第11話 忍び寄る不安

        /由羅

 不思議だった。
 とてもとても、不思議。
 あの人間――桐生真斗。
 彼は不思議だった。

 近くにいても、全然違和感が無いのだ。
 今まで人間の傍にいくと、無性に不愉快になり、目障りで仕方が無かったというのに。
 そういう人間を狩りの対象にすることは、とても気持ち良くて。
 あの支配感を満足させるには、殺すのが一番だった。

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 一昨日までは、確かにそうだった。
 ――だというのに。

 今では全く感じなくなってしまっている。逆に真斗の近くにいると、どうしてだか落ち着いてしまうくらいだ。
 真斗だけが特別かと思ったが、昨日私を助けてくれた柴城という人間と一緒にいても、不愉快にはならなくて。
 本当に、不思議だった。
 それによくよく人間というものを観察してみると、意外といい連中なのかもしれない。

 その……困ってる私を、助けてくれようとしているし。けっこう優しいし……。
 だから昨日はちょっぴり嬉しかった。
 私は多分、真斗のことを気に入ってしまっている。
 初めて会った時の殺意が嘘のよう。

 もちろん、不安が無かったわけでもない。
 殺したはずの彼が生きていること。
 彼に、あの時の記憶が一切無いこと。
 そして私自身、目覚める前の記憶が無いこと……。

 それでもそんな不安は、だんだんと瑣末なことのような気がしてくる。
 私がここに来たのは、あの少女に会うため。
 それは一人では寂しかったから。耐えられそうもなかったから。――そして、恐かったから。
 でも、今は一人じゃなくなったような気がする。
 真斗……いるし。
 話し相手になってくれる人がいる。
 人間だけど、今まで感じていた変な感じがしなくなったから、もうそんなことは問題じゃない。
 そう――問題なのは。

『お前、俺に何かしたのか?』

 彼の言った、その一言。
 彼はちゃんと生きているけど、私が殺しているかもしれないという矛盾。

 もしかしたらこれは夢で、やっぱり私は一人なのかもしれないということ。
 ……そんなのは、いや。
 いやだった。

「……よいしょっと」

 私は寝床から起き上がる。
 目覚めはいい。
 昨日はどうやらよく眠れたようだ。

「…………うん」

 恐る恐る左手を見る。
 相変わらず刻印は残っているが、痛くない。
 中和してもらっても、多少は痛かった左手だけど、朝になってほとんど痛みは感じなくなった。
 余計に嬉しくなる。

 今日は朝から行く所がある。
 いつもは夜ばかりだったけど、昨日と今日は昼間に行動だ。
 何でも真斗がこの町を案内してくれるらしい。
 私はこの町に来てまだほとんど時間がたっていないし、この町のこともよくは知らない。
 何でも千年王城とかいって、昔はここにこの国の首都があったらしい。私が最近仕入れた情報は、まあそれくらい。
 それに、いくら真斗に会えたからといって、あの少女を捜すのをやめたわけじゃないのだ。この町のことをよく知っていれば、それだけ会い易くなるかもしれない。

 ――うん。
 一時はどうなることかと思ったけど、いいこともちゃんとありそう。
 私はちゃっちゃと着替えをすませると、時計を見て頷く。
 たぶん、今から行ったらちょうどいい。

 私ってば完璧。
 にっこり誰にとも微笑んでから。
 私は意気揚揚と彼の家に向かった。

        /真斗

「む……」

 目覚ましの音。
 それからカーテンから差し込む朝日が眩しくて、俺は目を覚ました。

「……朝か……」

 昨日の夜はどこにも行かなかったおかげで、ゆっくりと寝ることはできた。だいぶ、疲れがとれている気がする。

「……よし、起きるか」

 目をこすりながら、俺はベッドから這い出した。
 カーテンの向こうに見えるのは、青空だ。いい天気らしい。そのおかげで随分寒いが。

「ふああ~」

 欠伸一つしてから背伸び。
 さて。
 今日は出掛ける予定がある。
 最遠寺に頼まれた京都見物だが、おまけもくっついて来る予定だ。
 待ち合わせ場所は、柴城興信所。
 まだちょっと時間には余裕がある。
 まあシャワー浴びるくらいの時間はあるな。ここはしゃっきとするためにも――
 バキンッ。

「む?」

 不穏な音に、俺は入り口の方を見た。
 何かが割れるような音は、確かにそこから――
 ズガンッ!
 ……もっと、派手な音がして。
 ギィィ……と、力無く開くドア。
 いったい何事だ――!? と思った瞬間に、そいつがひょっこりと顔を覗かせる。

「あ、いたいた。おはよ!」

 元気一杯で挨拶してきたのは。
 紛れもなく由羅だった。

「てめえ――!」
 ご近所に迷惑になるだろう大音量で怒鳴ると、由羅はなによう、と唇を尖らせて不満を表明してくる。

「こ、の……何考えて生きてんだてめえは!?」
「な、なんで怒るの? せっかく迎えに来て上げたのに」

 く、く……こいつ、自分がやったことが分かってないのか……?
 俺は一つ深呼吸すると、びしっと由羅の手に向けて指を突きつけた。

「……その手に持ってるものは何かな……?」
「あ、これ?」

 両手で弄んでいた金属の破片を、由羅はひょいっと持ち上げる。

「……ドアノブ?」
「ドアノブ、じゃねえ」

 ……いい加減、頭が痛くなってくる。
 ったく、こいつときたら……。
 ……文句を言ってやりたかったが、何かこいつに言っても無駄なような気がするぞ……。
 結局こいつが何をしたかというと。
 鍵のかかっているドアを無理矢理開けようとして、まずノブを引き千切ってしまい、今度は鍵穴を文字通りぶち壊して堂々と入ってきやがったというわけだ。

「お前なあ……」

 呆れてものも言えないとはこのことだろう。

「どんな馬鹿力してんだよ。普通の人間にはできないよーなことあっさりしやがって」
「だから私人間じゃないって言ったじゃないの?」
「だからって実行すんな、ボケ」
「む~」

 くそ。
 どうやって大家に弁解したもんかなあ……。

「どうでもいいけど修理費はちゃんと払えよ」
「私、この国のお金なんて持ってないけど?」
「だったら働いて返せ!」

 結局怒鳴ってしまう。
 まったく……。

「くそ、文句は後でたっぷり言ってやるから、出てけ」

 バスタオルを手にしっしっと手を振ると、由羅は目に見えて表情を怒らせた。

「なによ! せっかく迎えに来てあげっていうのに!」
「頼んでねえよ。てかお前、何で俺の家知ってんだよ?」
「そんなの……」

 言いかけて、ぷい、と横を向く由羅。
 まあこいつが人間じゃなくて、じゃあどの程度人間離れした異端者なのかは知らないが、人間より優れている知覚能力を有していても不思議ではない。それでもって捜しだしたとすれば、それはそれで大したものだが、今は嬉しくないぞ。

「真斗がそんな意地悪だなんて、知らなかった!」

 意地悪って、おい。
 怒った由羅は、まるで駄々をこねる子供だ。
 長い髪を振り乱して、小さい肩で精一杯怒ってみせている。
 ……意外とガキっぽい奴なんだな、こいつ。

「俺は今から風呂に入るの」
「だとしてもどうして出てかなきゃ駄目なのよ」
「あのなあ……」

 頭に血がのぼり過ぎだ、馬鹿。

「見りゃわかるだろーが。ここはワンルームマンションなんだから、脱衣所なんて気の利いたもんはねーんだよ。お前、俺の裸でも見物する気か?」
「え? あ……」

 途端に顔が赤くなる由羅。
 何とも初々しい反応である。
 もちろん見る、とか言われてもこっちが困るが。

「……だったら最初からそう言ってよ」
「言わんでもわかれ。馬鹿」
「馬鹿馬鹿って言わないでよ……悪かったから」
「だったら出て事務所で待ってろよ。外にいたら寒いだろ」

 そう言ってやると、由羅はう~、と声を上げる。

「……せっかく来たんだから、待つ」
「……好きにしろよ。しょーがないから早く出てきてやるから」
「あ、うん……」

 由羅はすぐに笑顔に戻って、嬉しそうに頷いた。
 ……素直なのは素直なんだけどな。
 こう、ちょっとばかしズレてるというか……。
 まあ、いいか。

「なあ……お前ら?」

 事務所まで来て。
 俺は予想外の展開に、頭をぽりぽりと掻いた。
 事務所の中にいるのは、俺を含めて四人。
 面白げにこちらを眺めている所長と、俺の目の前でにらみ合っている女が二人。無論、由羅と最遠寺である。
 上田さんはまだ風邪が続いているらしく、今日も欠勤。東堂さんはすでに浮気調査に出掛けているとか。
 で、だ。
 問題はこの二人である。

「真斗……何よ、この女?」
「失礼な人ね? 初対面の相手に向かって」

 なぜだか知らないがこの二人、顔を合わせた瞬間から剣呑な空気が発生した。まるでお互い、因縁の敵同士のような感じである。……初対面のはずだが。

「桐生くん……これが所長の言っていた、おまけ?」
「そーだ」

 頷くと、由羅が怒った。

「おまけって何よ!?」
「その言葉通りの意味よ。桐生くんが決めた以上仕方が無いけれど、おまけはおまけらしく、身の程をわきまえてついてくるのね」
「あなた――!」

 一触即発という言葉がぴったりな、そんな状況。
 ったく、なんでこーなるんだか。
 このまま放っておいてもしょーがないので、俺は二人へと口を挟む。

「ケンカするんだったら、俺は帰るぞ?」

 その一言はけっこう効果があったらしく。

「……わたしも少し、大人げなかったようね」

 言って、由羅から視線を逸らす最遠寺。

「……ふん!」

 由羅はというと、鼻をならしてそっぽを向いた。
 ……おいおい。
 何なんだこいつら……?
 由羅は明らかに最遠寺のことを嫌っているようだし、最遠寺もまた、冷静な表情は崩していないものの、言葉に棘がある。
 こいつら今日が初対面だろ……?
 しかも今会ったばかりだというのに、どーしたらこんなに仲が悪くなるんだろうか。
 相性、っていうやつかもしれないが、こうまで露骨だと、俺が戸惑ってしまう。

「はっはっは。朝から大変だな、お前も」

 呑気に言うな、所長。

「なあさあ……。俺が来るまでに、最遠寺に何か吹き込んだりしたか?」
「いいや。ただお前が昨日ナンパした女を、今日一緒につれていくとは言っておいたが」
「ナンパじゃねえって言ってるだろーが」
「まあ仮にそうだとして、だ。両手に花を持つ以上、それなりのリスクは負わないといかんということだ。がんばれ」

 リスクって……。
 じいっ、といつの間にやらこっちを見ている女二人。
 うあ。
 何かけっこう危険かも。

「ちょっと真斗……私がおまけってどういう意味よ?」

 自分が付属品扱いになったことが大層不満なのか、由羅はこちらの袖をくいくいと引っ張りながら聞いてくる。
 隣では、腕を組んで眺めている最遠寺。

「そのままの意味だよ。最初に約束していたのは最遠寺で、お前はついでだ」

 昨日こいつを誘ったのは、こいつをあまり一人にしておきたくなかったからだ。それ以上、特に深い意味があるわけでもない。

「不愉快!」

 だとしても、そんな大声で表明しなくてもいいだろうが。

「嫌だったら来なくてもいいぞ?」
「ああ、それはいいわね。そうしてくれると、わたしも嬉しいのだけど?」

 ……何でお前もそう、挑発じみた発言をするかなあ、最遠寺。

「そっちこそついてくるんじゃないわよ」
「おまけが主賓を追い返すって言うの? なんて無礼な人」
「おまけおまけって……!」
「ケンカするなって言っただろーが」

 俺が呆れたように口を挟むと、とりあえず二人は口をつぐんでくれた。

「俺はお前らみたいなでかい奴のお守をする気はさらさらないんだからな。ごねるよーならやめる。……いいな?」
「……仕方無いわね」
「我慢してあげるわよ……」

 うむ。よろしい。
 やはりビシッと言ってやるのが一番ようだ。

「さて。どこに行くかだけど、お前らリクエストとかってあるか?」

 腰を落ち着けて、まず俺は聞いてみる。
 京都は観光地というだけあって、見れる場所は多い。もっとも大体が寺社仏閣であるが、好きな奴はたまらないだろう。

「私はよくわからない……けど」
「わたしも京都のことはあまり……。金閣とか銀閣とか、有名なものは知っているけれど」

 最遠寺があげたのは、確かに有名な場所だ。

「金閣ならここから近いけどな。近すぎていつでもいこうと思えば行けるからなあ……」

 それに俺はどちらかというと、銀閣の方がお勧めだ。別に銀箔は張っていないが、周りの庭園は金閣に比べてずっと風情がある気がする。
 もっとも建築物を見る、というのが主体ならば、金閣の方がいいかもしれない。文字通り金ぴかで、それなりに迫力はある。
 まあ個人の好みというところか。

「桐生くんのお勧めはどこかあるの?」

 お勧めねえ……。

「そうだなあ……。暇があれば片っ端から見て回るのが一番いいんだろうけど、今日は半日だしな……」

 時間的に、大して回れる時間でも無い。

「まあ俺も、京都のものなら何でも知ってるってわけでもないけどな。それでもそこそこ気に入っている場所っていえば……伏見稲荷かなあ」
「なに、それ?」
「鳥居がいっぱい立ってるところだよ。かなり雰囲気あるな。全部見て回るのはけっこうしんどいけど」

 とはいえそこはここからそこそこ距離があるし、全部見て回るとかなり時間がかかる場所だ。
 ただあの山から見下ろす光景はなかなかで、京都市の南の方が、かなり見渡せる。行けるもんならまた行ってみたい所だ。

「わたしはどこでも構わないわ。桐生くんがつれて行ってくれるのなら、どこにでも」
「うーん……いい場所だとは思うんだけど、時間がな。それに……」

 今はちょうど紅葉の綺麗な時期だ。
 せっかくこの時季に行くんだったら、紅葉狩りの方が期間限定な感じがして、いいかもしれない。

「南禅寺とかはどうだ? あそこの紅葉はかなり綺麗だからな。一見の価値ありとは思うが」

 それにあそこの豆腐は美味しいし。

「そうね……ちょうど紅葉が綺麗な時だから、いいかもしれないわ」
「そんなに……綺麗なの?」
「俺は桜の方が好きだけどな。けど紅葉も悪くないぞ。綺麗といえば綺麗だしな」

 人それぞれ感性というものが違うから、一概にどうだとは言えないけど、悪くはない場所だとは思う。

「じゃあそこに行く!」
「お任せするわ。桐生くん」
「あー、ちなみに真斗」

 不意に声を滑り込ませてくる所長。

「なんだよ?」
「ちなみにおれは今日人と会う約束があって、いつ帰ってくるかわからんからな」
「ああ」

 ――というわけで。
 俺たちは紅葉観賞を洒落込むことになったのだった。


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