第13話 腕試し

        /茜

「―――間違いない」

 眼下に町を見下ろしながら、私は低くつぶやいた。
 この町はとても明るい。とっくに深夜を回っているというのに。
 もっとも全てがといわけでもない。一部の繁華街に光が集っているだけで、人も寝静まってかなりたつこの時間では、闇に沈んだ場所の方が圧倒的に多いのだから。

 風が吹く。
 身に染みる寒さを運ぶ風に、血の香は無い。が、それでも――残滓は残っている。
 この町で、何かがあった証拠。
 実際、ニュースでも取り上げられていること。
 恐らく、このどこかに潜んでいるのだろう。

「でも……まさかこんな所にいるなんて」

 私にとって、この町は初めてではない。知り合いが住んでいて、何度か……会いにきたことがある。
 一度私が向こうにいる時に押しかけられて、重々に懲りたから、なるべく定期的に訪れるようにしていたのだ。
 だが今回は、別の目的をもってここに来ている。ある者を追って。
 一応、仕事だ。

 ここに住んでいる知り合いに頼めば、恐らく二つ返事で手伝ってくれるだろう。どうしてかは知らないけれど、私は彼女に気に入られてしまっているから。
 だけど、厄介なのも周りにいるのだ。
 顔を合わす度に文句ばっかり言う女とか……あの人とか。
 好きとか嫌いではなくて、何となく苦手……というのが正直なところである。
 できれば顔を合わさずにすみたいというのが、私の本音かもしれない。
 まあどうなるか分からないが。

「――――」

 私は闇の中に動く人影を捉えて、目を細めた。
 少し遠くて分からないが、多分、普通の人間。
 でも――

「…………」

 思い至った可能性に突き動かされるように。
 私は足場にしていたビルの屋上から飛び降りた。

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        /由羅

「…………」

 電気もついていない部屋で私は一人、小さく包まっていた。
 深夜はとっくに過ぎていて。
 少し前だったら、愉悦を求めて町を彷徨っていた時間帯だ。
 でも今日は、そんな気はまったく起こらなかった。
 頭に浮かんでいたのは、今日一日のことだ。

 けっこう――楽しかった。
 色んな場所に連れていってもらったり、逆に連れ回したり。
 自分一人ではどうしても手に入れられないものだ。最近まで夜を徘徊して愉しんでいたこととは、明らかに違うもの。
 自分に呪いがかけられていることも忘れるくらい、今日一日は充実していたような気がする。

 でも、不安もあった。
 真斗と一緒にいた女。
 初めて会ったのだとは思うのだけど、なぜか不愉快だった。今まで人間を見て感じていた支配感とは、全然違う類の気持ち。

 ……誰だったのだろうか。
 あの女もあの女で、まるでこちらの全てを見透かしているような感じだった。
 私が毎夜出歩いて、人を殺していたこと。
 真斗を殺しているかもしれないということ。
 それに、私でも思い出せない、目覚める前のことまで全て知っているような気がした。
 ……ひどく、嫌だった。

『まったく誰かしら。そんなことするのは……ね?』

 本当はもっと真斗といたかったのだけど、あの女にそう言われて、急に不安になって逃げ出してしまった。
 気づいたら、彼の前から離れてしまっていたというべきかもしれない。
 不安。
 あの女はきっと、私が今手に入れた生活を、壊してしまいそうな気がする。
 殺してしまった方がいいのかもしれない。
 私の中のどこかで、そんな声がした。

「違う……駄目」

 私はぶるんぶるんと頭を振った。
 人間を殺すことに、大して抵抗は無い。
 そもそも私を追って、殺そうとしてきたのは人間の方だ。それが大して強くもない連中だと分かって、立場は逆になってしまったけれど。
 でも、駄目な気がする。
 真斗は、悪いことをする人間以外のものにとっての敵対者だ。あの日、私と彼が出会ったのは、真斗がここ数日この町で人を殺していた私のことを察知して、捜していたからだろう。
 偶然ではないのだ。

 今また誰かを殺せば、私は本当に彼に敵とされてしまう。
 狩られることが恐いわけではない。
 だって、私の方がずっと強いのは間違いないから。あの日のように、簡単に返り討ちにできるだろう。
 私が恐いのは、真斗が私と一緒にいてくれなくなること。
 敵としてでしか、私を認識してくれなくなること。

 そんなのは嫌。
 彼とは最悪の出会いだったけれど、どんな運命のいたずらか、今こんな結果になっている現状を、覆されたくはなかった。
 我侭、というもの分かってる。
 でも……それでも。
 思えば思うほど、不安になってしまう。
 私はぎゅっと、自分自身を抱き締め続けた。

        /真斗

 深夜を過ぎて、俺は夜の町を歩いていた。
 場所は、ここ数日殺人の起こった現場近く。
 殺人犯――しかも人間ではないだろうと思われる相手を捜すというのは、なかなか鬱になる仕事内容だ。
 ニュースを見た限り、昨日は殺人事件は起こってはいない。
 だいぶん騒ぎが大きくなったこともあって、相手も形を潜めた可能性もあるが、それでもまだ一日だ。もし一昨日の事件と今までのものが関連性が無かったとしても、二日。
 まだまだ同様の事件が起こる可能性はある。

「…………」

 人の気配。
 そんなものを感じて、俺は立ち止まった。
 単なる通りすがりとは違う、明らかにこちらに向けられた意識を、背中に受ける。
 俺の知覚能力なんぞ大したことはないが、それでも色々と訓練した身だ。常人よりは在る程度勘が良くなっている。
 振り向くべきかどうか、俺は悩んだ。
 相手の気配も止まっている。
 相手が何者であるかは分からないが、少なくとも背後を取られてしまっているのだ。ただ、距離はかなりあるだろうが。
 このまま立ち止まっていても埒が明かない。
 俺は振り返って――目を細めた。

「いない……?」

 違う。
 近くにいないだけだ。
 ずっと向こう――遠い民家の屋根の上に、シルエットが見えた。
 人間の、姿。
 思った以上の距離があって、正直顔はおろか、男か女かすら分からない。
 しかしそれでも感じた視線。明らかに、意図的な投げかけられた気配。俺に、気づかせるために。
 一気に俺は警戒を強めた。
 懐に忍ばせてある銃の感覚を、そっと確かめる。

 と、不意に人影が身を翻す。
 俺のいる方向とは反対に向かって。
 しばらくの間、俺は追うべきかどうか悩んだ。
 が、結局やめる。
 危険かどうかは分からないが、無茶なことはするべきではないだろう。
 そう決めて。
 俺はその場所を後にした。

 その場を離れた後も、警戒は解かなかった。
 いや、解けなかったというべきか。
 気配はいったん途絶えた。
 しかしすぐに、再び現れたのである。
 しかも今度は先ほどまでよりずっと、あからさまに。
 足を止める。
 相手は――止まらない。
 おいおい……っ?
 ハッなって振り向いた時には、すでに背後に迫った影。

「んなっ!?」

 思わず飛び退いたが、頬を何かがかすめた。
 冷やりとした感覚。長い刀身が触れた結果だ。
 相手の姿は暗闇に紛れ、よく分からない。
 顔も、何かで隠している。

「ち……!」

 もしかするとこいつがそうなのかもしれない。
 連日の殺人犯の可能性。それを咄嗟に脳裏に浮かべた。
 拳銃を引き抜く。
 相手の持っているのは刀身の長い剣。
 しかしあまりに近すぎて、この距離ならば使い勝手が悪いはず。

「――止まれ!」

 俺は瞬時に銃口を合わせた。
 相手が剣を振るうより、こちらが引き金を引く方が早い。
 俺の武器は飛び道具。
 間合いを詰められると弱いが、ここまで詰まってしまえば、剣よりは有利だ。

 一瞬、相手の動きが止まる。
 ……言葉が出てしまったのは反射的なこと。
 相手がそのまま動けば、俺は迷わず撃つつもりだった。
 正体が分からないとはいえ、見極められないうちは敵とみなす。それくらいの覚悟が無いと、こちらが命を落としてしまう。
 相手は仮面のようなもので顔を隠していた。
 背丈は決して高く無い。
 華奢な印象すら受ける。
 俺は目を凝らして、ふと眉をひそめた。

「お前――?」

 相手の仮面の下で、口が笑みの形に歪む。
 俺が相手の正体に気づき、一瞬動揺してしまったことで生まれた隙――それを、こいつは見逃さなかった。
 相手はあっさりと剣を捨て、素手で銃を構える俺の腕を払う。
 虚を突かれ、不覚にも俺は銃を手放す。

「お前……おい、こらっ!」

 俺は慌てたが、相手は動じることなく襲い掛かってくる。
 くそ――いったい何考えてやがるんだ!?
 お互い丸腰ではあったが、相手の体術は大したものだった。
 俺も九曜家で、武器の扱いとともに身のこなしについても修練を積んでいる。素人相手の喧嘩程度ならば、まず負けないだろう。

 だが相手は充分に強かった。
 よく分からなかったが――それでも俺は何とか思考切り替え、応戦する。
 幾度かの攻防のうち、決定的な隙を作ってしまったのは、俺の方だった。
 体勢を崩され、よろめいたところを見逃さず、相手は充分に力を込めた蹴りを、俺の頭目掛けて叩き付ける。

「く……っ!」

 避けられないと判断し、右からきた一撃を、俺は左腕を右手で支えて受け止める。
 ガッ……!
 歯を食いしばって耐えたものの、その一打は腕を砕きそうな勢いだった。
 が、痛みなど感じている暇は無い。
 相手の動きが止まったその瞬間を狙い、俺は迷わず体当たりをかける。
 大した力も勢いも無かったが、それでも相手は反射的にかわして。
 俺はそのまま地面へと飛び込み、銃を拾い上げる。

 そしてろくに狙いも定めず、相手へと向かって発砲した。
 二発。
 もちろん当たりはしなかったが――なぜか、相手は止まっていた。
 あまりに、無造作に。
 いきなり隙だらけになってしまったことに、逆に引き金を引けなくなってしまう。
 しばらくの沈黙。
 やがて相手から戦意が消えていることに気づいて、俺はようやく銃を下ろし、その場に立ち上がる。
 そして、口を開いた。

「お前……いったい何の真似だ?」
「ごめんなさい。突然こんなことをして」

 相手は予想通りの声を発した後、つけていた仮面を取り外し、放り捨てる。
 カラン、と夜道に乾いた音が響いた。
「謝ってもらう前に、理由を聞きたいけどな」
 俺は不機嫌に、最遠寺へと聞く。

「そうね」

 こくりと、最遠寺は頷く。
 そう――途中から気づいてはいたが、俺を襲った相手というのは紛れも無く、最遠寺だったのだ。

「ちょっとね。桐生くんの力試しをしようと思って」
「力試しだあ?」

 思わず声を上げると、くすりと笑われてしまった。
 最遠寺は地面に転がっている剣を拾い上げると、何事かを唱え――そして剣は消えてしまう。

「手荒だったとは思うわ。でも……あなたがどれくらい強いのか、知りたくて。それで、ね」

 それでね、じゃねーだろが。
 俺はジト目になって抗議したが、最遠寺は気にした風も無い。

「ってことは、俺の実力を計るために後をつけてきて、しかも斬りつけてきたってわけか」

 物騒な奴である。

「まあ、そんなところね。迷惑だったかもしれないけど」
「非っ常~に、迷惑だ」

 冗談じゃない。
 途中までは、件の殺人犯だと思ってたんだからな……くそ。
 正直文句の一つでも言ってやりたかったが、そんなことを言ったところで無駄だろう。
 そんな気がする。

「わたしはね、確認しておきたかったの」

 黙っていると、最遠寺がそう口を開く。

「……何をだ?」
「すぐにわたしだと気づいたでしょう?」
「……まーな」

 いくら夜で、顔を隠していたからといっても、分からないわけがない。

「夕方まで一緒にいたんだ。わからんわけがねえだろ」
「そう。でもわたしだとわかっていながら、銃を撃つことをためらわなかったわ。なぜ?」

 なぜってお前なあ……。

「物騒なもん振り回して襲ってきたんだぞ? 応戦くらいするだろ」
「ふふ……そうね。でもわたしが感じた限りでは、あのままわたしが殺す気でいたら……あなたもわたしを殺すことを、ためらわなかったと思うのだけど」
「…………。さてな」

 俺は銃をしまい、視線を逸らした。
 あのまま戦っていたら、か。
 まあ、否定はできないな。冗談にもならんけど。

「あなたのその割り切りの良さ……それは気に入ったわ。あなたなら良いパートナーになってくれそうね」

 はあ?

「パートナー?」

 思わず聞き返す。

「俺が? お前の?」
「そう」

 あっさりと頷かれる。
 ……ふむ、パートナーねえ……。

「って、冗談だろ? 俺なんかにお前の相棒が務まるかよ」

 相手は最遠寺の令嬢だ。
 技量・血筋において、俺なんぞは多分、足元にも及ばないだろう。……悔しいけど。
 今のだってそれなりに手加減してくれていたはずだ。

「そうかしら」
「そーだよ。今だってちょっとやりあって、優勢だったのは間違い無くお前の方だっただろ? 第一バイト相手に何言ってるんだ」
「……同等の扱いが嫌だというのなら、部下として使ってあげてもいいけど」

 おい。

「……どっちにしろ、あんまり役には立たないと思うぜ。俺はというと――」

 できるのなら、俺は一人で行動したいのだ。
 団体行動が苦手というわけではないが、とりあえず一人の方がやりやすい。慣れてるしな。
 と、どこか不機嫌そうな最遠寺の表情に気づいた。

「桐生くん。わたしと一緒に行動するのが嫌なの?」

 何やら剣呑な口調で聞かれる。

「いや、そーいうわけじゃなくてだな」
「別にわたしの言葉に従えとは言わないわ。けれど、今後は一緒に行動してもらう。何なら柴城さんを通しても良いのよ?」
「……了解」

 とりあえず、あきらめる。
 ……何というか強引な奴だ。最遠寺って。
 頷くと、最遠寺は機嫌を直したように、小さく笑ってみせる。

「わたし、あなたのことはそれなりに認めてあげているのよ? 期待しているわ」

 まったくどんな期待をされているのやら……。

「後で見損なったとか言うなよ。傷つくからな」
「あら、そう思われないように努力しなければならないんじゃないの?」
「過剰な期待に応えるための努力は、御免こうむりたいね」

 本音である。
 背伸びというのは……まあ何というか、疲れるのだ。
 何事もほどほどが一番だ。

「ふふ……本当、飾らないのね」
「あん? ……見栄のこと言ってるんなら、俺に期待しても無駄だぜ」

 九曜家ではずっと落ちこぼれだったのだ。
 あいにく技量において、今さら大したプライドは持ち合わせていない。

「でもだからこそ……覚悟が良いのかもね」

 自分はそれが一番気に入っていると。
 そんな最遠寺のつぶやきが、聞こえたような気がした。

「……ま、いいけどな。それよか今からどーするんだ?」
「見回りのことを言っているのなら、今日はもういいのではないかしら。どうせなら、明日から改めて桐生くんとやりたいから」

 ……ふむ。

「そう言うんならいいけどな。結局変な気配はお前だったわけだし……。何かもう、今日は歩き回る気力が失せたっていうか……」
「あら、それは違うわ」
「む?」

 いったい何が違うというのだ。

「あなたが感じた気配、あれはわたしではないのよ。わたしは桐生くんを襲う直前まで、気配を隠していたから。最初に桐生くんが感じたのは、別人のもの」
「別人ねえ……」

 つまり、最遠寺もその気配を感じていたというわけか。

「お前の落ち着いた様子を見るに、それが誰だかわかってるって感じなんだが」
「まあね」

 否定せずに、最遠寺は頷いた。

「誰なんだ?」
「そのうちわかると思うわ。向こうは向こうでこちらのことを警戒していたみたいだけど、さっきので充分に観察できたでしょうから。敵にはならないわ」
「……まあ、お前がそう言うんだったら、とりあえず安心しておくけど」

 どーやらこの町、物騒な奴以外にも、変なのもいるらしい。

「とりあえず、今夜はここまでにしておきましょう。今後の詳しいことは、明日事務所ででも。朝にでも迎えに行くから」
「……了解」

 今回の仕事に関して、いきなり主導権を取られてしまったような感はするが、バイトの身としては、それはそれで悪くないのかもしれない。
 戦力としては、間違いなく心強いし。
 結局この夜は俺のマンションまで二人で戻り、また明日ということで別れたのだった。


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