/由羅
「あ……」
見つけた。
直接彼の家に行く勇気は無くて、ここなら……と思って来てみて。
見つけることができた。
真斗。
うん……元気そう。
ちょっと安心する。
だって真斗、あの時あんなだったから。
よし、行って声をかけよう――そう思って。
一歩踏み出したところで、身体が震えた。
それ以上、歩けなく――ううん、近づけなくなる。
「――――」
私の視線の先にあるのは、真斗だけじゃなくて。
もう一人。
「…………っ」
知らず、私は手を握り締めてしまっていた。
震えるほどに。
「――やっぱり一人じゃなかったわね」
後ろから、声がかかる。
私を助けてくれて、そしてここまで一緒に来てくれた少女の声。
「……うん」
予想していたことだけど、嫌な現実だった。
真斗とジュリィが、一緒にいるなんていうことは。
「真斗のばか……」
どうしてだか、そんな言葉が出てきてしまう。
ばか……ほんとにばかだ。
真斗ってば、昨日ジュリィに……殺されそうになったのに。
どうしてあんな風に、普通に一緒にいられるのだろう。
そう考えて、自己嫌悪してしまった。
馬鹿は自分だ。
私こそ、真斗を殺して……なのに一緒にいて欲しいと思ってしまってる。
もっとひどいのに。
「私、どうしよう……」
どうしていいのか分からない。
昨日ジュリィが言ったことが本当ならば、真斗の命はジュリィが――あのひとが、握ってることになる。
私が何かすれば、真斗が殺されてしまうかも知れない。
私は何もできない。
どうすることも。
「だめよ。そんなに殺気立っては……気づかれてしまうわ」
優しくたしなめてくれる少女に、私は思わず縋ってしまう。
「ねえ……どうすれば……いいの? 私、どうすればいいのか……」
「欲しいのでしょう?」
欲しい、というのとは違う気がするけど、でもきっと似たようなものだ。
私は頷く。
「では力ずくで奪ったら? あなたにはそれくらいの力、充分にあるのだから」
そうは言うけど。
それができないから、私は立ちすくんでいるのに。
「でも……真斗、エクセリアにって……ジュリィが」
「そのようね」
あっさりと、少女は肯定する。
「あの人間が死んでいるかどうかはともかく、普通の人間にしては存在力が強すぎるわ。介入があったのは間違いないでしょうね」
「それじゃあやっぱり……」
「そうね。存在力の強さとは裏腹に、とても脆いわ。肉体を再利用しているようだけど、それでも糸が切れれば長くはもたない」
――何も、できない。
私が真斗のことを思っている限り、何も。
「方法は、無くもないわ」
「え?」
思わぬ言葉に、私は顔を上げる。
「問題は二つ。一つは人ゆえの肉体の脆弱さ――その存在力の無さ。もう一つは一度死んでしまったせいで、自身の存在への干渉力を手放し、エクセリアに支配されてしまっていること……ね」
「ど、どうすればいいの?」
言っていることはよく分からなかったけれど、私ははやる気持ちを抑えられずに先を尋ねる。
「誰もが認識できる充分な存在力をもった身体を用意して、なおかつエクセリアの支配から奪えばいいわ。わたしは観測者ではないから、イメージを具現化するだけの認識力はないけれど、材料さえあれば、それに準じたもの程度ならば造れるしね」
「う……、よ、よくわからないけど……?」
「ドゥークを見たでしょう?」
「?」
いきなり知らない名前のようなのを言われても、わたしはきょとんとなるだけだ。
少女はというと、ちょっとだけ不愉快そうに、頬を膨らませる。
「もう……。一応わたしのお気に入りなんだから、忘れたりしないで」
「え、えっと……?」
「昨日、あなたを助けた者がいたでしょう? 彼のことよ」
「あ……」
言われてみれば、あの時私を庇ってくれたのは、背の高い男の人だった。
あれがきっと……。
「彼と同程度の存在のものならば、提供できるわ。もし支配権を持ちたいというのなら、自分で造ってみてもいいと思うけれどね」
そう言われても、やっぱり分からない。
分からないけど、きっと何とかなるのだろう。
「ともあれ、あなたの好きにすればいいのよ。殺したいなら殺して、奪いたいなら奪って……手に入れればいいの。ね? 由羅」
それは、とてもとても甘いささやき。
そして、誘惑。
私は、それに。
「…………うん」
頷いてしまう。
このままで、いいとは思わない。
このまま、ジュリィに負けたりしない。
今は、あの時とは違う。
思い出し、考えると、昏い気持ちになっていくのが分かる。
……あんまり好きな感情ではないけど。
私は、決心する。
「そうする」
私のその答えに、少女は満足そうに……微笑んだ。
/真斗
深夜。
本当なら黎のボディーガードということで、事務所に詰めてるはずだったのだが、今夜は所用があるとかであいつはどこかへ行ってしまっている。しかも俺は来なくていいとのことだった。
一応上田さんがくっついてるらしいから、まあ大丈夫だろう。
俺はというと、おかげで今夜は自由の身。
帰ってぐっすり眠っておくのが一番とは思うのだが、そうはしなかった。
今俺は、深夜の町中を歩いている。
まるで数日前に戻ったかのように、市内を歩き続ける。
目的も、まああの時と似たようなものだ。
あの時は誰とも知れぬ殺人犯を捜していたわけだが、今は行方不明のあいつを捜している。
どっちも由羅のことであるが。
「ったく……。元気にしてるんなら出てきやがれってんだ」
何時間か歩き続けて、さすがに疲れて悪態をつく。
そんなに都合良く出てくるとは思ってなかったが、出てこないとそれはそれで腹立たしい。
それとも……やはり黎にやられた傷が、未だ癒えていなくて動けないのか。
多少、心配になる。
――できるならば、黎がいない所であいつと話をしておきたいというのが、正直なところでの気持ちだった。
あいつらが顔を合わせてしまうと、話し合いになどならないかも知れないと思ってしまうからだが……杞憂じゃないだろう。
再びあいつのマンションに行ってみたが、やはりあいつがいる様子は無い。
ってかあいつ、本当に無事なんだろうな……。
黎はあいつが千年ドラゴンだから云々と言っていたけど、俺にはそれがどんなものなのかは分かってねえしなあ……。
「もう少し捜してみるか……」
寒さに身体を震わせながら歩くのを再開したところで。
その姿が、視界に飛び込んでくる。
紅い瞳に銀の髪。
その、少女の姿が。
/黎
――誤算といえば誤算だった。
一度は味方に引き入れられたにも関わらず、今やこうして敵になろうとは。
「くっ」
わたしが飛び退いた地面へと、炎が叩き付けられる。
炎は消えていくが、一瞬視界を遮られてしまう。
霧散する炎を掻き分けて、こちらに飛び込んでくる小柄な影。
一直線に向かってくるのを分かっていても、それに対応できない。
思うように、身体が動かない。
今の、わたしでは。
「――――っ」
短い息吹と共に、刃が繰り出される。
その短剣の刃を何とかかわすが、のけぞったところを突かれ、下方から伸びた蹴りの一撃をもらってしまう。
その小柄な体格からは想像もつかない重い一撃に吹き飛ばされたものの、無理に態勢を立て直して着地する。
そこを、再度じゅほう咒法の炎が襲う。
「…………っ!」
まずい――と思った瞬間、炎は霧散した。
わたしではない誰かが張った障壁に阻まれて。
「――少々お転婆がすぎるのではありませんか? リーゼ・クリスト」
その声に、ようやくわたしはほっと息をつく。
わたしを庇ってくれたのは、エルオードだ。
「…………」
彼が現れたことに、ぴたりと相手は前進をやめる。
そして、口を開いた。
「上田という名は偽りだったな」
明らかな敵意を含んだ声で、九曜さんはこちらを睨つけて言う。
そう――九曜茜。
「はい。エルオードというのが、本名です」
「……ふん。言っておくが、私の名前は九曜茜だ。仕事以外でその名を呼ばれたくない」
リーゼ・クリストという名は、彼女のアトラ・ハシースにおいての名――いわば仕事上の名前だ。
「なるほど。では今こうしてジュリィを襲ったのは、あくまで個人的なことだと、そういうわけですか」
「そのつもりだ」
素っ気無く、九曜さんは頷く。
「ではどうしてそんなことを? あなたの敵は、彼女ではないはずですが」
「とぼけるのか?」
エルオードの態度を白々しいと感じたのか、九曜さんは視線を険しくさせた。
――わたしが茜に襲われた理由。
そんなものは、わたし自身がよく分かっている。
迂闊だったとはいえ、彼女に見られてしまったのが、原因だ。
本当に、迂闊。
「いいわ……エルオード」
「ジュリィ?」
「ここで、九曜さんと争うつもりはないの」
「ですが……理由を知ったとしても、彼女が引き下がるとも思えませんが」
彼の言うことは、もっともかもしれない。
理由を話したところで、九曜さんが納得してくれるとも思えない。
それでもここで何も説明しなければ、間違い無く彼女と闘うことになるだろう。いくらわたしの体力が著しく低下しているとはいえ、エルオードがいる以上、彼女に負けるとは思えない。
とはいえ、ここで九曜さんに危害を加えれば、真斗はそれこそ絶対にわたしから離れる。
ユラを相手にする以上、それだけは避けなくてはならない。
特に今、わたしの力が衰えているうちは。
「それでもいいわ。今はとにかく、争いたくないの。下がって、エルオード」
「……そうおっしゃるのなら」
わたしの言葉に、今度は彼も異を唱えなかった。
そのまま後ろに下がり、姿を消す。
気配は残っているから、近くにはいるのだろうけど。
こちらの様子を見て、九曜さんはとりあえず臨戦態勢を解く。
「……人を襲うのにどんな理由があるのかは知らないけど、聞いてやる」
わたしはそれに頷き――そして何となく、今更のように気づいた。
ここで彼女にこうして遭遇したことは、決して偶然ではないと。
だから、苦笑する。
「監視していたのね」
聞けば、ふんと鼻をならす九曜さん。
「言ったはずだ。お前からは、嫌なにおいがするって」
そう。
確かに彼女はそんなことを言っていた。
わたしが今日の朝に摂取した残り香を、敏感に感じ取ったのだろう。
優れた感覚だと思う。
「そこまで気づいていたのなら、想像はつくでしょう? しかもさっき、実際に目にした後ならば余計に」
「他人から生気を奪おうとしていた……だろう?」
九曜さんの言う通りだ。
わたしは頷く。
「必要なことなのよ」
「人を殺してまでか」
「そうよ」
わたしは他人から生気を奪って、生きている。
その対象から生気を絞り尽くせば、もちろんその相手は死んでしまう。
今日すでに二人、わたしは食べた。
エルオードが用意してくれていたものを、今朝、得たのだ。
おかげでどうにか歩ける程度には、身体も回復している。――しかし、まだまだ足りない。
今夜中に更に何人かを摂取して、一気に体力を回復させるつもりだったけど、まず一人目というところで、彼女に阻まれたのだ。
「わたしの身体は脆いわ……とてもね」
「今まで生きてきた代償だな」
「ええ……。あの子を追って、これまで生きてくるには誰かから奪い、それを糧にするしかなかったのよ。そういう方法しか、教えてはいただけなかった」
わたしは望んだ。
お兄様を失った、あの時に。
すがったのはレネスティア様。
お兄様が死に、あの方にとってわたしの価値など無いに等しかっただろうけど、それでも手を差し伸べてくれた。
方法を、教えてくれたのだ。――効率よく他者から生命を奪い、生きる糧とする方法を。
「わたしが生きるためには、必要なことなのよ」
「……生きるために誰かの命を奪うことは、別段悪いこととは思わない」
わたしの言葉に、九曜さんはそう答える。
「人間に限らず、生きているものならば誰でもやっていることだからな。でも」
一旦区切り、視線を鋭くさせて。
きっぱりと、彼女は言った。
「抵抗される、その覚悟は必要だ」
わたしの行為そのものを、悪いことだとは言わず。
でも抵抗され、反撃される覚悟は必要だと。
……確かに、それは当然のこと。
「……その抵抗が、あなただと?」
「見過ごすつもりはない」
「…………」
甘かったのだろう。
彼女とは、争いたくはなかったけれど。
と、こちらを見る九曜さんの表情が、変わる。
「…………?」
闘うことも覚悟し始めていたわたしにとっては、意外な表情だった。
明らかに彼女が、こちらへの戦意のようなものを霧散させたから。
「――つもりはないけど、お前には真斗がいる。お前を処分すれば、真斗が困るからな」
彼が人質になっていることを、九曜さんは忘れていない。
だから、彼女の言葉は続く。
「――だから、二度とするな。もう人を襲わないとここで約束するなら、真斗に免じて目をつむってやる」
そう言うのは、今ここで闘っても勝てないと自覚しているからだろうか。
それとも真斗を案じているからなのか――もしくは、彼女の情けか。
「でも、わたしは今は力を回復させなければならないわ。それは絶対に必要なことよ」
「わかっている。だけど、回復させる方法は他にもあるはずだ」
「他と言っても……」
「いつもやっているように、直接人から全てを奪えば、早く、数人の人間で事足りるのかもしれない。そうじゃなくて、間接的に、多数の人間から奪う――いや、提供してもらえばいいんじゃないのか?」
「それは……」
不可能ではない。
結局奪うことには違いないが、たくさんの人間から間接的に、生気を吸うことはできる。
「けれどそれは、とても効率が悪いわ……。間接的である以上、吸い出した生気を全て得ることはできないもの。どうしても、逃してしまうから」
それに、他人の身体に影響を与えない程度に微弱な生気だけとなると、集めるのにどれほどの時間と人が必要になるか……。
「せいぜい人の多いところにいて、時間をかけて集めることだ。その程度の苦労で真斗に離れられずにすむのなら、安いものだろう?」
「――――」
一瞬、ぎくりとする。
そして、自分に可笑しくなった。
真斗がわたしの食事のことを知れば、当然わたしのために何かをしてくれることはなくなるだろう。
だって彼は、ユラに対しても、そう明言していたんだから。
そしてあの子は、彼にもうしないと答えて。
――今度はわたし。
だからどうしてだか滑稽に思い、可笑しくなったのだ。
「……そうね」
わたしは、九曜さんへと頷く。
「約束するわ」
自分自身でも意外なほどあっさりと、わたしは頷いていた。
この約束が、下手をすれば自分の首を絞めかねないと分かってはいたけど。
「…………。なら、いい」
信用したのかしないのか、それは分からなかったけれど、九曜さんはそうとだけ言い残して、姿を消した。
一人残されて、思う。
ユラに対する気持ち。
真斗の存在のおかげで、明確に、再認識してしまったような気がする。
わたしはまた、笑った。
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