第7話 刻印

第7話 刻印

 彼女の左手に刻まれていた紅い刻印。
 確かこれは……。

 その印の意味――俺も知識としては知っていた。かつてそういった知識を習っていた九曜家に、その刻印咒があったことは覚えている。
 本来ならば、決して習う類のものではない。
 これは九曜家にとって、門外不出の刻印。それを俺が習えるはずもなかったが、何の偶然か、俺はそれを知ることができて。

 ……そう。
 ずいぶん昔のことだ。
 とある奴が、俺に教えやがったのである。
 無論、使ったことなどあるはずがない。
 これは、使用するには危険すぎるものだったはずだ。

 それにしても。
 あいつ、今頃何してるんだろーな……。
 ちょっとばかり、昔のことを思い出したりしてしまう。

「自己犠牲の咒法刻印……か。確か自分の命を生贄にして行う、一種の呪いだな」

 言いながら、俺はじっと目の前の少女を見返す。
 こんなものを刻み付けられているところを見ると、どうやらただの一般人というわけではないらしい。

 まずいんじゃないか……? この女。
 初めて、俺はこの由羅という少女を警戒した。

「お前……何でこんなもんつけてるんだよ?」

 その問いに、由羅はどこか気まずそうに、視線を逸らす。

「何でって……その……」

 どうにもはっきりしない。
 そりゃあまあ、こんな物騒なもん、好き好んで自分で刻んだりはしないだろう。言いにくい理由があったとしても、それは当然か。俺は質問を変えることにした。

「……じゃあさ、こんなん俺に見せて、どうしろって言うんだ?」
「どうって……。何とかして欲しいから、来たんじゃない」
「どうにかって、俺がどうにかできるわけねえだろ」
「うそ!」

 なぜか一息に言い切られてしまう。

「あなたなら何とかできるはずよ! だって、だって……」
「……だって?」
「――これしたの、あなただもの」

 …………。
 何の冗談だ、一体。

「バーカ、俺のわけねえだろ。さっきも言ったけど、こいつは自己犠牲の刻印咒なんだ。呪いって奴は、大抵何かを代償に支払わなきゃならねえけど、たぶんこれはその中でもピカ一の性質の悪い奴だぜ。代償は、自分の血肉なんだ」
 要するに、この呪いを成就させるには、仕掛ける者の命が代価ってことだ。当然、その呪いが成った暁には仕掛けた奴は死んでしまう。
「俺がやってたら、ここで生きてるわけないだろ?」
「でも……でも……できる……でしょ? あなたなら……」

 聞かれて、今度は俺が気まずそうに頭を掻く。

「まさかあれじゃないだろーな。お前、実は九曜家からの回し者で、俺のこと引っ掛けようとしてるとか」

 どういう因果なんだか、俺は刻印咒の中でこれを唯一、扱える。教えてくれたのは、九曜家の人間で、正式に習ったものではない。第一、こんなものは習えはしない。あの時あいつが……こっそりと教えてくれたから、できるのだ。
 もちろん実践したことなどあるはずもない。その気も無い。当然だ。生憎俺は、自分が死んでもいいから誰かを呪いたいなんて、生まれてこの方思ったことなどないからだ。
 うむ、実に心が平和でよろしい。

 ――で、だ。
 ちなみにこの刻印咒は門外不出のもので、俺が使えてはいけないのである。頭の固いあの連中にこのことが知られれば、どんな目に遭わされるやら……。
 何となくこのことに気づいた連中が、こいつを使って俺に鎌かけでもしに来たかと一瞬思いはしたが、多分、違う。
 ――こいつの手に刻まれているのは本物だ。
 咒法の扱いに才能が無くて、結局誰かさんの助言通りに武器の扱い方の方を学んだ俺ですら、この禍々しい刻印がどんなものであるかくらい、見て分かる。
 しかし……分からないことも、色々と多い。

「あー、いくつか質問があるんだが」
「……何よ?」
「けっこう重要だ。お前、何で俺がこいつを扱えるってことを知ってる? どこで俺のことを知った? お前は何者だ?」

 矢継ぎ早に聞くと、由羅は思い切り顔をしかめる。

「……言っておくけど、最初の二つの質問は、私が答えなくても……あなた知ってるはずなんだから」
「その辺りもよく分からねーな」

 さっきからのこいつの態度を見ていれば、俺のことを見知っていてやって来たという感じだった。
 しかし俺にそんな記憶は無い。
 こいつと出会うのは今日が初めてのはずだ。

「……それと、最後の質問だけど」
「ん、ああ」

 こいつが何者かってやつか。
 本当、何者なんだか。

「人間じゃないから、私」
「ああ、なるほど。人間じゃあ……」

 ――は?
 我ながら、間抜けな反応。
 じいっと上目遣いでこちらを見上げてくる、由羅。
 ……今何て言った? こいつ。

「だから、人間じゃないんだって」

 何も答えない俺にじれたように、由羅はもう一度繰り返す。

「…………アンドロイド?」
「はあ? 何言ってるのよ」

 思い切り呆れられてしまう。

「…………宇宙人とか」
「――私何だか、今あなたを殴ったら、もう一度殺せるんじゃないかって思い始めてきたんだけど」

 何やら言う由羅の言葉は上の空で、俺は一生懸命頭の中を整理する。
 まあ――こいつの言おうとしていることは、何となく分かってはいたのだが……。
 しかしこの女、何考えてるんだ? まったく……。

「異端者かよ」

 俺はようやく真面目にその単語を口にした。
 こくりと頷く由羅。
 この世の中において、人間というカテゴリー外の存在として、異端者というものがある。
 日本でいう妖怪変化。
 もしくは魔族だとか、妖魔だとか、まあひっくるめて異端者と呼んでいるわけだ。
 元々は、ずうっと昔にいたとかいう魔王の血を受け継いでいる連中のことだったらしいが、今では何でもかんでも詰め合わせて、とにかく厄介な連中のことをまとめてそう呼んでいるらしい。
 俺はそういう連中相手に仕事をしたこともあったから、存在自体にそんなに驚きやしないが……。

「――お前さ。俺が誰だか分かってて言ってんのか?」
「……人間?」
「お前もボケてるだろーが!」

 思わず怒鳴ってしまった俺を見て、びっくりしたように一歩下がる由羅。

「な、なによう。私何も変なこと言ってない! どうして怒るのよ!?」

 そりゃ怒りたくもなる。

「俺はそんな当たり前のことを聞いてるんじゃねえの! ……俺にこんな物騒な刻印咒見せるくらいなんだから、俺のことは知ってるんだろ? 咒法士――っていうほど咒が使えるわけでもないから、まあ降伏師ってところだろうけど……まあ何だ。異端者にとっちゃあ俺は敵なんだぞ?」

 敵に助けを求めてどーすんだよ、おい。
 が、由羅の奴はきょとんとして、

「――そうなの?」

 何て言いやがった。

「~~~~」

 わけが分からん。

「何なんだよ……お前?」

 いい加減、困ってしまうぞ。くそ。

「私は私よ。見たまんま。いったい何が問題なの?」

 問題だらけだって。

「あのさあ……お前日本語通じてるか? お前が俺のことを何で知ってるかは置いといたとしても、俺は今お前の敵だって言ったよな? ……まあ敵とまでは言わなくとも、少なくとも仲良しこよしできる間柄じゃねえの。そんな俺にそんなもんを見せて、何とかして欲しいって言っていること自体が変だって、思わないか?」
「ちょっと待ってよ。私、あなたがそういう人間だなんて知らなかったんだから。ちゃんと知ってたら……」

 そこで由羅はう~ん、と小首を傾げる。

「……別に変わらないけど?」

 結局出た返答は、それで。
 ――俺は、まじまじとしてそんなことを言う由羅を見て。

「は……」

 つい笑ってしまった。

「何だよお前、変な奴だな」

 こいつの言っていることが本当なら、ここは警戒すべきなんだろうけど、どうしてだかそんな気にもなれず。
 妙に、可笑しく思えてしまう。
 笑った俺を見て、由羅はムッとなった。

「笑わないでよ。……それに、さっきから聞いてればお前お前って。私には由羅って名前があるって言ったでしょ? それで呼んでくれたっていいじゃない」

 文字通りぷんぷんと、怒ってみせる。

「何だ。あれやっぱり本名だったのか」
「失礼ね!」
「――そりゃ悪かった」

 適当に謝りながら、さてどうしたものかと考える。
 要するに、こいつはこれを何とかして欲しくてやってきた、というわけだろう。
 まあ異端者っていっても、イコール悪人というわけじゃないしな。もっといえば、九曜っていう組織が正義の味方ってわけでもねえし。
 ならこういうこともある、か。
 本当、どーしたもんだかな……。

「結局お前……そいつを何とかして欲しくて、俺の周りをうろついてたってわけか」
「うろついてたって……その表現は何か嫌だけど……うん。そんな感じ」

 こくりと頷く由羅。
 まあこいつが困っているのは間違いない。
 あんな刻印刻み付けられたら、俺だって困る。
 とはいえ……。

「そんなこと頼まれてもなあ。俺、できないぜ? たぶん」
「そんな……」

 目に見えて落ち込む由羅。
 そんな表情を見ていると、別段こっちが悪いことをしているわけでもないのに、なぜだか罪悪感を覚えてしまう。
 くそ、卑怯だぞ、こいつ……。
 悪態を心中でついて、俺は頭を掻いた。

「あー、くそ。んな顔すんなよ。やってやるよ」
「え……?」

 途端、表情が明るくなる由羅。
 本当、ころころ表情の変わる奴だ。

「言っとくが、絶対ってわけじゃねえぞ。少なくとも今の俺じゃ無理だ。解咒に関する知識は持ち合わせてないんでね」
「…………」
「けどまあ、調べることはできるだろ?」

 その俺の言葉に、え、と由羅はもう一度顔を上げた。

「何とかできるもんならしてやりたいからな」
「それって……?」
「やってやるってことだ。俺が調べてやるよ」
「本当に……?」

 本当だって。
 いい加減信じろよ。
 ――そういう瞳で見られるのは、弱い。何でか知らんけど。

「お前が異端者なら、俺の同業者にお前自身が頼みに行くのは危険だからな。どうして俺を選んだのかは知らんけど、まあ運が良かったと思っとけ」
「…………」
「異端者っていっても、結局は阿呆な事件さえ起こさなけりゃ、俺達に狙われることもないんだしさ」

 どこぞの国だと、異端者っていうだけで根絶やしにしようという組織もあるらしいが、幸いこの国ではそこまで過激ではない。
 ――と、気づく。
 どうしてか、また気まずそうに視線を逸らしてしまっている由羅の姿。
 俺、何か変なこと言ったっけかな。まあいいけど。

「つうわけだ。感謝しろ」
「……うん。ありがとう」

 意外なほど素直に、由羅は礼を言った。
 ……悪い奴じゃなさそうなんだけどな……。

「俺としては、そっちの事情も説明して欲しいところだけど……ま、今は聞かないでおいといてやるよ。何かその辺りの話題に関しては、どーもお前と話が噛み合わないからな」
「……うん」
「それから」

 これだけは言っておかなければならなこと。

「百パーセントうまくいくとは思うなよ。俺も努力はするが、できない時はできない。それは覚悟しといてくれ」
「…………うん」

 さっきよりも長い沈黙の後。
 由羅は小さく頷いた。

「さてと……。とりあえず俺は帰るぜ」
「え……? 帰っちゃうの?」

 急に不安そうな顔になる由羅。
 ……だからそーゆう顔をするなって。
 俺は溜め息をつくと、ひょいひょいと手招きした。

「……?」
「送ってってやるよ。お前の家まで」

 そう言うと、じいっ、と由羅はこちらを見てくる。

「別に……送ってもらわなくても……」
「そうか? ならいーけどさ」

 そのまま自分のバイクまで歩いていくと、案の定、後ろからついて来る由羅。

「ほれ」

 俺はメットホルダーから予備のヘルメット外すと、あいつに向かって放り投げてやる。少々戸惑ったようだったが、結局受け取って。

「……これ、かぶらなきゃ駄目なの?」
「とーぜんだ。でないと俺が捕まる」
「う~、何か嫌……。髪がつぶれちゃうし……」

 とか何とか言いながらも、由羅はメットを被る。長い髪に半ヘルをかぶった姿のこいつは物凄く似合ってなくて、何となく笑えた。

「んで、家は?」

 エンジンをかけて、バイクに跨ってから俺は聞く。
 由羅が言った場所は、そんなに遠い場所でもなかった。


 次の話 第8話 次の出会い >>
 目次に戻る >>


終ノ刻印Ⅰカテゴリの最新記事