第25話 ミルセナルディス

     /由羅

「ん……」

 誰かが私に触れている。
 それに気づいて、私は目を覚ました。
 視界に映ったのは、見覚えのある光景。自分の部屋だ。

「ようやくお目覚めね」

 横から、どこか嬉しそうな声が響いて――私はびっくりする。

「え、なに……!?」

 だってこの部屋に、自分以外の誰かがいたことなんて、ないから。
 驚く私とは対照的に、そこに座っていた少女は、とっても優雅な微笑をこしら拵えて、口を開いてきた。

「おはよう、由羅。勝手にあがらせてもらったけど……いいわよね?」
「あ、え、あ……え?」

 私はこの状況がちっとも理解できなくて、たぶん、笑われるくらいに動揺しまくっていた。
 えっと、確か昨日は……。
 まずはと記憶を探って――顔をしかめた。

「……私、何でこんなところに」
「それはね」

 説明してくれたのは、目の前の少女。

「わたしが助けてあげたから。あの場所から、ね」
「あなたが……?」

 そうだ。
 昨日の夜――わたしはジュリィと戦って。真斗と……会って。
 でもジュリィにやられてしまって……。

「あっ」

 私は思わず刻印のある手を見た。
 そこに、相変わらず刻印はされている。
 でも……痛く、ないのだ。それこそ全然……。

「それならば、わたしが封印しておいてあげたわ。綺麗でいいけれど、少々痛いでしょうから」

 事も無げに、言ってくれる。

「封印って……あなたが? 中和……じゃなくて?」
「中和はもうできなくなってしまったからね。仕方無いから、左手そのものを封印したの。だから注意してね? 今のあなたの左手は、いつものように力を振るえないから」
「あ、ありがとう……」

 何でそんなことをしてくれたのかと思うよりもまず先に、口から出たのはお礼の言葉だった。
 そんな様子の私を見て、少女は気を良くしたように、続けてくる。

「覚えている? あなたの左手は、更にもう一回、呪われてしまったの。そのせいで、うまく結界が張れないというわけね」
「呪われた? でも、そんなの……?」

 首をかしげたが、すぐに思い出した。

『汚れるがいいわ……!』

 確か――ジュリィがそう言っていた。
 あの女を貫いた時に、そんな風に。

「あの、時……」
「そう。あの女、自分の血を媒体にして、ちょっとした咒をかけたようね。解けないわけじゃないけど、まあ面倒くさい代物には違いないわ。あなたの様子から、そんなに時間をかけるわけにもいかなかったし。だから封印という形でとりあえず、ね?」

 ちゃんと理解できたわけじゃなかったけど、とにかく――自分は助けられたのだ。
 それは素直に嬉しかった。
 相手の意図なんかを考える前の、感情ではあったけど。
 でも……同時に身体が震え出す。
 昨夜のことを、鮮明に思い出せば思い出すほど。

「よくも……」

 自分でもぞっとするくらい、暗い声。
 私の記憶に残っているのは、自分がやられたことなんかよりも、ジュリィが……真斗を、殺そうとしたこと。
 それ、に……。
 嫌な光景まで思い出してしまい、私は頭を振った。
 長い髪が振られて少女にもぶつかったけど、彼女は気にする風も無く、こっちを見つめている。

「真斗……。――真斗は? 真斗は大丈夫だったの……?」

 思わずすがるように、私は尋ね聞いた。

「ああ、彼ね」

 ちゃんと知っているのか、少女は頷く。

「大丈夫でしょう……恐らくね」
「で、でも……だって……」

 そう言われても、安心はできなかった。
 私は真斗を助けるつもりだったけど、それができなかったのだ。
 その後のことを考えると、不安で不安でたまらない。
 そんな私の様子を見て、興味を覚えたように少女の瞳が妖しく光る。

「ふうん……。ずいぶんご執心ね?」
「え、な、なに?」
「だから、その真斗という人間」
「だって……真斗は……」

 真斗会ってからあんまり時間もたっていないけど、それでもその時間は不快ではなかった。むしろ楽しかったくらいだ。
 出会いは最悪だったけど、昨日真斗は……許してくれるって……。
 なのに……。
 ぐすり、と涙が込み上げてくる。
 同時に怒りも湧いてくる。
 ――と、そんな私の感情を包み込むように、少女は私を抱きしめていた。

「な、なに……?」

 私はびっくりして、あたふたするしかなく。
 けど、どうしてだか撥ね退けることはしなかった。

「あなた、いいわ……。わたしはね、そういう純粋な感情が好き。良くも悪くも……ね?」
「ね、ねえ……?」

 戸惑いながらも、私は今更のように――尋ねる。

「あなた、誰なの……?」
「わたし? わたしはね……」

 くすりと笑った後に。
 少女はその名を名乗った。


     /真斗

 柴城興信所に行くと、まるで待っていたかのように事務所で最遠寺が座っていた。
 ついでに上田さんの姿もある。

「思っていたより、早かったわね」

 そう言う最遠寺には、ぱっと見た目、昨夜負ったはずの重傷の様子などは見当たらなかった。

「待ってた……ってことか。ちょうどいい。俺らもお前に話があったんだ」
「そうね」

 最遠寺も頷く。

「場所を変えましょう。ここじゃあ……ね?」
「そうだな」

 事務所には、所長はもちろんとうどう東堂さんの姿もある。
 明らかに、こちらの方を注視していた。

「ってなわけで所長、ちょっと出てくるな」
「なんだ。内緒話か?」

 所長の言葉に肩をすくめ、ああと頷く。

「そんなとこだよ」

 適当に答えた後、俺と茜、そして最遠寺は外へと出た。

 落ち着いたのは、近くの公園。
 途中で買い込んだ朝飯を持って、ベンチに腰を落ち着ける。
 最遠寺は立ったままで、こちらを見ていた。

「そんじゃ……まず最初に聞かせてもらうぜ」

 そう前置きしてから、俺は続ける。

「これからどうする気だ?」

 昨夜のことよりも、まずはそのことを聞いた。
 最遠寺は苦笑する。

「どうもこうも……。わたしはあの異端を狩るわ。変わりはない」

 ふむ……予想通りの返事、か。

「俺が……昨日あいつに言ったこと、覚えてるよな?」
「あの子を許す、と?」

「ああ。今もそのつもりだ。ならお前は……俺をどうする? 前言通り、用済みは処分か?」

 皮肉に聞こえたのか、最遠寺はわずかに顔をしかめた。
 ――すぐに、元に戻りはしたが。

「その気はないわ。あなたはわたしの大事な協力者だもの。昨夜のは、ただの狂言。わかっているでしょう?」
「わかっていても、不快だ」

 答えたのは、茜。

「それに本当に狂言だったのだと、私は信じているわけじゃないぞ」

 剣呑な口調なまま、茜は最遠寺をねめつける。

「――ごめんなさい」

 あっさりと、最遠寺は頭を下げた。

「でも、必要だったの。わたし達は、決着をつけなくては終われないと……ユラにも、桐生くんにも……わかって欲しかったから」

 それはどんな説得もきかないと、言外に語っていた。

「ユラには逃げられたけれど、あれであの子は……絶対にわたしを殺そうとするでしょうね。それでいいのよ」
「なにがそれでいいんだよ」

 俺は不機嫌になって言った。

「俺はそういうのが嫌だから、やめてくれって言ってるんだろうが」

 少なくとも由羅の方は、何とかなりそうだった。
 最遠寺が邪魔さえしなければ。

「ならばユラについて、わたしを殺す?」
「お前なあ」
「だとすると、わたしは笑いものね。味方を作ったつもりが、実は敵を増やしていただけということだったのだから」

 自棄っぽく、そんなことを言う。
 あくまで表面的に――であったが。

「ああ笑ってやるよ。くそ」

 まったく……。

「――黎」

 茜が、言葉を滑り込ませてくる。

「真斗のことはともかく、少し話してもらおう。お前自身のことを」
「……わたしのことを?」
「そうだ。お前があの異端を執拗に追う理由を。それに、お前が何者なのかも」

 確かにそれは、聞いておきたいことだ。
 最遠寺の動機。由羅と何があったのか。
 それに、最遠寺自身のこと。
 いくら最遠寺家の者とはいっても、あの由羅とああも戦えるのだ。どうもその正体は、ただものじゃない。

「聞いて、どうするの?」
「判断する。最初は協力するつもりでいたが、再検討したい。お前が私が協力すべき相手かどうか。少なくとも私は、騙されるのは嫌いだ」

 つまり茜自身、自分のこれからを決めたい――というわけか。

「確かに……。今のままでは、この先もあなたの協力は得られないでしょうね」

 そうつぶやくと、最遠寺は小さく頷く。

「いいわ。もうここまできたのだから、全て話しましょう。……まずは名前からね」
「名前?」
「偽名ということか」

 首をかしげる俺とは対照的に、茜がそう言う。

「む?」
「聞いていなかったのか? あの異端が、何度か黎のことを指して呼んでいただろう。最遠寺黎とは違う名を」

 そうだったっけかな……?
 記憶を探ってみるが、あんまり思い出せない。
 まあ俺、あんまり余裕無かったしな……。

「九曜さんの言う通りよ。最遠寺黎という名は、ただの偽名。まあこの国で動くには、この国らしい名の方が、動きやすいと思ってね」
「じゃあ、本名は何ていうんだ?」
「ジュリィよ。ジュリィ・ミルセナルディス」

 ジュリィ、ね。
 明らかに外国のものだと分かる、名前だった。

「ちなみに桐生くんが由羅と名づけたあの女の本名は、ユラスティーグ・レディストア。そんな名前よ」
「……確かあいつ、自分の名前覚えてなかったよな」

 辛うじて頭の部分だけ覚えてて、ユラと名乗ったってわけか。

「――ミルセナルディスだと?」

 俺があいつのことを思っていた一方で、茜が怪訝な声を上げていた。

「どうした? 茜」
「いや……。その名前はアトラ・ハシースで聞いたことがあるような気がして……」
「博識ね」

 微笑んで、最遠寺がそんなことを言う。

「ミルセナルディス。この名は、最初の魔王の姓。レイギルア・ミルセナルディスの」

 ……魔王?

「――ああ、そういえば」

 言われて、茜が頷く。
 俺にしてみれば、初耳だけど。
 もちろん、魔王という存在のこと程度は知っている。
 実在したかどうかはともかく、異端の中で、魔族やら妖魔やらと呼ばれている存在は、その血を受け継ぐ者であるとか何とか。

「現在に至るまで、悪魔との契約によって魔王となった人間は、四人いるわ。レイギルア・ミルセナルディス、シュレスト・ディーネスカ、クリーンセス・ロイディアン、そしてフォルセスカ・ゼフィリアード」
「はあ」

 と言われても、俺には知らない名前ばかりだ。
 九曜家でも、そんなことまで習わなかったし。

「なん……だと?」

 俺にはまったく縁の無かった名前でも、茜にとってはそうではなかったらしい。

「今なんて……ゼフィリアードと言ったのか……!?」

 驚きつつ詰め寄られて、最遠寺は小さく頷く。

「ええ。ゼフィリアードと言ったわ。最後の魔王、フォルセスカのね。もっとも彼に関しては、フォルセスカという名前以外、伝わってはいないけれど」
「まさか……」
「そうだったわね……あなたはあの方をご存知だったものね。迂闊だったわ……」

 少々口が滑ったと、そんな表情になる最遠寺。

「知っているのか!? あいつのことを!」
「お会いしたことはないけれどね。でも……九曜さん。今あなたが疑問に思ったことを、決して本人に聞いては駄目よ?」
「……どうして?」
「どうしても、よ。知りたければ教えてあげるけど、あの方にだけは言っては駄目。いい?」
「わかった、けど……」

 釈然としない茜だったが、もっと釈然としないのは俺だ。

「おいこら。俺に全然わからん会話を二人で進めるなって」
「そうね。九曜さん。この話はまた後でにしましょう」
「そう……だな。話を戻そう」

 そうそう。それでいい。

「んで? 魔王が何だって言うんだ?」
「率直に言えば、レイギルアはわたしの兄なのよ」
「ほう」

 …………。
 …………はい?


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