第43話 惨劇の幕開け

「何だその様は」

 本陣に戻ったイリスに向けられたのは、ベルヌークの冷めた一言だった。
 陣は荒れに荒れ、死体で埋まってしまっている。
 味方のものと、壊れた残骸に成り果てた、人形だったもの。
 どう見ても僧会の兵の屍の方が多く、アトラ・ハシースの者でさえ、かなりの数が死んでいる。

「先に出した者たちも、全滅と聞いている。お前だけが帰ってきたかと思えば、片腕を失っているとはな。これではこの先使いものにもならん」

 失望したと告げるベルヌークに、イリスは視線を地面に落とし、耐えていた。
 腕の痛みと、彼の言葉に。
 それでも自然、声が洩れてしまう。

「わたし……頑張ったのに……」

 そう、それは間違いない。
 ブライゼン――あの男は強かった。
 確かに最初は甘く見て、油断もあったかもしれない。しかし後には必死になって戦い、片腕を失う犠牲を払ったものの、多分……仕留めることはできたのだ。
 もし自分がおらず、この陣に彼が乗り込んできていたら、ベルヌークは命を落としていたかもしれない。
 そのブライゼンを押し留め、阻んだ自分は、決して役に立っていないわけがない……。

「そのような子供じみた言い訳など、聞く耳持たぬ。結果を出せねば意味は無い。大司教が十年も隠していたものであるから、どれほどの化け物かと期待しておったのに、な」

 イリスの心境などまるで知らぬかのように、ベルヌークは吐き捨てる。
 そんな彼を、イリスはどこか呆然として、見返した。
 どうして、どうしてそんな風に言われなければならないのだろう……。
 分からない。
 アルゼスならばともかく、こんな良く知りもしない人間に……。

「司教様、これから如何なさいますか」

 生き残った陣内の将の一人に聞かれ、ベルヌークは周囲を見渡した。見渡したところで戦況が分かるわけでも無かったが、それでも以前よりは静かになってきているように感じられる。

「……友軍はどうした?」
「未だ、到着の知らせは受けておりません」
「何をぐずぐずしておるのだ、ディアンは!」

 普段から全面的に信頼しているディアンであったが、今回ばかりは大失態だ。
 このように到着が遅れ、戦況を不利にしたこと、明らかな罪である。

「戦況はどうなっておる?」
「一部を除いて、異端どもの攻撃は見受けられなくなっております」
「ふむ……。まだ壊滅させたとは言えんな。どこかで残存した連中が終結し、反撃の機会を窺っているやもしれん」

 だがそれでも、異端軍に対して致命的な損害を与えたことは間違い無い。問題は、それと同じかそれ以上の損害を、こちらも受けてしまっているということだ。

「こちらもいったん兵を返せ。先の戦闘でここもかなり手薄になってしまっている。今ここを突かれれば、由々しきことにもなろう。残った兵を集め、再編成してから敵を殲滅する」
「ではそのように」

 頷いて、部将は陣を足早に出た。
 それを見送るベルヌークへと、僅かに控えめな視線が投げかけられる。
 振り向けば、先ほどまでと変わらぬ姿でいる、イリス。
 この先どうすればよいのか分からないといった様子に、彼は舌打ちした。

「何をしておる? お前は早く打って出よ。このような所にいても何の役にもたたん。せいぜい一人でも多くの異端を殺してくることだ」
「…………」

 冷たく言われ、イリスは返す言葉を失う。
 さすがに見かねたのか、ベルヌークの傍に控えていたアトラ・ハシースの者が、口を開いた。

「司教、見れば傷を負っている様子。このまま出しても役に立たぬどころか、命さえ落としかねません。まずは手当てを――」
「化け物に手当てなど必要なかろう?」
「しかし、この者は大司教のものです。もし何かあれば」

 さらに言われて、ベルヌークは皮肉げに笑う。

「このように役に立たぬものを死神と称して飼っている大司教こそ、問題があるのではないか? ラルティーヌは個人としては優秀だが、長としては決断力に欠ける部分がある。今回のことも早くに決断していれば、もっと違った結果になっていたはずだ。……そうだな、この際だ。ジュリオンの枢機卿に申し上げて――」

 言いかけていた言葉が、途中で止まる。
 いつの間にか、えもいわれぬ殺気が自分に向けられていたからだ。

「……どうしてアルゼスの悪口まで言うの」

 声を発したのは、イリス。
 今までに無く、低く冷たい声。
 ……気に入らなかった。
 一言で言えば、そういうことだ。
 このベルヌークという人間を、殺してしまいたい。
 彼女にとって異端と人間の違いなど、些細なことだ。どちらを殺したっていい。あるいは両方でも。
 でも一方に定められているのは、アルゼスがそう言ったからだ。
 だから、殺さないでいるだけ。
 本当は気の向くままにすることができれば、それが一番良いのだろう。でもしないのは、そうすることで彼に怒られてしまいそうな気がしたから。
 どうしてかは分からないけれど、それはそれで、嫌だった。
 だから、言うことをきいてきたのに。

「……やっぱり、アルゼスに来てもらえば良かった」

 ぽつりと、つぶやく。
 そう――来てもらえば……来てくれれば良かったのに。
 そうすればきっと、こんな気持ちにはならなかった。
 きっと……。

「はっ、やはり子供だな。まだまだ家が恋しいとみえる」

 この時のベルヌークの言葉は、ある意味正しかった。
 これほど長く寺院を離れ、身は傷つき、不安に思ったことは、これまでイリスには経験がない。
 また自分なりに頑張ったにも関わらず、認められるどころかけなされて……。
 しかも、化け物、なんて。
 まだまだ幼い子どもにとってはショックな言葉だ。
 無論、彼女にとっても。
 半年前から溜まり出したストレスは、この時すでに限界になってしまっていたのである。

「帰りたくば帰ったらどうだ? そしてラルティーヌに甘えるがいい!」

 叩きつけられるように言われて。
 我慢……できなくなる。
 だから。

「…………いいかげんにして」

 もう自分を、抑えなかった。
 音も無く歩んで、まだ生きている左手を、ベルヌークへと伸ばす。

「なんだ? きさ……っ!?」

 腕を掴まれ、訝しげにイリスを見た彼の顔が、一瞬にして変わった。
 イリスはベルヌークを睨み付けたまま、左手に力を込める。

「う……がぁああっ!?」

 湿った音と、骨が砕ける音がして、あっさりと彼の腕は握り潰されてしまっていた。
 脆い……身体。
 先ほど戦ったブライゼンに比べれば、こんな人間、イリスにしてみれば相手にすらなりはしない。

「や、やめ……!」

 ベルヌークの言葉など無視し、イリスはそのまま彼の腕を、無理矢理引き千切ってしまう。

「があぁああ!」

 あまりの痛みに先の無くなった腕を振り回したことで、返り血がイリスにも飛んだ。
 だが意に介した様子も無く、千切れた腕を放り捨てる。

「……どう? わたしだって、それくらい痛いの。それでもまだそんな意地悪言うの?」
「き、きさまぁ……!」

 失った腕を抑え、凄まじい形相で睨み付けてくるベルヌークは、もはやイリスの声など届いていなかった。

「こ、殺せぇ! こやつこそ異端ぞ! 早くやれぇ!!」

 ベルヌークが声を張り上げ、命令する。
 突然のことに動揺していた周囲の者も、ベルヌークの言葉にようやく反応した。

「司教をお救いしろ!」
「その裏切り者を殺せ!」

 控えていた者達が口々に叫び、襲い掛かってくる。
 そうなったことにイリスは、

「いいよ……。みんな、殺してあげる」
 ――死の宣告を、下した。


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