第19話 覚えのない真実

        /真斗

 信じられないくらい、最遠寺は速かった。
 咒法には、自分の身体能力を一時的に高めたり、また恒常的に高くしておくことのできるものがあるらしい。
 しかしそんなものを自分にかけているような咒法士など、限られている。よほど咒法の知識に精通し、また戦いというものを日常に位置付けている連中。
 俺は何とか後を追いながらも、どうやら最遠寺が誰かの後を追いかけているらしいことに気づく。
 俺にも何度か見えたからだ。
 夜空を舞う、二つの人影が。
 そいつらが地面に降り立ったその場所へと、迷わず駆けていく最遠寺。
 そして。

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「荒ぶ風、北より抜けて、氷結の雨たらん。凍てつき穿つ、極淵の風――」

 俺の言葉などまったく聞かず、立ち止まっていたその人影へと向けて、それこそ問答無用で咒法を叩きつけた。
 最遠寺が使ったのは、俺の知らない咒法。
 九曜家で習ったものと似ていたが、少し違う。
 最遠寺は見事といえるほどの精密さで咒を組み立てると、まだこちらに気づいていない相手にへと、咒法を放つ。
 現れたのは、幾数もの氷の刃だった。

「――――!」

 狙われたその人影は、突然のことに驚きながらも、何とかしてその場を飛び退く。
 しかしその完全な不意打ちに、いくらかの刃を身に受け、鮮血を舞わせて顔を苦痛にしかめた。

「なに――あなた!?」

 裂傷したところを押さえて、こちらを見たそいつは、最遠寺を見て驚愕の表情を浮かべる。
 そして後からきた俺を見て――
 は……?
 一瞬、俺の思考が停止する。
 そこにいたのは――

「由羅!?」
「真斗……? うそ、なんで―――」

 あいつも呆然としたように、こちらを見返している。
 そしてそのすぐ近くには、物々しい銃を構えた、茜の姿。

「真斗――どうしてここに」

 茜も驚いたように、こちらを見返している。
 ただ一人冷静なのは、口元に微かな笑みさえ浮かべて眺めている、最遠寺。
 俺は状況が理解できず、全員の顔を見回す。
 誰もが、俺の知っているやつだ。
 最遠寺が追っていた二人は由羅と茜で、二人のうち由羅に向けて、最遠寺が攻撃を仕掛けた――俺にはそう見えた。何の確認も無く、だ。
 それに第一、由羅と茜は何をしていたのか。

「真斗……」
「動くな!」

 最初に動こうとした由羅を、茜が銃口を向けて制止する。
 最遠寺もまた、俺と由羅を遮るように、ちょうど間へと移動した。そして口を開く。

「……さすがね。こんなに早く、犯人を見つけてしまうなんて」

 な……?

「待て――どういうことだ?」

 俺はなるべく冷静になろうと努めながら、低く問いただす。

「真斗。こいつがそうだ。私が追っていた異端――そしてここ最近、事件を起こしていた犯人。お前が追っていたやつだろう」

 答えたのは茜。

「待てよ……何の冗談なんだ。俺はそいつのことを知っている。由羅っていうやつで……最遠寺、お前だって知らないわけが」

 そこで息を呑む。
 最遠寺は何の容赦も無く、由羅を攻撃した。
 まさか。

「そうよ、桐生くん。わたしは初めから、その女が異端であり、一連の犯人だということは知っていたの」
「な……」

 俺は再び由羅を見る。
 由羅は、もう俺を見ていなかった。誰も見ず、ただ視線を下に向けている。

「おい由羅! いきなりこんなこと言われて……俺は信じてないぞ」

 突然そんなことを言われて、はいそうですかと頷けるわけもない。
 だっていうのにどうして……お前は黙ったまま、何も否定しないんだよ。

「最遠寺……それに茜も。何を根拠にそんなこと言うんだ。わかるように説明してくれよ」
「説明なんて、本当は不要なのだけれどね」

 最遠寺はくすりと笑う。

「その女の左手……それこそが、全ての証拠なのだから」

 その一言が。
 由羅を、びくりと震わせた。

「左手……?」

 俺は眉をひそめ、思い至る。
 あいつの左手にあるのは、刻印咒。
 誰かに刻まれたという、呪われたもの。

「その刻印は、いったいどうして刻まれたのかしら。そして誰に……ね?」
「これ……は……」

 目に見えて、うろたえる由羅。そして、俺を見る。信じられないくらい、哀しげな瞳で。

「それは、あなたが殺した人間に、最期の力でもって刻まれたもの。そう……桐生くんに、ね」

 は……?
 俺が、だって?

「おい……何言ってるんだ? 俺がいつそんなことをしたって言うんだよ。第一俺は死んでなんか……」
「死んだのよ」

 あっさりと最遠寺は告げる。
 冷たく、はっきりと。

「まあ正確には……命の灯火が消える寸前だった。わたしが見つけた時にはね。それを、助けてあげたの。どうやらその時に、記憶の混乱を起こしてしまったようね。あなたはその女に出会ったこと……殺されそうになったことを、次の日目覚めた時には忘れてしまっていた。朝、とても身体が痛かったでしょう? 心臓を握り潰されていたんだから、当然だけれど」

 何だって……?
 そんな、そんな――ことが。
 確かにあの日、調子は悪かった。
 そして、由羅と出会って。
 そういやあいつ、何度も言っていた。
 あの刻印咒を刻んだのは俺、だと。
 だから俺の所へ来た、と……。

『そ、その……あの時のことは謝るから、許してよ……』
『……やっぱり私のこと恨んでるの?』
『この馬鹿っ。どうして一日もたってないこと忘れちゃうのよ!』
『――これしたの、あなただもの』

 あの日のことを思い出せば、そんな会話が確かにあった。
 どれもが、聞いていた俺にしてみれば、よく分からなかったこと。
 しかし最遠寺の言うことが本当だったとしたら、どれもが説明がつく。……ついてしまう。

「自分が手にかけた相手に、何とかしてもらおうと頼るなんて、本当に呆れた女ね。彼が忘れていることをいいことに」
「なによ――なんなのよ!」

 たまらなくなったように、由羅が叫ぶ。

「どうして壊すの!? 私、今の生活がとても気に入っていたの! ずっとこのままでいたかった! それをどうして……! なんなのよ……あなたたちはっ!」
「相変わらず我侭なことね。しかも都合よくできているようだし……」

 由羅の言葉に、最遠寺の表情に憎悪が満ちる。

「他人の忘却に付け込んだだけではなく、自分のことすら忘れているなんて」
「自分……? 私のこと、知ってるって言うの」
「もちろん――知らないわけがないわ。ユラスティーグ・レディストア」

 言われて。
 由羅の表情が固まる。
 そして。
 あいつは小さく搾り出すように口を開いた。

「……………………ジュリィ・ミルセナルディス……」

 長い沈黙の後に紡ぎ出された名に、最遠寺は笑う。

「そう――ようやく思い出してくれたかしら。ユラ」
「…………っ」

 歯を噛み締めて、由羅は最遠寺を睨みつける。
 俺には少しも理解できない、会話。
 だが二人にとってはそれだけで、お互いを認識してしまったらしい。

「こんな……ところまで……」
「長かったわ。けれどもう終わりにしたくなったの」
「そう……」

 由羅は、頷いて。

「じゃあ、そうすればいい」

 そう言った後、俺へと視線を送ってくる。
 哀しげで、申し訳ないような、そんな顔。

「……ごめんね」

 それだけの言葉を残して――由羅は地面を蹴り、その場から大きく跳躍した。
 闇へと舞い、消える姿。
 おまえ――何か。

「――――」

 それを追う、最遠寺。
 何が、ごめんね――だ!

「待て――待てよお前らっ!!」

 俺はあらんばかりの大声で叫ぶ。
 しかし止まったのは、由羅を追おうとしていた最遠寺だけだった。
 最遠寺はこちらを見返して――ふうと、息をつく。
 由羅の姿はもう、どこにも無い。

「……わたしとしたことが、少し感情に流されてしまったようね」

 自嘲するような笑みを浮かべて、小さくつぶやく最遠寺。

「いいわ。どうせだから、はっきりさせておきましょう」

 そんな風に言う最遠寺の声が、やけに空しく響き渡った……。


 事務所に戻り、無言で椅子に座る俺と茜へと、最遠寺がお茶を入れて運んでくる。

「どうぞ」
「……ああ」

 飲む気にはなれなかったが、それでも適当に頷いておく。
 茜は茜で多少困惑した様子で、自分の分を受け取っていた。
 あいつにしても、今回のことの全ては分かっていないのだろう。もちろん俺に至っては少しも理解していない。
 全てわかっているのは、最遠寺だ。

「説明……してくれるんだろうな」
「ええ」
「本当に、あいつがそうなのか」
「そうよ」

 あっさりと頷く最遠寺。

「……そのことに関しては、間違いない」

 茜も、同様に頷いてみせる。

「あれはもともとアトラ・ハシースに封印されていた、過去の化け物らしい。それが一年以上前に、突然その封印が解かれてしまったんだ。封印されていた本人は逃亡し、私たちはそれを追った。結果は少し話したと思うが、こちらが犠牲を出すばかりで、なかなかその消息を掴めはしなかった。現在では私がその追跡の責任者であり、発見後の裁定内容は抹殺だ」
「過去の……化け物?」
「うん……詳しくは知らないけど、そう聞いている。でもたぶん、あれが何であるのかアトラ・ハシースでもよくわかっていないんじゃないかと思う」
「あれはドラゴンよ。千年ドラゴン……スセシオン魔王の遺産とも呼ばれている代物」
「……何だって?」

 驚いたのは、俺ではなく茜だった。
 俺には何のことか、分からない。

「ドラゴンとしてあれが目覚めたのは、今から千三百年ほど前のこと。伝説にもなっているでしょう? あれが、その起源」
「待てよ。何のことなんだ? 俺にはさっぱり……」
「千年ドラゴンというのは、魔王のみが生み出せるという獣のことだ。伝説では一生に一度だけ、魔王はその卵を作ることができるらしい。誰か魔性のものをベースにして、一旦卵にまで還元し、そのまま千年を経ると目覚めるという……極めて強力で凶暴な獣だって聞いている。……もっとも、アトラ・ハシースに正式な記録は残っていない。あくまで口伝であって、本当かどうかもわからない話だ」
「それがあいつだって――言うのか」
「それは私にもわからない」

 俺と茜は、同時に最遠寺を見た。

「なぜ……お前はそんなことを知っているんだ?」

 不思議そうに聞く茜。
 茜の言う通りなら、どうしてアトラ・ハシースでもない最遠寺がそんなに詳しく由羅のことを知っているのか。

「多少、事情に詳しいだけよ。そんなことよりも重要なのは、桐生くん、あなたのことの方。まだ思い出せない?」

 ……俺があいつに殺されていて、しかもあいつに刻印咒を刻んだってことか。

「思い出せないな。だからまだ信じられない」

 しかしあいつは全く否定しなかった。
 本当に俺が忘れているだけならば、辻褄が合ってしまう。

「真斗、聞きたい。もしかして、お前が今日の朝に私に会わそうとしていたのは……」
「ああそうだよ。さっきのあいつだ」

 茜へと、俺は頷く。

「あいつを何とかしてやるつもりだった。だっていうのに――くそ!」
「謝るわ。桐生くん」

 不意に、最遠寺がそんなことを言った。

「……何がだ?」
「わたしはあなたが記憶を失っているとは思わなかった。でも失ってしまっていて、それでもしばらくすれば戻るだろうと思っていたわ。やはり自然に思い出すのが一番、あなた自身が納得できるから。だからわたしはあえて何も言わなかった。でもその間に……」

 俺は由羅と再び会って、そしてあんな約束までしてしまったというわけか。
 何とかしてやる、なんて。

「こんなことで桐生くんが悩むのなら、少しでも早く真実を告げれば良かったと思う。それをしなかったことを、謝っているの」
「……いいさ、そんなことは」

 一番の問題は、俺が覚えていないことだ。
 くそ……!

「それでこれからどうするつもりなんだ」

 尋ねたのは、茜。

「私の目的ははっきりしている。あれを、抹殺すること。今日少しやりあってみたけど、思っていた以上に、強い。協力があると嬉しい」
「わたしは構わないわ。わたしはわたしで……あれに恨みがあるの。殺すことができるのなら、アトラ・ハシースでも腕利きのあなたの協力は嬉しいわ。九曜さん」

 あっさりと、二人は協力体制をとってしまう。
 問題は俺か。

「最遠寺……俺を助けたって言ってたよな? どうしてだ?」
 聞いた話では、少なくとも俺は瀕死の重傷だったはず。それをたった一晩で蘇生させたという事実は驚きだが、それ以上になぜ助けたのか。
「助かるかもしれない人を、助けてはいけないのかしら」
「ああ……そうだな。すまない……馬鹿なことを聞いた」

 最遠寺の言う通りだ。
 人が人を助ける理由など、決して大したことではない。

「いえ、いいのよ。あの女にあれほどの刻印を刻んだあなただもの。それを見ていて、打算が無かったといえば嘘になるわ。それに一部始終を見ていて、本当は助けるつもりは無かった。わたしは様子を見ていただけだから。でもあなたに思わぬ反撃を受けて、あれは動揺して――その場から逃げ出してしまったわ。いつもなら、死体であろうとバラバラにしていたのに。だから助けられたの」

 そういえば、と思い出す。
 三日前を最後にして、ここのところ殺人は起こってはいない。その三日前の殺人も、連日のものに比べて、死体の損傷は激しくなかった。している余裕が無かった……ということか。

「わたしはあなたが回復したら、協力してもらうつもりだったの。あの女を狩ることに」

 ぞっとするような冷たい声で、最遠寺は言う。
 協力……か。

「できないな……きっと」

 まだ実感が湧かない。
 何より俺はあいつのことを知ってしまった。二人が言うような悪いところではないものを。

「そのようね」

 あっさりと、最遠寺は頷いた。

「けれど記憶さえ戻ればきっと協力してくれる。あなたが自分に受けた仕打ちを思い出せば、憎むことさえ簡単でしょうね。でなければ……あんな刻印を、刻んだりはしないわ」
「……かもしれないな」

 あんな呪いを、誰かに刻むなど。
 俺はそんなことは一生無いと思って、疑っていなかった。
 だっていうのに、もし全てが真実ならば……。

「桐生くん。できればあなたには、協力して欲しい」
「私は反対だ」

 今まで黙って聞いていた茜が、口を挟む。

「感情的な理由以前に、私は元々真斗が関わることには反対だった。しかも相手は千年ドラゴンなんていう化け物なんだ。私たちだってどうなるか、わかりはしないんだぞ」

 そう……か。
 もしあいつを殺そうとこの二人が動けば、当然あいつも反撃する。
 その結果、どちらかが死んでしまう可能性が、充分にあるってわけか。

「くそ……冗談じゃねえ……」

 本当に冗談じゃない。
 何でいきなり……こんな展開になるんだよ。

「お前ら……どうしてもあいつを殺さなきゃいけないのか?」
「真斗。この一連の殺人は紛れも無くあれなんだ。例えアトラ・ハシースの者が犠牲になったのが正当防衛だったとしても、ここで起きた殺人は、何の意味も無い快楽殺人だ。それを見逃せと、そう言うのか?」
「だけどあいつは……っ」

 そんな奴じゃ、ない……。
 少なくとも俺はそう思っている。
 でも失っているかもしれない記憶のせいで、断言することはできなかった。

「仕方ないわ……九曜さんの言う通り、危険なことには違いないから。強制はしない。けれど、その気になったら協力くれると嬉しいわ。ただ……あまり時間はないようだけど」
「時間がない……?」
「ええ。あれは、わたしの宣戦布告を受け入れた……わたしが動かずとも、向こうから来るわ。そうね……恐らく、明日の夜には決着がつく」

 考える時間は一日……ということか。

「思い出して……みるさ。それから決める」

 俺はその時、ただそうとだけ、答えた。


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