第1話 気の乗らない依頼

        /真斗

 教室内のエアコンが鳴りを潜めてから、約二ヶ月以上が経過して。
 窓の外でも眺めてみると、だいぶ秋も深まってきたことが分かる。
 そんな風景をぼんやりと眺めていると、机の上の携帯電話が慌しく震え出した。まったく誰だ授業中にと内心毒づきながら、俺は気だるげにそれに手を伸ばす。
 隣の席では友人が机に突っ伏して寝ている姿が目に入ったが、いつものことだ。

 大学の講義というのは随分と楽なもので、多少携帯電話が鳴ったからといって講師から名指しで説教をくらうことは無い。もっともそれも講師によってはだが、大体が事なきを得る。
 とはいえマナーモードにせず、迂闊にも着信音でも鳴らそうものなら、例え怒られずとも周りから白い目で見られてしまうことになるが、まあ俺はそんな油断はしないので安心だ。
 もっともよその大学じゃあどうだか知らないが。……そんなことを思いながら俺は入ってきたメールを確認した。

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「……ふむ」

 それは友人からのものではなく、迷惑メールでもなくて。
 とあるバイト先からの、久々の呼び出しだった。
 俺はおもむろに机の上に出してあったノートやらレジュメを片付けると、隣の席で気持ち良さそうに寝ている友人を起こす。
 指でつつかれて、渋沢彰はもそもそと顔を上げた。

「…………?」

 たまには授業聞けよと思うのだが、今さら言ったところでどうにかなるわけでもない。それに俺が言うのも説得力がないか。
 きょとんとしている友人へと、俺は小声で話し掛ける。

「……ちょっと抜けるわ。バイト入ってな」
「……あそ。がんばれー……」

 ひらひらと手を振って、彰は再び夢の中へと戻っていく。
 ……まったく。
 何しに大学に来てるんだ? こいつは……。
 まあいいか。考えてもしょーがない。
 そんな彰を置いて、俺――桐生真斗はこっそりと講義中の教室からずらかった。

 京都市北区。
 京都といえば碁盤の目に区画整理された町並みが有名であるが、それも町の中心部のみといっていい。
 東西南北いずれにしても、中心から外れていくほど道は真っ直ぐではなくなり、分かり辛くなっている。
 柴城興信所は、そんな入り組んだ道の果てにあった。
 閑静な住宅街の外れにあり、すぐ近くには山が迫っている。いかに京都市内とはいえ、さすがに辺鄙な場所と言わざるを得ない所だ。
 とはいえ田舎出身の俺にしてみれば、それでも充分に都会であり、交通の便もいい。この道の狭さは確かに問題ではあるが。

「……ふう」

 単車のエンジンを切って、ヘルメットを脱ぐ。
 車の使い勝手の悪い京都では、とかく単車が役に立つ。通学に単車を使っているので、そのまま大学から真っ直ぐにここへと来た。
 下宿先はここから近いのだが、まあ寄る必要はないだろう。

「うすー」

 バイクから鍵を抜いて、柴城興信所と書かれた建物のドアを開けて入った。
 外見の建物の割には内装は小奇麗であり、使用者の性格が何となく窺えるというものである。

「なんだ? 真斗、お前授業じゃなかったのか?」

 所長の机に座っていた三十代くらいの人物が、入ってきた俺の顔を見て意外そうに声を上げる。

「さぼってきたんだよ。どうせ暇だったし」
「そんなことしてると単位落とすぞ?」
「そんなヘマしねえって。一応これでも要領はいい方なんだ」

 大学の授業をさぼる者は少なくない。それで単位を落とすかというと、そういうわけでもないのである。授業によってはだが、中には一、二度顔を出すだけで単位がもらえるものもあったりするのだ。
 どの授業を受けてどの授業を受けないか――その辺りの要領がいいと、大学では楽をする。勉学に励む者達からすれば、不謹慎な話かもしれないが。
 まだ大学に入ってから一年目で、現在は秋期であるが、春期にはほとんど単位を落とさずにすんでいる。
 さすが俺。
 ……まあ大して威張れることでもないのだが。
 まあいいけどな、とこの興信所の所長である柴城さだむ定は頷いて、椅子を軋ました。
 所長はまだ三十になったばかりのはずだが、無精髭のせいでどうにもぱっとしない。身なりさえ整えれば、そこそこの風貌なのだが。

「んで? わざわざ俺呼ぶとこみると、あっちの事件か?」

 この興信所には所長を含めて三人が働いているのだが、出払っているのか何なのか、今は所長しかいない。
 そういうわけで、俺は特に気にせずその話題を持ち出した。

「さあてな。オレにもよくわからん。ただ物騒なネタには違いないな」

 珍しく曖昧な様子で、そんな風に言う。
 所長は机の引出しから何やら取り出すと、俺の方へと手渡してきた。

「……写真?」

 裏返しに渡されたその表を返そうとしたところで、所長の声が滑り込んだ。

「けっこう酷いぞ。まあお前さんなら大丈夫だとは思うが」

 酷いって……げっ!
 不審に思いながらもその写真に映し出されたものを見て――俺は思い切り顔を歪める。
 ……何を根拠に大丈夫だってんだ。

「……おい……俺に飯食うなってか?」
「だから酷いって言っただろ。ちなみに後二枚あるが、見るか?」

 冗談じゃない。

「同じようなのならお断りだ」
「そりゃ残念。同じ仏さんじゃないが、まあ似たようなものだからな」

 所長は肩をすくめると、返してもらった写真をさっさと引出しの中に閉まってしまう。
 どうやら所長もまた、写真をなるべく見ないようにしているようだった。まあそりゃ当然か。あんなもん好き好んで見てるようだったら、俺は縁切ってやる。

「……何か飲むか?」
「いるか」

 俺はにべも無く突っぱねると、手近な椅子にどさりと座り込む。

「で、何なんだよ。今の」
「言っただろ。仏さんさ」

 思い出したくねーと思いながらも、たった今見た写真の内容を、ぼんやりと思い浮かべてしまう。
 初めは真っ赤で何が何だか分からなかった。赤い水溜りの中に、何か生々しいものが散らばっていて、それが人間の残骸だということに気づいたのは、二秒ほどたってからのことだったと思う。
 きっと脳が勝手にそれが何であるか理解したくなかったのだろうと、適当に納得しておいた。正直なところ、最後まで何であるのか理解できなかった方が良かったのかもしれない。
 それが人間だったもの、と分かった瞬間に、見事に胃袋が悲鳴を上げてくれたのだから。
 引き裂かれ、潰れたそれらは確かに人間を構成していたものの一部。それらに飛び出た内臓が絡まっており、更に血液がぶちまけられたような惨状は、とても正視に耐えるものじゃ無い。
 まだ写真越しだったから良かったようなものの、これが現場でまともに見てしまったらと思うと――

「……よく撮るよな。あんなの」

 まったく正気の沙汰じゃないな。気持ち悪い……。

「まあ連中も仕事だからな」

 連中というのは、当然ながら警察のことだろう。

「あと二枚あるって言ってたよな? もしかして、最近市内で起こってる通り魔事件か?」
「察しがいいな」

 所長は頷くが、どうにも釈然としない。

「そんな派手な事件だったか? 確かに全国版のニュースにはなってたけど、こんな酷いとは言ってなかったぜ」
「ああ。こりゃあちと酷すぎてな。多分正確な殺害状況はマスコミに流さなかったんだろ。まあ惨殺死体って程度に説明したんだろうさ」

 惨殺死体――確かに間違いではない。あれは言葉通りの死体だった。もっとも一般人がその言葉から想像する範疇を、軽く凌駕してしまってるけど。

「んで? どーやったらあんなのが仕上がるんだ? まるで獣か何かに食い散らかされたみたいだったけど」
「だったらまだいいんだがな」

 溜息をついて、所長は机の上のタバコに手を伸ばす。――嫌煙家の俺に睨まれて、すぐに手を引っ込めた。
 ……まったくこんなもんのどこがうまいんだか。

「ありゃあ人間の仕業だよ。誰だか知らんが素手でやりやがった」
「……人間ねえ」

 しかも素手って。

「腕を引き千切る時についたと思われる手形は間違い無く人間のものだそうだし、臓物を踏み躙った跡にはくっきりと靴跡が残ってるってよ」
「どんな人間だよそれ」
「おれも知りたい」

 ……確かに人間が人間を殺すことは可能だ。道具を使えば比較的簡単であるし、素手でもまあできないことは無い。
 しかし写真にあったほどまでに、徹底的に破壊するとなると――しかも素手で――話は違ってくる。

「人間だけど、人間じゃないってか?」

 だとすると、俺が呼ばれた理由も何となく頷けた。

「さてな。ただまあ、その可能性は大いにありってことなんだろ。何せ、久しぶりの非公式の依頼だからな」

 柴城興信所。
 普段はしがない探偵稼業を営んでいるのであるが、時折正規のルート以外からも仕事が舞い込んできたりする。
 今回もその一つで、非公式に府警よりきた依頼だった。
 もちろんその特性から、まっとうな事件に依らないものがほとんどであるが。

「……何か気が乗らねー……」

 正直それが、今の俺の心境。

「そう言うなって。内容は何も犯人をとっ捕まえて来いってわけじゃないんだ。とりあえず現場を押さえて、相手の正体を見定める。依頼内容はそれだけだ」
「……なるほど。んで相手がはっきりしたら、また別ルートで処理なり何なりを頼むってわけか」
「まあそんなとこだ」

 そうか。意外とマシな依頼内容のようだ。
 確かに危険ではあるが、事に及ばないのであれば、今まで扱ったものに比べて随分いい。
 とはいうものの……やっぱり気乗りしなかった。
 はっきりとした理由は分からなかったが、漠然とした何かが、受けることを思い留まらせている。
 嫌な予感……てやつかなあ……。

「……その程度だったら、別に俺じゃなくてもいいんじゃねえの?」
「うちの二人もまあ……そこそこ腕は立つけどな。けど三級止まりだ。いざって時はお前さんに頼っておきたい」
「俺だって二級だぜ。大して変わるか」
「馬鹿言うな。九曜の本家にいたんだ。ある意味エリートだろうが」
「エリートねえ……」

 そう言われて、俺は我知らず溜息を洩らしてしまっていた。
 それはともかく、所長はいつもに比べてかなり慎重のような気がする。今回の事件・依頼を、軽く見ていないのは確かだ。
 確かに……あんなことするような奴が、安全なわけないか。
 つい写真を思い出してしまって、顔をしかめてしまう。
 あんなことが本当に素手でできるのならば、よほどの怪力の持ち主であるだろうし、何よりまともな精神をしているとも思えない。

「……まあいいや。受けるぜ、その仕事」

 結局、受けてしまった。
 断る明確な理由が思いつかなかったからというのが、引き受けた理由。最近この手の仕事は無かったし、たまに受けておくのは決して悪い話でもないのだが……。

「ただやばいと思ったら、すぐ逃げるぜ?」
「ああ。そうしろ」

 一応念を押しておくと、意外なほどあっさりと、所長は頷いた。
 思わず不安になる。

「……そんなあっさり言われると、期待されてねーみたいで傷つく」
「傷ついてもいいから無茶はするなよ。何かあったらおれも困るんだ」

 軽く茶化してみても、所長の態度は変わらない。
 それだけ厄介ってことか。まったく……。
 しかし何といっても時には命に関わる仕事である。今回の依頼内容からしても、接触すら危険と所長が判断していても不思議じゃないか。
 つうかそんなもんをバイトの俺にさせんなって言いたいけど、これもまあ将来のためってやつだ。

「……ああそうだった」

 考え込んでいる俺へと、所長は不意に思い出したように口を開いた。

「明日から新人が来るんだ」
「新人?」

 オウム返しに聞くと、所長はああと頷く。

「何でも関東の方のご令嬢だとさ。けいと計都から面倒みてくれって、昨日連絡があってな」

 ……ご令嬢ね。そういや地元でもそんなのがいたかな。

「――所長は見たことないのか?」
「突然だったからな。だがまあ一人増えたからって金に困るわけでもないし。それでだ。一応明日の夜歓迎会でもしようって思ってるから、お前も来い。上田の野郎は風邪でぶっ倒れてるから、所員は俺と東堂しかいないんだ。さすがに三人じゃ寂しいからな。お前も付き合え」
「……どうすっかなあ」

 いきなり言われても困るって。
 俺は別にここの所員というわけではない。しかし時折顔を出すわけだから、その新しい所員と顔を合わせておくのも悪くはないだろうけど。
 まあ、いいか。

「わかったよ。明日の夜だろ? 一応空けとく」
「ちなみに割前勘定だ」
「……降りるぞこの仕事?」


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