第42話 ドゥーク・ロー・ブライゼン異端裁定⑤

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 二人が対峙してより、どれほどの時間がたったのか。
 ブライゼンがこれまでに受けた傷は、大小合わせてかなりの数だ。
 流れ出た血も、もはや相当なものだろう。いかな魔族といえど、立っていられるのが不思議なほどの、重傷だった。
 しかし一方のイリスも、決して無傷ではなかった。
 いや、単純な傷の深さならば、彼よりも酷いものすらある。
 彼女が他人の血でならばともかく、自身の血でここまで己を赤く染めたことは、今までなかったことだ。
 それだけ、ブライゼンは強かった。

 剣技ならば、十二分にイリスを凌いでいる。
 あの時僅かに刃を交えただけであったが、フォルセスカよりも――上だと言えるかもしれない。
 だがそれでも劣勢だったのは、ブライゼンの方だった。
 このイリスという死神は、やはりただの魔族というわけでもないらしい。出血程度では、命を奪うことはできないのだろう。
 また小さな刀傷くらいならば、戦いの最中にも治ってしまっている。
 あと何より厄介だったのは、戦いながらもイリスの腕が上がっていっているということだった。
 彼が繰り出した一撃も、次の交錯の時には自分のものにし、ブライゼンへと打ち放ってくるのである。
 結果、戦いが長くになるにつれ、不利になっていくのはブライゼンの方だった。
 しかしイリスには余裕は無く、ただ一心に彼を殺そうと、刃を繰り出してくる。
 不思議といえば、不思議だった。
 彼女に、こうも必死になる理由など無いはずだ。

(この者なりの、誇りの問題か……? いや)

 そうとも思えない。
 なぜだか分からないが、この少女はあまりそういったものには頓着しない性格のような気がする。
 まだ出会ったばかりだというのに、そんな風に思ってしまうのは、やはり親の姿を写してしまっているからだろうか。
 何にせよ、この者はひどく純粋に思えた。
 良くも、悪くも。

(さて、誰に似たのか……)

 父か母か―――

「あるいはどちらにも、か。やはり貴女は、ただ不幸ともいえないようだ」

 軽く笑って。

「行くぞ」

 短く、最後の一合に、挑んだ。


 相手の男は強かった。
 自分がこれほどの傷を負ったのは、生まれて初めてのことだっただろう。
 それだけの、相手。
 この時のイリスに、一切の余裕は無かった。
 目の前のことで、頭がいっぱいになってしまっている。そのために、ブライゼンを殺そうとして、結果的に周囲に与えた犠牲というものは、甚大だった。
 敵も味方も関係無く巻き込み、そのほとんどを殺してしまった。
 だというのに、肝心の相手を殺せない。
 いったいどうやったら殺せるのか――彼女にはそれが分からなくなってきて、徐々に混乱しつつあった。
 冷静に観察することさえできれば、ブライゼンの体力は尽きかけていて、今や立っているだけでも精一杯だということは分かったはず。
 優勢なのは自分だということも。
 しかしイリスには分かっていなかった。そんな余裕など、なくて。
 それは全てに、彼女の経験の無さからくるものだ。
 実戦の経験、自分と同等以上の者と戦った経験――そのどれもか、彼女には足りない。一歩届かぬ相手を冷静に見ることが、できない。
 今の自分にできることは、何とか彼の一撃を受け、かわし、闇雲に攻めることだけ……。
 だからこその、損失。
 このあと彼女は、フォルセスカの時とは比べ物にならない敗北感を、味わうことになるのである。


 ただ一撃。
 彼に残っている力はそれだけ。
 一足にてイリスの間合いに飛び込んだブライゼンは、今までない大きな動作でもって、剣を振りかぶる。
 大きな一撃。
 だが同時に、大きな隙を生むことにもなった。
 これまで決して隙らしい隙を見せなかった彼だっただけに、その動作は大きく目立つ。
 機をずっと窺っていたイリスは、ほとんど反射的にそれに飛びついてしまう。――深く、考えもせずに。
 すでに何合も打ち合い、ボロボロになっていた刀身を、彼女はただ垂直に、一瞬とはいえガラ空きになったブライゼンの腹へと突き立てる。
 深々と。
 それこそ根元まで、剣はその身体に埋まった。
 噴出す血。
 今までで最高の手応え。
 あとはこのまま力任せに身体を切り裂くだけ――イリスがそう思った時にも、しかし彼はまだ止まっていなかった。
 剣が、振り下ろされる。

「――――!?」

 ほとんど本能で、イリスは無理矢理その場から飛び退いた。
 その反応の良さは、明らかにひとの為せる技ではない。
 しかしそれでも、間に合わなかったのだ。
 それだけの、致命の間合い。
 ザッ……!
 鈍い音がして。

「あ……!?」

 飛び退く彼女の目に映ったのは……血を撒き散らしながら舞う、自分の右腕。

「そんな―――」

 小さな悲鳴とともに、自分の腕だったものが、地に落ちる。
 改めて見る自分の右手は……もう形を為していなかった。途中から、綺麗に切り落とされて。

「ぁっ、うぁ……う……」

 今更のように襲ってくる激痛。
 傷口を押さえ、イリスは呆然とその場に両膝をつく。
 誘われたことに、気づかなかった。
 ブライゼンはわざと隙をみせ、身を犠牲にして、痛恨の一撃をもたらしたのだ。
 ……全身が震えている。
 震えた身体のまま、落ちた腕より先を見れば、そこには倒れ伏したブライゼンの姿があった。
 生きているのか死んでいるのか、分からない。
 その姿を見て、彼女の身体を震わすものが、痛みから怒りに変わっていく。

「……よくも……っ」

 大量の出血など忘れたように、イリスは立ち上がった。
 死んでいようと関係無い。

「バラバラに、してやるから……!」

 身体をふらつかせながらも、残った左手でブライゼンを掴み上げようとして。

「…………!?」

 その手が、動かなかった。
 いや、それどころか身体全てがいうことをきかない―――

「そうしては欲しくないのよね……。だから、止めたの」

 声が、響く。

「誰……?」

 イリスが振り返る先には、少女の姿があった。
 こんな戦場には似つかわしくないドレス姿の、少女。

「そこにいるのは、わたしのものなの。立っている時までは、彼の意志を尊重してあげたけれど、倒れてしまった以上……わたしの好きにさせてもらうわ」

 少女の声は軽やかであったが、どこまでも傲慢に響いた。

「……助けに来たの?」
「違うわ」

 助けに、という言葉に、少女は意地悪く笑う。
 それは主に、ブライゼンに向けられたものであったが。

「どちらかというと、嫌がらせ? かしら」
「……殺すよ?」

 殺気を込めて、イリスは言う。
 少女がここに来た理由が何であれ、邪魔をされたことにイリスはひどく機嫌を損ねた。
 ただでさえ、腕が痛くて痛くて仕方がなく、うまく考えることすらできないというのに。

「殺す? わたしを? ふふ……また面白い冗談」

 少女は微笑し、瞳を細める。
 そして右手を軽く上げ、指をなめらかに動かす。
 それだけで。

「――――!?」

 凄まじい衝撃とともに、イリスは地面へと叩きつけられていた。

「な……」

 何が起こったのか、まるで分からなかった。
 しかも倒れたまま、起き上がることができない。
 どんなに力を込めても、震えるばかりで身体は動こうとしない。まるで、何かに全身を縛られているような―――

「ふん? さすがね。片手では少々きついわ。あなたを抑えるのにはわたしの〝絲魂〟でも、とりあえず五百本以上は必要ということね。大したもの、本当に」

 それは正直に感心しているようではあったが、同時に自分の絶対的な優位を宣言してもいた。

「わたし、あなたのことは嫌いじゃないの。だってあなた、わたしと同じだものね? エクセリアに嫌われている、という点では」

 だから、本当は好きになりたいのよ、と。

「きっとこの先、わたしが受けたのと同じような嫌がらせを受けるわ。いろいろ大変だとは思うけど、まあ頑張って。乗り越えて、あなたがもう少し大人になったら……その時はゆっくりお茶でもしましょうね」

 くす、と笑い、少女は手を下げる。
 一瞬にして、イリスから束縛が消えた。
 そして傲然として、告げる。

「逃げてもいいのよ?」
「…………!」

 これ以上無い、敗北と屈辱。
 自由になった身体で、怒りにかられるまま、イリスは少女に飛びかかろうとした。
 だがギリギリのところで、踏みとどまる。
 この相手には、勝てない。
 殺せない。
 本能が、そう告げる。
 自分ではまだ、この少女の死神には為り得ない。そう、彼――フォルセスカと同じように。
 だから、退いた。
 とてもとても、悔しかったけれど。
 なぜ悔しいと思うのかすら分からぬまま、彼女はその場を逃げ出した。

「ふうん……見所ありそうね」

 見送ると、少女は軽やかな足取りでブライゼンへと歩み寄る。
 そしていつぞやのことを、告げた。

「それらしい理由をね、みつけたの」

 なぜ、助けたのか――そう、彼は聞いてきた。
 そして、あの時は答えることができずに。
 しかしここしばらく彼を見続けていたことで、ようやくその理由に気づいたというわけである。
 倒れたままのブライゼンは動かず、その顔も見ることはできない。
 だが彼女は構わず、言葉を続ける。

「どうやらあなたのことが欲しくなってしまったから、みたいね」

 最初は興味を持った、という程度でしかなかったのは間違いない。
 気紛れを起こす程度の興味。
 それも長く見続けることで、明確な感情に変わってしまう。

「ふふ……本当は一人で眠るつもりだったのだけどね。だから、エルオードを追い出したのに。こんなところでまた拾ってしまったら、彼、悔しがるかしら……?」

 ブライゼンを拾う前に追い出した者のことを思い出しながら、くすくすと笑う。
 追い出したのも拾ったのも、気紛れといえば気紛れではあるが、それでもそうしようと思ってしまったのだから仕方が無い。
 もっともこの男は、そう簡単に手に入りそうではない。
 現に一度、断られてしまっている。
 しかしだからこそ、欲しいのだが。

「助けたこと、迷惑だったのでしょうけど、わたしの目の届くところまで来てしまったあなたが、悪いのよ?」

 どこまでも意地悪な口調で。
 アルティージェは微笑んだ。


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