第5話 それぞれの目覚め

        /由羅

 ――痛い。
 痛くて……目が覚める。
 夜明けしていくらかたったせいか、部屋の中はすでに明るかった。
 いつもは殺風景な部屋。
 けど今は……滅茶苦茶だった。

 私が揃えた数少ない調度品が、あちこちに散らばって、中には砕けてしまっているものもある。
 数時間前にここに帰ってきた私が、暴れて壊してしまったものたち。

 痛くて、痛くて……どうしようもなくて。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 それでもやっぱり痛くて、たったの数時間で目が覚めてしまったようだった。

 恐る恐る……疼く左手を見てみる。
 あの時のことは、やはり現実。
 左の甲にはっきりと残った刻印。
 呪いの痕。

「……私、このままで」

 ふと自分を見れば、血に汚れたままの姿。
 こんな格好のまま眠ってしまったなんて、よほどどうかしていたのだろう。
 私はのそりと身体を起こすと、服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びに向かった。

 ――幸い、夜に比べればずっと……痛くなくて。
 何とか我慢できそうだった。

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 浴室から出てきた私は、適当に服を着込む。
 冬に近いせいか、ずいぶん寒い。
 何も無い部屋だと、尚更だ。

「はあ……」

 溜め息をついて、もう一度左手を見てみる。
 どんなに洗っても消えない刻印。

「私って……馬鹿だなあ……」

 思わず声に出してしまう。
 相手はたかが人間だと思って、油断した。
 その代償が、この呪い。
 今は痛いだけだけど、この先どうなるか分からない。……本当に不安だった。

「何とかしないと……」

 ずっとこのままというのは嫌だ。
 今はあまり痛くないけれど、夜になったらまた痛みだす。そんな気がする。

 一生――永遠に。
 その言葉は、どうしてだか私をとても不安にさせる。
 覚えてもいない遠い昔のことが、蘇ってくるみたいで。
 ぶるっと、身体が震える。
 寒いし、不安だし、もう何だか泣きそうな気分だった。

 でもどうすればいいんだろう……?
 一番いいのは、これを施した人間に直接何とかしてもらうことだ。
 けれど、その人間はもういない。
 私が殺してしまったから。
 だから他に考えなくちゃいけない。

 考えて、思い至ったのは、やっぱりあの少女のこと。
 目覚めてすぐに会った、黒い少女。

 うん、そうだ。
 あの人ならきっと何とかしてくれそうな気がする。
 私がここに来たのも、元々といえばあの人を捜すことが目的だったわけだし。
 この部屋はというと、じっくり腰を落ち着けて捜すために見つけた、拠点みたいな所。もちろん家賃なんてものは払っていない。空いている部屋を見つけて、こっそりと使わせてもらっている。問題が起きたら、また別を捜せばいいだけだし。

 何とかなるかもしれない。
 希望的観測かもしれないけど、とりあえずはそう思うことができたことで、ホッとなる。
 よし。じゃあ頑張って捜さないと。
 あまり眠れていないけど、寝てる場合じゃないしね。
 私は自分自身に気合を入れると、さっさと身支度をすませて、早朝の町に繰り出すことにした。

 ―――そこで、私はとんでもない奴を見かけてしまうのだった。

「な……」

 その光景に、私はひどく呆然となった。
 マンションから出てきたのは、あの人間。……昨夜の。
 ずきり、と痛む左手を押さえながら、しばらく馬鹿のように呆けてしまう。

 とりあえず希望をもって町に出た私は、何となく引かれるかのように、あの現場に戻ってみた。
 そこでいつもと違うことに気づく。
 いつもだったら人がいっぱい集っていて、大騒ぎになっているはずなのに――今日は、何も無かった。

 血痕は地面に残り、最初に殺した女の死体はまだ残っていたのに、あの男のものだけは忽然として消えていたのである。
 確かに殺したはずだ。
 身体中を痛めつけ、何より急所であるはずの心臓を、この手で握り潰したのだから。
 にも関わらず、死体は無かった。

 わけが分からなくなって、知らずその行方を捜してしまった。
 彼の血の臭いはよく覚えている。
 まるで白昼夢でも見ているかのような気分だ。

 でも私の左手には、ちゃんとあの刻印が残っているんだ。あれが夢なわけが無い。
 早朝から時間がたって、人がざわつき始める時刻になってようやく、突き止めることができた。

 本人を見つけたわけではなく、その残り香が最も強く感じられた場所――つまりあの人間が住んでいたであろうマンションの前まで来て、しばらく悶々としていたのだ。そして目を疑うこととなった。何と殺したはずの人間はぴんぴんしていて、まるで普通の様子でマンションから出てきたのである。

 彼が生きていること――あれだけ痛めつけたのに、どこも壊れていない身体。
 不思議なことは尽きなかったが、それ以上におかしなことに、私は気づく。
 本当に、それは不思議なこと。

「どうして感じないの……?」

 そのことこそが、最も衝撃的だったのかもしれない。
 理由は分からないが……明らかに違う。違う、のだ。
 知らず、私はその人間を見続けた。
 まるで、引き寄せられるかのように……。


        /真斗

 ――ゆらり。

 かすみ、ぼやけた視界。
 暗く静かなその場所に、確かに誰かがいる。――こちらを見ている。
 紅い瞳……。

 幼い容姿とは正反対の冷たい瞳と、視線が合う。
 明らかにこちらの姿を映し込んでいる瞳。
 しかしその硝子玉めいた瞳は、ともすればどこを見ているのかすら分からなくなる。

 だれだ……?
 わからない。知りもしない。
 風に揺れる、白銀の髪……。
 だがすぐに、それはぼやけ、消えてしまう。
 夢か……幻か。
 それすら分からず、全ては真っ白になった……。

「…………」

 鳴り響く目覚ましの音に、目が覚める。

「うるせえ……」

 いつものことだが、愚痴らずにはいられない。
 ぼーっとしている頭のままで、俺は仰向きのまま手を伸ばし、目覚めし時計のスイッチを切った。……切ったといっても、また五分もすれば再び鳴り始めるのだが。
 ……何やら夢を見ていたような気がするが、思い出そうとする間に、あっさりと消えていってしまう。……まあ、無理をして思い出さないといけないことでもないだろう。
 寝起きは良くない方であるが、かといって起きないわけにもいかない。
 仕方なく俺はベッドから起き上がった。

 今日は土曜日。
 世間では休みの場合が多いが、この大学では縁の無い話である。
 今日の授業は一時間目と二時間目。
 朝一からの授業は何かと辛いのだが、あるものは仕方が無い。
 大学の授業である以上、高校の時とは違って一日中、みっちりと授業があるわけじゃない。そういう授業の取り方をしている奴もいたけど、俺はまあ平均的な授業配分で、この後期の授業を登録している。
 なるべく朝一の授業は避けたかったのだが、必須系の授業に関してはどうにもならず、仕方無くということで受けていた。

 もっとも朝さえしっかりと起きれれば、朝一もまあ悪くは無い。
 登校時間は通勤時間と重なるわけで、それらの人々に混じって行くことは、何となく朝らしい気がするからだった。
 気休めといえばそうなのかもしれないが、特に困る気分でもないし。

「むう……」

 どうにも身体がだるい。
 眠って体力回復しているはずなのだが、身体は重く、相当疲労しているようだった。

「むん!」

 とりあえず眠気を吹き飛ばそうと、俺は勢いをつけてベッドから勢い良く上半身を起こした。
 途端、

 ぬお!?

 激痛が胸に走る。

「いて、いて、いてて……!」

 突然のことに我ながら情けない悲鳴を上げて、俺は前屈みに倒れ込んでしまった。
 心臓のある場所だと思われる部分が、締め付けられるように痛い。俺はわけが分からずしばらくその場で悶えていたが、痛みはやがて徐々に引いていった。

「……何か変な寝相でもしてたかなあ」

 ……確か俺の家系で、心臓に病気持ってるようなのはいなかったはずだし。
 やっぱり寝相かなあ……うーん。
 何かわからんけど調子悪いな……くそ。

 痛みにはかなり驚きはしたけど、それでも案外早くそれは消えてしまった。
 何やら今のことでばっちり目が覚めてしまったので、のそのそとベッド降りて、顔を洗いに行く。

 学生用の、小さなワンルームマンション。
 実家に比べてかなり狭いが、一人暮らしというのはなかなかに悪くない。
 日に日に冷たくなっていく水道水に顔をしかめながら、それでもタオルで顔を拭く頃にはすっきりしていた。それでもふわわと欠伸は出てしまうものだが。

 ――いつも通りで、変わりはない。
 もっとも、何となく全身が痛いような気がするのだが、恐らく昨日、徒歩で何時間も歩き回っていたせいだろう。
 単車を購入して以来、あまり歩いてなかったからなあと、しみじみ身体がなまっていたことを思い知らされる。
 昨夜は何の収穫も無く、今夜もまた歩き回るのだろうから、久しぶりに良い運動にはなるか。これ以上寒くなってからでは願い下げだが、今ならばまだ我慢できる。

 って。

「あー……そういや今日は飲みだったけか」

 昨日所長が言っていたことを思い出し、今夜は無理かもなと思いながら、俺は学校に行く用意を始めた。

 大学の駐輪場。
 そこにバイクを止めて、俺はヘルメットを外す。
 ここの大学の駐輪場はけっこうしっかりしていて、そこそこ広い。しかも地下にあるおかげで雨の日でも止めてある愛車が塗れずにすむのはありがたいことだ。
 地下、ということもあって、ここは一日中陰気臭い。
 しかもバイクが通ると排気ガスが充満してけっこう喉が痛くなる。まあ、換気はしっかりしてるようだけど。
 と、駐輪場の昇降口を登りきったところで、一人の男の姿が飛び込んでくる。

 お?

 ……俺の知っている人だ。
 とはいえ大学の知り合いというわけじゃない。

「……何してるんだ? 東堂さん」

 俺が声をかけると、その体格のいい身体の男が、む? と振り返る。

「何だ。桐生か」
「そーだよ。んで俺の質問の答えは?」

 尋ねながら、俺はその場違いな人物を見やった。
 この人の名前は東堂肇。
 俺がバイトしている事務所の正所員のうちの、一人である。俺より四つか五つ年上で、興信所の中では一番若い所員だ。

「仕事に決まってるだろ」
「仕事って……。よその大学から、この大学の悪の部分を調査しろって依頼でも?」
「だったら俺もやる気になるんだがな。正義の探偵! みたいな感じで」

 どうやら違うらしい。

「じゃああれか。いつもの」
「そうだ」

 なるほど。
 俺はそれだけで納得した。
 うちの興信所で表向きの業務として、最も需要があるのは浮気調査だったりする。で、その浮気調査担当が、この東堂さんというわけだ。
 男か女か知らないが、対象がこの大学にいるらしい。

「ま、頑張ってくれ。俺、これから授業だし」
「少しは手伝おうとかいう気にはならんのか」
「俺はそっち系のバイトは請け負ってないし。素人がやったってしょーがないだろ?」

 俺は適当にはぐらかした。
 ……だって浮気調査なんて、地味で面倒臭くてしかも興味無いしな。

「ま、学生は勉学に励むんだな」

 そーするよ。
 俺は適当に手を振って東堂さんと別れると、、授業のある教室へと向かった。

「むー……」

 大学内の教室の大きさはバラバラで、その科目やら受講人数によって教室が割り当てられている。今日の一時間目はまあ中程度の教室で、二百人ほどは収容可能だが、実際は百人以下の人数で使用されている。
 さっさと教室に入った俺は、まだ空いているうちに後ろの方の席に座ると、何するでもなく突っ伏していた。

 寝不足なのは間違いないが、決して眠いわけではない。
 何かこう――身体がだるいのである。重い、とも言えるかもしれない。
 そんなことをしている間に講師はやってきて、高校の頃までとは違った問答無用さで授業は始まっていく。

「ぬー……」

 授業が始まっても、どうにもしゃっきりとはなれなかった。
 俺の授業態度は決して真面目というわけでは無かったが、単位を落としてもう一度同じ授業を取るという二度手間は避けたかったので、講師の言っていることはとりあえず聞くことにしている。
 が、今日はどうもよろしくない。
 調子が悪い。
 さっきまでは何とも思わなかったのだが、こうして席に座り、自分自身を改めて認識してみると……やはり調子が変であること気づく。

「はー……」

 胸につまったもやもやを吐き出すが、やはりどうにもならない。
 風邪でもこじらしちまったかな……?
 だとしたらけっこう厄介だ。
 実家にいた頃は面倒を見てくれる家族がいたが、一人暮らしとなるとそうはいかない。良くなるまで寝てればいいんだろうけど、それだとどうしても飯の用意などが億劫になり、食べずにいれば結局は回復するのに時間がかかってしまう。
 風邪をひくということは、とにもかくにも面倒なことなのである。
 できる限り避けたい、が……。

 と、前の列からプリントが送られてきた。講師が作成したレジュメで、いわゆる教科書代わりである。
 格授業ごとの教科書代もけっこう馬鹿にならず、教科書不要の授業はかなりありがたい。――そういうわけもあって、俺もこの授業を選択していた。
 配られてきたレジュメを受け取ると、後ろへと回す。かなり枚数は残っていたが、列はあと三列ほどしか無い。いちいち数えるのが面倒なので、多めに送って後ろで調節、というやつだ。
 俺は自分の分を一枚取って、後ろに渡そうと振り返って、はたと動きを止めた。
 自分の斜め後ろに座っていた女の顔を見て、思わず視線が釘付けになってしまったのである。

 座ってはいるが、かなり長く伸ばしていると分かる髪は、とても染めたとは思えない淡い金髪をしていた。そしてこちらを見る瞳は、透き通るようなアイスブルー。
 どう見ても、日本人離れした容貌である。
 しかし何より驚いたのは、

 ほー……。

 その少女が大した美人である、ということだった。
 滅多にお目にかかれない――というか、お目にかかったことがない。

 と、気づく。
 その少女はじいっとこちらを見ていたのだ。
 室内だというのに薄手の皮手袋をはめて、頬杖をつき、俺を見返している。
 早くレジュメを渡さないことへの不審――のようで、違う気がした。どうしてだか、その瞳にはほんの僅かな緊張が混じっているような気がする。

 おっとっと。

 俺はばつの悪い顔になると、さっさと渡して正面へと向き直った。
 ぬう、不覚。
 思わず我を忘れるところだった。
 長く見ていれば保養になりそうな気もしたが、そんなことをし続けるわけにもいかず。
 こんなべっぴんも、いるところにはいるんだなあと、その時俺の感想は、とりあえずそんな程度だった。


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