない。しかしそうしなければ、あの記憶の印象を薄め、客観的に把握することはできないであろうと、私は判断した。もし目覚めと同時に思い出せば、そなたの気は狂い、精神に異常をきたしていただろう」
「……一応、気遣ってくれたってわけか」

 俺に記憶が無かったのには、それなりに理由があったということか。

「人は心が病めは、身体も病む。心が死ねば、身体も死ぬ。そういうものであると、判断している。……そなたを利用すると決めた以上、安定した状態に保つことは、ジュリィとの協力において、不可欠だと思った」
「……なるほどな」

 俺は頷く。

「けど皮肉だよな。万全を期そうとしたせいで、こうなっちまったんだから」
「わたしはよく、運命のような力の前に、阻まれる。恐らく、此度もまた……」

 その言葉に、俺は僅かに違和感を覚えた。

「……なあ。お前がジュリィに協力している理由は何なんだ? あいつの話だと、頼まれて力を貸しているみたいだったけど、それだけなのか?」

 この少女は、ただ単に黎に力を貸しているだけなのだろうか。
 それともこいつ自身に何か目的があるからなのか。

「……それを聞いて、どうする?」
「理由によっては、お前を何とか説得して、あの二人をどうにかしてもらおうって思ってな。言っただろ? 俺はあの二人の状況に不満なんだ。もちろん俺の我侭だけど、あいつらに殺し合って欲しくないんだよ」

 それを聞いて。
 エクセリアは、その赤い瞳をこちらに向けた。

「それは、わたしの想いとは対照的な意思だ」
「……なに?」
「わたしはイレギュラーなものを認めることを、良しとしない。存在を、存在以上のものとして認識することを、罪悪と……考えている。ちょうど、今のそなたのような存在を」

 ……?

「どういうことだよ?」
「ものはもの以上であってはならない……。そうでない在りえぬものは、容易に世界を乱す。狂わす。そういった要因は、排除しなければならない」

 一体何を言おうとしているのか分からず、俺が顔をしかめた時だった。

「ふふ……あははははっ」

 ――なんだ?
 突然響いた笑い声に、ぎょっとなって俺は振り返る。

「いったい何の世迷言なのかしら。そんなものが、あなたの意思だとでも?」


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