第27話 ただの妹であったならば

     /黎

「エルオード」

 真斗の姿が見えなくなってから、わたしは誰にともなく声をかけた。

「ここに」

 当然のように、返事が返ってくる。

「そういうわけだから。あなたはユラの行方を追って」
「……ジュリィは大丈夫なので?」
「き……真斗がいるわ」

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 そう答えるわたしの後ろに、音も無くエルオードは姿を現していた。
 ここでは上田と名乗っているが、本名はエルオードという。
 わたしに先立って、この国に来ていた者である。
 ……そういえば、真斗は昨日、エルオードのことを見たはず。何も聞かなかったのは、単に忘れていただけだろうけど、近いうちに彼のことを説明しておいた方がいいだろう。
 もっとも真斗は、まだわたしのことについて半信半疑のようだから、説明したところで信じてもらえるかどうかは分からないけど。

「真斗くんですか」

 少々意味ありげに、エルオードはそう洩らす。
 まあ……何が言いたいのか、分からないわけじゃない。

「心配なの?」
「彼は全面的にあなたに協力すると、一言も言っていませんからね。敵となる可能性も」
「あるわね」

 確かに、それはある。
 彼はきっと、一歩でも身を引いた方の味方になるだろう。
 わたしかユラか、彼の意思に少しでも添う形で妥協した方に。

「ユラにつくかもしれない。いえ……昨日は実際、そうなりかけていたわ」

 そうさせないためには、どうすればいいか。
 一つは真斗の命――存在。
 九曜さんも言っていたように、彼の存在そのものが、今は人質になっている。ユラにつくことでの身の危険は、嫌でも自覚しているだろう。
 一度エクセリア様に会っていたせいか、意外に冷静だったけれど。
 でも彼を代弁するかのように、九曜さんが怒っていた。まるで、我が身のことのように。
 きっと……少なくとも彼女は味方にはならない。
 下手をすれば、敵になる、か……。

「ユラを孤立させるには、あの子を感情的にさせること」

 それが、もう一つの方法。
 わたしを殺すよう挑発し、そう仕向ける。
 昨日の挑発は、てきめん覿面だった。

「いっそのこと千年前のように暴れてくれれば、都合がいいのにね」

 そうなれば、真斗にとっての完全な敵に――なったでしょうに。

「孤立、ですか」

 何か引っかかったかのように、エルオードがつぶやき洩らす。

「なに?」
「確かにジュリィの言う通りですが……。彼女は今、恐らく一人ではないはず。昨夜のこと、覚えていないわけではないでしょう?」

 言われて。
 今更のように思い出す。

「……そうだったわね」

 昨日、あの子を助けた者がいる。
 全く予想外の、第三者の介入だった。

「ジュリィに心当たりは?」
「いえ……ないわ。あなたは?」

 あの時は、わたしも傷の痛みと夜の闇のせいで、はっきりと相手を認識することはできなかった。
 ユラを救った、あの男を。

「直接の面識はありませんけれどね」

 しかしそう言うエルオードは、相手のことを知っているようだった。
 そして、その口調には珍しく感情がこもっている。

「彼の名は、ブライゼン。覚えていませんか? かつて、彼によって異端が蜂起したことを」

 ブライゼン……。

「……覚えてるわ」

 確かに千年前に、その名を冠した異端裁定があった。
 その異端裁定そのものに、わたしは関与などしていない。けれどそれが原因となったことで、その後わたしはあの子を――手に入れることができたのだ。
 だから、覚えていた。

「でも」

 わたしは首を傾げる。

「彼はあの異端裁定で、死神のあの方に殺されたのではなかったの?」
「おっしゃる通り、あの後彼の姿を見た者はいません。いません、が」

 そこで、エルオードは苦笑した。

「噂というものは、どこからともなく耳に届くものでして。どうやら彼は、ある方の近くにあると」

 ある方……。
 エルオードはいつも礼儀正しく振舞ってはいるが、彼が敬意を示す相手というのは限られている。
 残念――というわけではないが、それはわたしではない。

「まさか」
「ええ。もしかすると、あの方の介入があったのかもしれませんね」
「なぜ」
「さて……。ともあれ、今はジュリィの体力の回復を優先させるべきだと思いますよ。単に、彼女一人を相手にするだけではすまないかもしれませんから」
「……そうね」

 今は、頷くしかない。

「今夜あたりにも、また。僕の方でも探ってみますので、ジュリィは気をつけておいて下さいね」
「……ええ。そうするわ」

 答えながら、ふと思う。

「――エルオード」
「はい?」

 いつもの、返事。

「……いえ、何でもないわ」

 思い直して、わたしは聞くのをやめた。
 それは、とても重要な質問のはずだったけど。

「では、また後で」

 そう答えて、エルオードは姿を消す。
 わたしは一つ、溜息をついた。
 ――もしそうならば、あなたはわたしの味方でいられるのか。
 今は、聞けなかった。


     /真斗

 いつもと変わらない授業。
 その講義をぼんやりと聞きながら、俺は内心溜息をついていた。
 ちらりと横を見れば、さも当然のように黎の姿があったりする。

「……面白いか?」

 小声でちょっと聞いてみる。

「そうね……どうかしら」

 曖昧な返事。
 まあ授業なんて、よほど興味でもない限り、そんなに面白いものでもない。ましてや部外者からすれば、尚更だろう。

「そういう真斗は?」
「別に」

 俺だって、好き好んで授業を受けに来たわけじゃない。
 ただの気分転換のつもりなのだ。
 何かこう、日常から離れていくような気がして、思わずしがみ付きたくなった……というのが本音かもしれない。
 ふう、と溜息をつく。
 さてどうしたもんかと、俺はぼんやりと考えた。
 由羅のこと。黎のこと。それに俺のこと……。

 ――特に、俺自身のこと。
 俺は今、自分の命の人質に取られているようなものだ。いまひとつ実感は湧きにくいが、気になる程度には自覚がある。
 じゃあもし自分の存在がしっかりしていれば、どうしただろうか。
 黎ではなく、あいつの方をもっと気にかけていただろうか。

 ――たぶん、そうだろう。
 俺はきっと、あいつのことを今すぐにでも捜しに行っていたはずだ。
 あいつはとんでもなく強いのかもしれないが、どうしてだか心配に思ってしまう部分がある。
 いや……部分というより、全面的にか。
 思わず笑ってしまう。
 あいつは何だか放っておけない――そう思ってしまうのは、事実。
 それならどうして俺はこんな所にいる?
 あいつの敵である黎なんかを傍にいさせている?
 自分の命が人質になっているからか?
 ……それは、確かに一つの理由だ。
 じゃあ他にも理由があるのだろうか。

「……わっかんねえ」

 頭を抱えたくなる。

「どうしたの?」

 難しい顔をしている俺に気づいて、声をかけてくる黎。
 考え込んでるのは、一重にお前らのせいなんだけどな。
 かといってそれをここで告白したところで、どうにもなるわけないし。
 俺は適当にはぐらかすことにした。

「そういやさと思ってな。さっき聞きそびれたんだけど、結局上田さんって何者なんだ?」

 適当に振った話題は、実はそれなりに気になっていたことでもある。
 昨日の夜、あの時に現れたのは上田さんだった。
 あれはどう見ても、気を利かせて助けに来た――という感じでは無かったと思う。
 恐らく、黎と何らかな繋がりがある。

「察しの通り。彼は、わたしの協力者――のようなものよ」
「協力者?」
「ええ。今から千年以上前のことだけどね」

 ……どうも黎の話す昔話というのは、世間一般とその尺度が違うらしい。
 千年以上、ってなあ……またかい。

「彼は彼なりの事情があって、わたしに助力を求めたことがあったの。わたしはそれに応えてあげて、その見返りのような形で、今までずっとわたしに仕えてくれているわ」
「仕えているのに、協力者、なのか?」

 そういうのは普通、部下とか何とか言わないだろうか。
 協力者というのは、対等な相手に使う言葉だと思うのだが……。

「見た目の事実と真実とは違うということよ。一応、彼はわたしの臣下のように今まで仕えてきたけれど、それが全てじゃない。あくまで便宜上だと、わたしは判断してるわ。だから」

 だから、ねえ……。
 どうやらそれなりに複雑な事情があるらしい。

「まあともかく要するに……上田さんも結局、お前みたいに偽名使ってて、この国に紛れ込んでる奴……ってことなのか?」
「そうなるわ」
「何だかなあ……」

 所長のやつ、それを分かってて雇ったんだろーか。
 そんなわけないだろうな……。
 とは言えこんな得体の知れない奴を二人も雇う前に、しっかり身元確認して欲しいもんだ。一応探偵なんだし。

「ふーん……。ともあれ一応、上田さんはお前の味方ってことか。そんじゃあさ、昨日もう一人出てきただろ? あいつを……さらってった奴」

 心当たりは無いのかと、聞いてみる。
 黎は首を横に振った。

「それはわからないの。まさか第三者が関わってくるとは思わなかったから」

 俺はさりげなく黎を見返しながら、その表情を観察してみる。
 本当のことを言っているかどうかは分からないが、少なくとも表情からは、嘘を言っているようには見えなかった。
 俺の観察なんぞ、大して役にも立たんだろうけど。

「ってことは、お前らにとっても予想外のことってわけか」
「そう……なるわね」
「何か余計に厄介なことになっていってるって感じだよな……」

 そう簡単には解決してくれなさそうな気がして、気が重くなる。
 それでも……やることは変わらない。
 由羅を見つけ出して、もう一度確認する。
 あいつの、意思を。

「真斗」

 ぽつりと、黎が聞いてくる。

「ん?」
「後悔してる?」
「は?」
「いえ……後悔という言葉は、あまり適当じゃないわね。こんなことになって……わたしなんかに付き合わされて。嫌だとは……思わないの?」

 嫌、か。

「どうかな」

 俺は肩をすくめてみせる。

「本心から歓迎できる事態ではないのは確かだけどな。正直言って不安だし、厄介なことに巻き込まれてるっていう自覚もある」
「それなら……」
「お前さ」

 思わず、俺は口を挟んだ。

「どうしてそんなこと気にするんだ? 一応、俺の命を人質に取ってるよーなやつが、人質の心証気にしてどうするんだよ」

 そう言ってやると、

「……それもそうね」

 少々自嘲気味に、黎は頷いた。
 その表情を見ていると、意地悪なことを言って苛めてしまったように思えて、なぜだか罪悪感を覚えてしまう。
 にしてもこいつ、普段は毅然としてとても大人っぽいのに、どうしてこんな表情するんだか……。

「……こんなことを言っても仕方無いけど、わたしは不器用だから」
「とてもそう見えねえけど」
「普段の努力の結果、ということかしらね、それは。でもそれは背伸び。爪先だけで立ち続けるというのは、やはり疲れるわ……」

 いきなり何なんだと思いながらも、俺はとりあえず聞いてみる。

「何が背伸びなんだよ?」
「わたしぶることが、かしら」
「はあ?」

 よくわからんぞ。おい。

「幸せだった頃からの話よ。わたしはわたしよりずっと凄いひとたちを相手に、姉でい続けなければならなかった。本当はただの妹でいたかったけれど、できなかった。肩肘張って、努力して。不器用なのに、器用なふりをして」

 ほとんど独白のようになっていた自分に気づいてか、黎は苦笑する。

「ごめんなさい。つまらない言い訳なんて聞かせて」
「……言い訳だったのか? 今の」
「ええ。そんなところ」

 そんなところって……言われてもなあ。
 やっぱりよくわからん。
 ただ。
 もう一度黎がつぶやいた言葉は、どこか印象的に残った。
 自分は、ただの妹でいたかったと――その言葉は。


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