というわけで。
俺たちがやって来たのは、大学よりもさらに北にある、上賀茂神社。
ここには開けた場所があって、まあちょっとしたピクニック気分になれる。
人も意外に少ないし。
「……こんなところもあるのね」
しみじみと、黎がつぶやく。
「まあな」
頷いて、俺は適当に腰を下ろした。
「北から南に向かって俺の知ってるところを順番に案内してやるよ。スタートは、とりあえずここからってことで。くらま鞍馬なんかもいいとこだけど、あんまり欲張ると時間がなくなるからな」
で、だ。
まずは腹ごしらえ。
「……ここで?」
「おう」
「……そう」
頷いて、そこはかとなくおずおずと、黎はそっと弁当を差し出してきた。
「えーっと……。開けていいのか?」
「ええ」
了承を得たので、では早速と、俺は包みをほどいてみる。
どれどれ……。
「ほう」
開いてみて、俺は感心して声を上げた。
見目はいい。
別に奇抜でも無く、ごく普通の弁当だったが、それだけに基本に忠実で、よくできていると思う。
ウインナーがたこさんになっているのは、なかなかどうして凝っているというか何というか。
「……それね。その、そうした方がきっと真斗は感心するって」
「……だーれがそんなことを?」
「所長と、九曜さんが」
「…………」
なるほどな。
まあとりあえず一口、と。
「……うん、まあ普通だな」
「味気ないかしら」
「まさか。これでいいんだよ。ウインナーにウインナー以上の味があるかっての」
答えながら、別のものに箸を伸ばす。
うん、これもなかなか。
「……もしかすると、失敗する方が難しいのかしら」
しばらく俺を眺めていた黎は、ぽつりと聞いてくる。
「うーん……。ものによるとは思うけど、この場合はそうかもな」
「そう」
頷いて、また俺を眺めるのを再開した。
……さすがに気になって、黎を見返す。
「いや、そんな風に見られても食いにくいんだが」
「いいじゃない。せっかく作ったのだから、それを食べるところを見る権利くらい、あるはずじゃない?」
「てかお前は食わないのか?」
「わたしは……」
なぜか、そこで一瞬言葉をつまらせる黎。
「いえ……。わたしはいいの。そんなにおなかへっていないから」
「そうなのか? 俺が腹へってたもんだから、いきなり弁当要求しちまったけど……悪かったな」
そういや弁当も一つきりだ。最初から黎は食べるつもりが無かったってことだろうか。
「気にしないで。時間は関係ないから……わたしの場合」
そんな言葉に、俺はふと気になった。
「お前って、ずいぶん長いこと生きているんだろ?」
未だに信じられないが、話によれば、黎も由羅もずっと昔の人間だ。
そして、今まで生きている。
「……どうしたの? 突然」
「いや……ちょっと気になって。お前も由羅も、そんなに長い間どうやって生きてきたんだろうなってさ。そういう力があるんだとして、だとすると飯なんかは食わなくても平気なのかな……とか。まあ色々思ってさ」
黎の言葉を聞いて、もしかして食事なんか必要ない身体なんだろうかと、少し気になっての質問だった。
しばらく黙っていたが、やがて黎は小さく頷く。
「そうね。あまり必要ではないわ。わたしの場合」
「ふーん……。やっぱりそうか。あいつも?」
「ユラならば、生きていくために必要とする糧など何もないわ。あれの身体は、不完全ゆえに、完全なのだから」
「はあ」
「わからないようね」
そりゃあまあ、その通りなんだが。
「言ったでしょう? 欠陥なの。そして失敗作。だからあの子は死ねない。少なくとも、時間がユラを殺すことはできなくなったわ。呪いのようなもの」
そう言われても、俺は首を傾げることしかできなかった。
だってよく分からんし。
「生きているものは、ちゃんと死ぬことができるものよ。始めがあって、終わりがある。自らで選ぶことができるもの。けれどユラは、死を他者に依存するしかない。その依存する相手に支配されるのだから、その他者と在って初めて存在でいられる。けれどそんなものは、玩具の人形と同じようなもの。ユラの場合、もっと性質が悪いけれどね」
「…………」
すらすらとそう言われても、理解しがたいのは相変わらずだった。
そんな俺など気にした様子もなく、最後に黎は言う。
「哀れといえば……哀れなのかもしれない。それに取りつかれている、わたしも」
「前案内してもらった時も思ったけど、人の多い国なのね」
繁華街を歩きながら、黎は少々人ごみに辟易したように、そう感想を洩らした。
単純に、この人の多さに慣れていないといった、印象。
「場所によるって」
隣を歩きながら、俺は答える。
「そうなの?」
「そーだよ。例えばさっき弁当食ったところなんて、そんなに人はいなかっただろ?」
もちろん観光客の姿は適当にあったが、ここほどではない。
というかここの人の多さは、俺だってけっこうしんどい。
弁当を食べた後、北から南に向かって、適当な寺社仏閣を案内しながらたどりついたのが、四条河原町付近。
この辺りは京都では、一番の繁華街である。
色々な店があるが、それにつられてやってくる人の数も、半端じゃない。
とはいえ今日は休日ではないから、多少はマシであるが。
「それに俺の住んでたとこなんて田舎だったから、人なんて本当少なかったぜ」
俺みたいな田舎者は、こういう所に来ると、必要以上に疲れる。
京都でこんななのだから、東京なんぞに行ったらもっと凄まじいのかと、時々思ってしまう。
まだ行ったことはないけど、行ったら一発でおのぼりさんだってバレるだろうなあ……。
「ま、観光するような所なんて、だいたい人は多いもんだよ。ここもその一つだって、思っておけばいいだろ。普通に土産物屋もたくさんあるし」
「そうね。わたしも興味はあるし」
頷いて、黎は周囲の店をきょろきょろと見回しながら、歩いていく。
心なしか、前案内した時よりも、軽い足取りのような気がした。
あの時と違って、由羅が一緒ではないからかもしれない。
「ところでこれからはどうするの?」
聞かれて、俺はうーんと考え込む。
といっても、大して考えるほどのことでもなかったが。
この近くには、有名所が続いてるし。
「ざっと見て回ったら、ぎおん祇園の方に行ってみるつもりだ。八坂神社あるし」
「それで?」
「次はきよみずでら清水寺……ってとこかな。って待てよ。あそこって有料だったかな……」
「ふうん……。本当にこの町、お寺や神社ばかりなのね」
「そうだよな」
「何か、特別な町なの?」
「特別ねえ……」
いくら京都に住むようになったからといって、詳しく知っているというわけでもない。そもそも自分の地元のことだって、よく知っているわけでもないのだから。
とはいえこの町は、確かに有名といえば有名だ。
俺はなけなしの知識を引っ張り出してきて、答えた。
「確か京都って、ずっとこの国の都があったんだよ。その時の名残なんじゃないか?」
「今はこの国の首都って東京だけれど、あっちも多いの? そういうの」
「いや、よく知らん」
都道府県の知名度といえば、やっぱり東京が一番なのかも知れないが、如何せん俺は行ったことがないし、縁も無い。
「けど東京って幕府があったわけだし、適当にあるんじゃないか? ここと比べてどうかって聞かれても、答えられんけど」
「……機会があったら行ってみたいわ」
「まあ、一度くらいは見とくのも悪くないかもな」
東京といってもピンとこない俺にしてみれば、大して興味も無いけど、確かに一度くらいは見ておいてもいいかもしれない。
とはいえ、用事でもなければ行くことなんかないだろうけど。
何て考えていたら、不意に黎と視線が合う。
「?」
「連れて行ってはくれないの?」
俺がかい。
「上田さんがいるだろーが。それに俺、行ったことないから案内なんてできねえぞ」
「……彼は駄目よ」
「なんで?」
「じきにいなくなるわ。……恐らくね」
「はあ? そりゃまたどうして」
「どうしてかしら。きっともう……時間がきたのよ。だから」
相変わらずの意味深な物言いで、黎ははっきりとは答えなかった。
俺にはよく分からないが、二人の間にも色々あるのかもしれない。
「そんなことよりも、もっとたくさん案内してね」
一瞬見せていた表情を元に戻して。
笑顔でそう、黎は誘った。
「はあ……。さすがにちょっと疲れたな」
ようやく到着した最後の目的地に着いて、俺は大きく息を吐いた。
「だいぶん……暗くなってきたわ」
西の方を見やって、黎が目を細めてそうささやくのが耳に届く。
確かに太陽は沈みかけていて、西日が眩しい。
さすがにこの季節だと、暗くなるのが早いな。
「でもまあ、時間的にはこんなもんだろ。全部回ってたら真っ暗になっちまうだろうけど、適当なとこで引き返せばちょうどだな」
そう言って、俺はその場所を見上げた。
やってきたのは、京都駅よりさらに南にある、ふしみいなり伏見稲荷。
鳥居がたくさんあって、有名な所だ。
何度か来た事があるけど、延々と続く鳥居の下を歩いて回るのは悪くない。
「これ……ずっと続いているの?」
鳥居を指して、黎が聞いてくる。
「ああ。ずっとだな」
「そう……凄いわね」
素直に、黎は感心してみせた。
俺もそう思うけどな。
「少し登るぞ」
そう言って、俺は先になって進んだ。
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