第10話 手助けだとしても

第10話 手助けだとしても

 事務所へと戻った。
 急いで戻りはしたが、あの公園からここまではそこそこ距離がある。
 ここに来るまでの間にだいぶ出血したようだったが、由羅はまだ大丈夫のようだった。こいつは実はけっこう大した奴なのかもしれない。
 とにかく俺は急いで戻ると、所長の姿を捜した。
 いつの間にかお開きになったのか、誰の姿も無い。

「……ん?」

 ――と、声。
 見れば所長が、休憩室に使っている隣の部屋から出てきたところだった。

「真斗か。どー……」

 言いかけて、所長は言葉を飲み込む。
 俺の後ろにいる由羅を見つけたせいだ。

「……ナンパしてきたのか?」
「誰がするか。――それよりあの二人は?」
「黎君たちか? 眠そうにしてたから、隣の部屋に寝かしてある。まあ同じ部屋だとまずいから、東堂は二階に行かせたが……」

 二階というのは、所長が使っている自分の生活空間だ。
 最後まで酔いつぶれずに起きてることや、そういった気遣いなど、やはりこの所長はこういう時には大人らしく、頼りになる。

「寝てるんならちょうどいい。所長、こいつを見て欲しい」

 俺の言葉に、不審げに歩いてくる所長。俺は所長へと、繋いでいた由羅の手を見せた。

「――――。こいつは……」

 一瞬にして、所長の顔が変わった。

「……また懐かしいものを……」

 何か所長がつぶやいたようだったが、俺はろくに聞かず、機先を制するように用件を告げた。

「何とかして欲しい。事情は後で説明する」
「何とかって……なあ……」

 困ったように、所長は頭を掻いた。
 こんなことをいきなり頼まれて戸惑うのも当然だが、ここは何とかしてもらわないと。

「刻印咒か……しかもまともなやつじゃないな。こんなに禍々しいのは見たことがない」
「九曜家秘蔵のやつだよ。よそに伝わってるかどうかは知らねえけど」

 門外不出とはいえ、どこで洩れるかなど分かったものじゃない。俺の時のように。

「まともな呪いじゃないな。よくもまあ、生きていられるもんだ、このお嬢さん」
「…………」

 まじまじと、所長は由羅を見つめる。気まずそうに視線を逸らす、由羅。

「解咒、できないか?」

 俺の質問に返ってきたのは、難しいな、の一言。

「一応解咒の法は習ってはいるが、刻印解咒は難しい。一番いいのは刻印そのものを剥ぎ取ることだが、この場合だと腕を切り落とすことになりかねん。それに……」

 所長はそっと、由羅の左の袖を捲り上げた。

「これは……」
「ふうむ……思った通りだ。性質が悪い」

 先ほどは暗くて分かり辛かったが、今ならはっきりと分かる。
 今日の昼見た時に比べて、刻印が変化している。その幾何学的な模様が、腕に向かって伸びてきているのだ。

「放っておくと、全身に広がるな……きっと。すぐにってわけじゃないだろうが、少しずつ大きくなるのは間違い無い。こいつは……あれだな。自己増殖して、元の刻印から解咒するのを防ぐようになってやがる。おれには無理だな」

 その一言に、俺も、由羅にも絶望の色が広がった。

「だが悪足掻きはしてみよう」

 不意にそんなことを言った所長へと、え、と俺は見上げる。

「何とかなるの……?」

 ようやく口を開いた由羅へと、にやりと所長は笑ってみせる。

「女性の頼みを断っちゃあ、おれの男が廃るからな。できるかぎりのことはやってみよう。真斗、お前も手伝え」
「――ああ。わかった」

 頷く俺へと、よしじゃあ用意しろ、と所長は言った。

 事務所の机を適当にどかして、床にある程度の場所を作る。
 所長がやってみようと言ったのは、解咒ではなく、中和だった。
 もちろん、俺には無い知識だ。

「いいか。この刻印咒は確かに厄介だ。多分これ自体を何とかするのはおれじゃあ無理だ。だがざっと見た限り、咒が弱い。誰が仕掛けたのかは知らんが、さほど咒法の類は得意じゃなかったとみえるな。刻印自体はしっかりと刻み込んでいるが、それを発動させている咒が大したことがない。もっとも、それでもこれだけの効果があるがな」
「それで? 俺はどうすればいいんだ?」

 焦れたように俺は聞く。
 こうしている間にも、由羅の刻印からは血が滲み出しているのだ。とてもじゃないが、長い間見ていたくはない。

「まあそう急くな。幸いお嬢さんはまだ大丈夫そうだからな。どうせならじっくりやって、確実にした方がいい」

 年の功とでもいうのか、さすがに所長は俺なんかより遥かに落ち着いている。

「――で、だ。要するに刻印の発動を促しているこの咒を抑えれば、多分刻印の影響をとどめることができるはずだ。方法だが、おれがお嬢さんの手に固定して、結界を張る。それで結界内の咒力をできる限り中和してみる。陣を使った方法でやるから、それを描くのに血が欲しい。おれ自身のを使ってもいいんだが、体力を奪われるからな。なるべく確実に張るために……」
「俺のを利用した方がいいってわけか。なるほどな」

 分かった、と頷いて俺は机にナイフを取りに行った。
 刻印咒とはまた別なものに、結界咒というものがある。
 結界咒といっても様々で、種類はその構成の方法など、多種多様だ。
 所長がやろうとしているのは、直接陣を描いて行う方法だろう。その際、陣を描くのに最適なのは、人の血であるらしい。

「真斗……」

 俺がナイフを腕に当てるのを見て、ぽつり、と由羅は言葉を洩らす。
 それは、何とも言えない表情で。

「心配すんなよ。お前ほど流すわけじゃない」

 言って、俺は腕に刃を通した。
 鋭い痛みの後、腕に赤い血が流れていく。
 それを指につけ、床に陣を描いていく所長。描きあがると、俺に向かって言った。

「よし、止血しとけ。――さてお嬢さん。手を出してくれるか」

 こくり、と頷く由羅。
 所長が描いた陣の中心に、そっと左の掌を乗せ置く。

「――定」

 おもむろに、所長はそれを始めた。

「発」

 低いがよく通る声で、所長は続ける。

「受・離・導――」

 俺には習ったことのない、精神制御の方法。
 九曜家にあるものとは明らかに違うもの。
 咒法とは、その種類に限らず、全て世界を呪うものだという。

 紋章咒・刻印咒・結界咒……。
 どんなものであれ、それは違いない。
 呪い――もしくは病。
 人間が風邪をひくと、身体に普段には無い異常が起こるように、呪われた世界も同じように異常を引き起こす。
 それは限定的で、局所的なものであるが、そこに現れるのが咒法の効果ということになる。
 もちろん永遠に持続はしない。世界の持つ修復力が、生物の持つ自然治癒力のように働いて、それを直してしまうからだ。
 咒法の中には、その修復が起きる時の現象を利用したものもあるそうだが、俺にはそんなことはできっこない。周りの連中に負けるのが嫌で頑張って勉強した分、知識はあるのだが如何せん才能の無さは致命的だったということだ。

 ……そういや九曜にいた時、他の咒法はからきしだったけど、結界咒だけやたら巧い奴がいたっけ。俺と同じで落ちこぼれだったから、何となく覚えている。もっともそいつは途中でやめてしまったはずだが。
 俺がそんなことを考えているうちに、所長の咒は続いていく。

「静・粛――」

 血で描かれていた陣が、ざわめき出す。

「う……く……っ」

 同時に小さく呻く、由羅。
 これだけ寒いのにその顔には汗がしたって、苦痛が否応無く伝わってきてしまう。

「――粛!」

 バシュ、と陣が弾け飛ぶ。

「――ぁう!」

 上がった悲鳴に構わず、所長は続けた。

「応――・定!」

 所長の使う咒法は俺の知らない流派のものだったが、それでもそれが終わりに近いことは分かる。
 多分、次の一言で――

「定……・結」

 それで、終わった。
 床に描いてった陣は跡形も無く消えてしまっている。

「――ふうっ。どうだ? 左手は?」

 疲れたように一息ついてから、所長は由羅を見る。俺もつられてあいつの方を見た。

「…………」

 しばらく黙って、左の掌を閉じたり開いたりしていた由羅だったが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

「うん……! 全然痛くないわけじゃないけど、すごく楽になった気がする。何ていうか……そう、昼間の時みたい」
「なるほどな……。もしかするとこの刻印、時間によって何らかの制御を受けるタイプなのかもな。よくはわからんが。だがお嬢さん、これはあくまで応急処置だ」

 真剣な面持ちで、所長は言う。

「え、そうなの……?」
「ああ。これはこの刻印にかかっている咒力を、今作った結界咒におれの咒を込めて、互いに打ち消させているんだ。つまりおれの場合、刻印じゃなくて結界に咒をのせたわけだな。だから、結界が健在なうちは中で打ち消しあっているが、これが解けてしまうとおれの咒も消えてしまう」
「……この結界、そんなに簡単に消えてしまうものなの……?」

 不安そうに尋ねる由羅へと、所長はいやいや、と首を横に振ってみせる。

「簡単に消えてもらっては困るな。即興とはいえ、おれが精魂込めて作ったんだ。しかも他人の血の生贄つきだ。そこそこ効果は持続するはずだ。しかしな、やっぱり永遠というわけにはいかない」
「まあ……そうだろうな」

 話を聞いて、俺は相槌を打った。
 世界には修復力がある。その中で効果を持続させる結界咒というのは、比較的難しい咒法だ。
 どんな高等な結界でも、半永久的にその効果を持続させるものとなると、その数を極端に減らしてしまう。
 安定した場所、相応の代償――それらが揃わなければ、永続は難しい。

 今回の場合だと、由羅の手に限定して張られた結界は、そこまで長続きはしないだろう。生きている者の手など、不安定極まりない場所だ。
 どれくらい保つかどうかは、ちょっと分からないが……。

「結局、この効果が続いているうちに何とか解決方法を探さにゃならんてことか。確かに根本的には全然解決してねーな……」
「ねえ……何とかなる、でしょ……?」

 急に不安になったようで、瞳を向けてくる由羅。
 あまり無責任なことは言いたくないが――

「ああ。俺が何とかしてみせるさ」

 なぜだか、そんな風に受け応えしてしまっている俺がいた。
 あれだけひどい刻印を見てしまったからだろうか。それとも――

「……信じていいの?」
「信じとけ。出血大サービスだ」
「……うん!」

 本当に嬉しそうに頷く由羅の姿。
 それはとても印象的だった。

「さて。一段落はついただろうから、ここらで説明して欲しいものだが」
 自分の椅子に座ると、所長はタバコに手を伸ばしながらそう言った。
 む。

「こら、所長」
「おっとっと……。嫌煙者がいたな、そういや」

 俺に睨まれて、いつものように所長はばつの悪い顔になって、手を引っ込めた。
 まったく……。
 何で愛煙家ってのはいつもかも吸いたがるんだろうーかね。
 俺にはちっとも分からん。

「はいはい……。昨今じゃ、愛煙家は肩身が狭くて哀しいな」

 しょぼん、として所長はそんな風につぶやく。

「――それで? 事情というやつを聞きたいところだが」

 改めて、所長は聞いてくる。
 さてどーしたものかと、俺は由羅を見た。なぜかこいつはきょとん、としてこっちを見返してくる。

「どうしたの? 説明しないの?」
「……お前なあ」

 俺は呆れた。
 こいつ、俺にすら満足な説明していないことを分かってて言ってるのだろうか。
 しかもこいつは異端者だ。俺たち咒法士とは因縁のある間柄ということも、分かっていないような気がしてくる。
 ……案外、本当に分かっていないのかもしれないが。

「適当に話すけど、いいか?」

 一応お前の身の上を心配してやっているというのに、由羅はいいよ、とあっさりと返事する。
 ……まあ、いいか。
 俺は適当に納得すると、掻い摘んで由羅のことを所長に話した。
 といっても大したことが説明できるわけもない。
 何といっても俺もよく分かっていないのが現状だ。
 こいつが誰かにその刻印咒を刻み付けられ、俺を頼ってきたこと。そして由羅自身、人間でないこと。そしてここに来るまでの過程について。
 結局所長に説明できたのは、その程度のことだった。

「なるほどな。おまえ、おれの知らない間にそんな依頼受けてたのか」
「依頼って……そんな大したもんじゃねえよ。単なる人助けだ」
「助けたのはおれだけどな。はっはっは」

 ……む。
 そりゃまあ今回はそうだけどさ。

「まあお嬢さんの正体はいいとしても、だ」

 所長が言う。

「いったい誰にそれを刻まれた?」

 誰に、か……そうだよな。
 確かにそれは重要なことだ。
 そして、なぜ刻まれねばならなかったのか。

「……それは」

 途端に、困り顔になる由羅。
 その様子を見て、なるほどなと所長は納得してしまう。

「一番重要なことだけに、話しにくい内容だってことも察しがつく。だがおれたちも君に関わる以上、それを知っておかないと困る。危険なことかもしれない」
「……それなんだけどさ」

 ぽつりと、俺は口を開く。
 こいつは決して、その辺りのことを話していないわけではないのだ。

「こいつの話だと、それをやったのは俺らしい」
「は?」
「だから俺がそれをしたんだとさ。初めて会った時、確かそう言ってた。――で、それは今も変わらずか?」

 由羅に向かって聞くと、しばらく逡巡したような素振りをみせた後、こくり、と頷く。

「ほらな」
「……いまいち飲み込めんのだが」
「俺だってさ。実をいうと、確かに俺はその刻印咒ができる。できるけど、それは仕掛けたらこっちも死んじまうって代物なんだ。代償は命、だからな。けど俺は生きてるし」
「でも……あなたがしたの。だから私、今日あなたに謝りに行って……直してもらおうって……」
「――謝る?」

 引っ掛かる言葉。
 何だ、謝るってのは……?
 そういやあの時、許してよって……こいつはそう言っていたような気がする。

「お前、俺に何かしたのか?」
「――――」

 急に、顔を強張らせる由羅。
 ……なんだ?

「……言いたくない……」

 やっとの思いで由羅が搾り出したのは、そんな返答。

「言えないことなのか?」

 こくり、と由羅は頷く。
 そんなこいつの姿は、ひどく何かを後悔しているようにも見えた。理由は知らないが。
 しかし言いたくないとはね……。
 どーしたもんだか。

 ……まあ、無理に聞くのもなんだしな。
 こいつも相当言いたくなさそうだし。
 というわけで、俺はそれ以上聞くのをやめた。

「ふうむ……。何やら厄介なことなのかもしれんな」

 腕組みして、所長はうなる。

「お前は結局どうする気なんだ?」
「俺か? 俺は……こいつの手にある咒を消してやれるもんなら消してやりたい……そう思ってるだけだ」
「ふむ。だがな、きっとお前が考えている以上にやばいぞ、これは」

 そうかもしれない。
 何となくだけど、そんな気がする。

「けどさ……かといって見捨てるわけにもいかねーだろ。目覚め悪いし」
「まあ……おれはいいが。お前も相変わらずのお人好しだな」

 ようやく笑って、所長は言う。

「そっちこそ」

 俺も笑ってやった。
 そんな俺たちのやり取りを、由羅は不思議そうに見つめている。

「真斗。そのお嬢さんの傍にはなるべくいてやるんだな。刻印のこともあるし、何が起こるか知れたもんじゃない。引き受けた以上、お前が守ってやれよ?」
「わかってるよ。早速明日から、色々と――」

 言いかけて、ふと思い出す。
 明日……そういや何か約束していたよーな……。
 そうだ。京都見物に連れて行く約束。そんなのがあったような気がする。
 俺は由羅を見ると、

「――お前も来るか?」

 なぜだかそんなことを口にしてしまう。

「? どこに?」

 きょとん、となる由羅。
 ――結局。
 そういうことになったのだった。

 その後マンションに戻って。
 あとはもう寝るだけだったのだが、いったん考え直す。
 もちろん、受けている仕事のことだ。
 一応今日の分はパスするつもりではあったが、また犠牲者が出ていたことを思い出して、どうしようか考えてしまう。
 明日も早いしな……。
 うーん……ここはきっぱりやめておくか。
 色々と疲れてるし、明日も疲れそうだからな。
 俺はそう決めると、今夜はさっさと寝ることにした。


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