第31話 たまさかの逢瀬というには③

第31話 たまさかの逢瀬というには③

「はー……疲れた」

 目的の所までやってきた俺は、手摺にもたれかかって遠くを見る。
 ここはまだまだ途中の場所だが、視界が開けていて、京都の町並みを遠くまで見渡せる。
 個人的に気に入っている場所だ。

「どうだ? けっこう見晴らしがいいだろ?」
「そうね……」

 隣にやってきた黎は、頷いて、同じように遠くを眺めやる。

「清水寺なんかでも見えただろうけど、こっちの方が落ち着いて見られるしな」

 時間帯のせいもあるだろうが、あそこに比べてここは、人の姿はほとんどない。
 今までずっと人の多い所にいたせいもあってか、妙に落ち着けた。

「良いところ、知っているのね」

 満足そうに、黎は言う。

「悪いところではないっていう自信はあるけどな」

 とはいえいくらここに住み始めたとはいえ、隅から隅まで完璧に知っていて、把握しているわけじゃない。
 俺が行ったことがあって、そこそこに良かったと思える場所を案内しただけだ。
 きっとまだまだ、いいところというのはあるのだろう。

「お前はどうなんだ?」

 何となく、俺は聞いてみた。

「え?」
「だから、いいところ。ずっと生きてたんだろ? だったら俺なんかよりもずっと……知ってるんじゃないのか?」

 もっともそれは異国の話になるだろう。
 それでも興味はある。

「さあ……わたしはあまり知らないの」

 苦く笑うように、黎は答える。

「そうなのか?」
「わたしはね。人生のその大半は、引きこもっていたから。情報として常に周囲のことは把握していたけれど、そういう感傷に浸れるような場所は、心得てはいないわ。つまらない女だと……思うでしょうけれど、ね」

 自嘲といえば、それは自嘲のようにも見えた。
 僅かとはいえ、自らを恥じるかのように。

「お前……」
「千年……二千年。今見える風景、町、山、川……。それらはいつからそこにあったのかしら。たとえ千年前からそこにあったとして、ここから今見えるものと、同じだったのか。……答えは否。きっと、少しでも何かが変わっていると思う」

 独白するように、黎はつぶやいた。

「わたしだって、少しは知っていた。お兄様と歩いた場所、妹たちと遊んだ場所……。どれも素敵な思い出だったと思うわ。でも今は、何一つ残ってはいない」
「思い出も?」
「ええ、そう。今となっては苦い思い出に過ぎないわ」

 なぜ黎がそんな風に言うのか。
 それは、あいつのことがあるからだろう。

「お前、さ」

 遠くを眺める黎の横顔を見ながら、俺は聞いた。

「結局……どうしたいんだ?」
「それはユラのことを、という意味?」
「それもあるけどな。今聞きたいのはその先のことだよ。もし、お前の目的通りあいつをどうにかして……その後は」

 こいつが今まで生きてきた理由は、由羅への私怨だ。
 それだけのために、馬鹿みたいに長い年月を生きてきた。
 ならば、それを果たしてしまったら、黎はどうするのだろうか。

「なるようになるだけでしょう」

 あっさりと、黎は答える。

「どういうことだよ?」
「だから、なりゆきのままに。あの子が死ねば……もしくはわたしが想いを果たせたと感じ、納得してしまったら。恐らく、生きてはいられない」

 死ぬ、と。
 それが何でもないことのように、黎は言った。
 そのせいか、俺も冷静に受け止めてしまう。
 あまりに実感を覚えなかったからか。

「満足したから、もう死ぬってか?」

 黎は首を横に振る。

「そう思ってもらっても構わないけれど、そこにわたしの意思は関係ないの。もっと、必然的なことだから」
「だから――」
「どういうことなのか、と言うのでしょ?」

 黎は微笑する。

「真斗。人はね、長くは生きられないものなの」
「普通はな」

 俺は頷いたが、そうでないやつだっているのだ。
 あくまで今までの話を信じるのならば、だけど、由羅や今目の前にいる黎だって、生まれはずっとずっと昔である。しかも、千年単位の。

「せいぜい二百年。少なくともそれが、人間として生まれてきた存在の限界だと、わたしは今まで見てきて悟ったわ」
「二百年……?」

 その数字は、俺から見ればもちろん長いものだが、黎たちからみれば決して長くはない。むしろ、短すぎる。

「たとえ肉体的には老いることがなくても、老いるものはあるの。ここがね」

 右手で自分の胸を指す黎。

「心……精神。これはどんなに肉体が若々しくても、どうしても時間と共に老化していってしまうわ。だからまず心が、存在していられなくなる」
「そういうものなのか?」
「そうだと思う。今まで見てきてね」

 俺は頭を掻いて、素朴な疑問を口にした。

「じゃあ何で……お前や由羅は、生きてられるんだ?」
「確かにわたしもユラも、人間であったことには違いないわ。けれどあの子は生まれ変わっている。千年ドラゴンというものにね」
「そうなると、大丈夫……っていうことか」
「違うわ。逆よ」

 否定されて、俺は顔をしかめる。

「ああなって、肉体的には信じられないほどに強靭なものとはなった。けれど、精神的にはその逆。人間であった頃より、遥かに脆弱になったのよ」
「そう……なのか?」
「ええ。言ったでしょう? あの子は今、何かに依存しなければ己を保てないわ。しかもその相手は、自分を支配できるほどの強い存在でなけれなばらない。自分の精神を、誰かに守ってもらわなければならないほどに、自身は弱いのよ」

 また、黎が笑う。哀れむように。

「もしそれができなければ、あっという間に心は乱れ、精神は崩壊する。それを何とか防ごうとするために防衛本能が働くけれど、それは他者――主に弱者を嬲り、殺すことで、自身の存在を強いものであると認識させ、また自分もそうして、己を保つというもの。けれどそんな殺戮程度では、長くはもちはしない。徐々に壊れていくことになる。かつてのユラがそうだったように」
「でも、あいつは今も生きてるだろ?」

 それに初めて出会った時のあいつは、確かに普通ではなかったが、それでもそこまで常軌を逸しているようには見えなかった。
 壊れかけた人間――にはとても見えない。

「それはあの子が完全に壊れてしまう前に、レネスティア様に支配されてしまったからよ」
「誰だよそれ?」
「魔王の契約者。三人目の魔王であるクリーンセスの時、ユラは目覚め、そしてクリーンセスを殺してしまったの。そのせいでユラはレネスティア様の怒りを買い、二百年もの間、あの方に苦しめられることになったわ。けれど皮肉なことに、その二百年の間自分以上の存在者に縛られ続けたことで、崩壊寸前までいっていたユラの精神は回復してしまったのよ。そして封印されて――目覚めて。あなたと出会った時のあの子は、まだその症状が軽度だったということね……」

 話の詳しいことは分からなかったが、初めて会った時のあいつは、まだマシな状態だったというわけか。
 もっともそのマシな状態の時ですら、俺はきっちり殺されてしまったけどな。

「まあ……あいつのことはわかったけど、じゃあお前はどうなんだ?」

 話を聞く限り、黎は千年ドラゴンではない。
 けれど実際、今まで生きている。

「わたしはね、そのレネスティア様に縋って、何とか肉体的な不老を得ることはできた。けれど精神は人間の時のまま……。言ったように、長くはもちはしない。老い過ぎた精神は生きることをやめようとする。それに抗えば、狂ってしまう……。それを防ぐには、精神を老いないようにするか、もしくは何かに依存して心を保護するしかないわ。わたしは二つとも実践したの」
「どうやって」
「一番簡単なのは、思考をゼロにすること。眠ることね。長時間、封印に近い形で身を凍結させるの。けれどずっと眠っているわけにはいかない……。わたしの体力が無限ではない以上、補う必要があったから。それに、眠っている間にユラを……見失わないためにも」

 俺にはピンとこないが、よくSFなどに出てくる冷凍睡眠……みたいなものだろうか。
 代謝を低下させて、長時間の宇宙旅行に耐えれるようにする技術、のような。
 ともあれ黎の話からすると、あまり活用はできなかったらしいけど。

「……だから、どうしても徐々にわたしの精神は老いていったわ。だから、それを回復させる方法も試してみたの」

 老いた精神を回復させる方法?
 そんなことが可能なのあろうか。
 というか俺には、精神が老いる、ということ自体がいまひとつ分からないが、それはまだ二十年も生きていないからだろう。

「無理やりね、精神を幼児化させるのよ」
「そんなことができるのか?」

 俺は驚いて、聞き返す。

「だから無理やりなの。精神は磨耗しないから、元に戻すことができれば、時間を稼ぐことはできるのよ」
「だからどうやって?」
「方法としては、他者との接触を避けて、一人になること。長期間外部からの干渉がなく、孤独でいれば、精神の成長は停滞……もしくは逆行する。幼いものへとね」

 そういうことってあるものなんだろうか。
 分からないが、それでもそんな方法をわざとやるのだとしたら、ひどく危険なことのような気がした。

「……こんなことを言うのは不敬なのかもしれないけれど、エクセリア様やレネスティア様は、外面とは裏腹に、きっと未だ幼い精神を持ち続けているのだと思う。だから、いつまでたっても純粋で無垢。羨むほどにね」
「……それはそれとして、そんなことしてお前は大丈夫だったのか?」
「まさか」

 首を横に振る、黎。

「狂いそうになら、何度もなったわ。けれど狂ってしまうわけにはいかなかったし、狂うこともなかった。目的があったから。そして目的そのものに、依存して精神の安定を得ていたから」
「目的そのもの……?」

 それは、もしかして――

「笑ってくれても結構よ。わたしはね、間違いなくユラに依存してしまっているわ」

 そう告白する黎は、笑ってはいなかった。
 ただただ、哀しげに。

「だからきっと、今まで生きてこれたのだと思う。でも……それならばわかるでしょう?」

 逆に聞かれ、俺は考えて。
 ……何となく、理解する。

「あいつを殺しても、諦めても……結果は同じということか」
「ええ」
「…………」

 つまり、こういうことだろう。
 もし由羅を殺すことができれば、今まで依存していたものがなくなってしまうということ。
 そうなれば、精神の老いから黎は遅からず死ぬことになる。
 一方で、もし由羅への復讐を諦めたとしても。
 諦めた瞬間から、あいつに依存できなくなってしまう。諦めるということは、依存することすらやめてしまうということなのだから。
 そうなれば、結果は同じ……。

「必然っていうのは、そういうことか」
「そうよ」

 黎は、頷く。

「ったく……」

 俺は構わず大きくため息をついた。

「救いようがないな」
「その通りね」

 頷くなよ馬鹿。
 思ったが、口には出さなかった。

「別にね……それでいいとは思っているの」
「結局、死ぬかもしれないってことに?」
「ええ……」
「まだ生きていたいとは思わないのか?」

 この問いかけに、黎は肯定も否定もしなかった。
 しかしその表情は、死ぬことをすら求めているようにすら思えてしまう。
 俺はくしゃくしゃっと、頭を掻いた。

「まったく対照的すぎて、何て言えばいいのかわかんねーよ」
「対照的?」

 首を傾げる黎。

「ああ。だってそうだろ? お前はまだ生きてる。でも死ぬことを受け入れてもいいと思ってるだろ。けど俺は逆だ。実感は今一つだけど、俺は死んでる。だけどまだ死にたくなんかない」
「そう……だったわね」

 思い出したように、黎の顔が曇る。

「おっと謝ったりするなよ。別にお前のせいじゃない」

 どちらかっていうと、由羅の方が悪い。
 たとえ、そうなった根本原因が黎にあったかもしれないとはいえ。

「……今日は、楽しかったわ」
「そうか?」

 いきなりそんなことを言われて俺はきょとんとなったが、悪くなかったのならばそれはそれでいい。

「おかげさまで、ずいぶん身体も楽になったから」
「楽って……」

 俺はというと、けっこうヘトヘトになったんだけどな。
 精神的に、という意味だろうか。

「真斗は疲れたの?」

「何か知らんけど、えらくな」
「それは……そうかも知れないわね」

 俺の言葉に黎は僅かに表情を曇らせたものの、その意味に俺が気づくことはなかった。

「じゃあ、そろそろ戻るか?」
「そうね……」

 曖昧に頷きながら、黎は先に続く鳥居を見つめる。

「もう少し行ってみたかったけれど、もう暗いしね。……また今度、案内してくれる?」
「ああ。好きなだけ案内してやるよ」
「そう……ありがとう」

 少し嬉しそうに、黎は礼を言った。
 まあ……悪くないかな。
 黎にそう言われたことに、俺はそう思う。
 ささやかな満足感、というところだろうか。
 黎と由羅とのことさえなければ、ずっと良かっただろうに。

「戻りましょうか」

 そう言って黎が手摺を離れ、歩き出す。
 その後に続こうとして。

「――行かないで!」

 突然、誰かに呼び止められた。


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