第40話 ドゥーク・ロー・ブライゼン異端裁定③

 振りかざされた剣が、ブライゼンの首筋を狙う。
 ギィイイインッ!
 響いた音は、彼女の一撃を受け止めた剣戟ではなく、彼がかざした剣の腹を、刃が滑っていく音。
 それだけで、彼女の剣の軌道は僅かに首筋から逸れた。

「ふんっ!」

 反撃は、左の拳。
 至近距離で鳩尾に拳を叩き込まれ、体重の軽いイリスはあっさりと数メートルを吹き飛んでしまう。

「荒ぶ嵐、北より抜けて、氷結の雨たらん。凍てつき穿つ、極淵の風」

 地面に何とか着地したイリスは、響いた咒禁に、目を見開く。

「〝デネス・ノー・ルディネイン〟」

 降り注いだのは、無数の氷の刃。

「――――っ!」

 防御が間に合わないと悟ったのか、イリスは地を蹴ってその場からブライゼンの元へと跳ぼうとした。
 だが間に合わず、釘ほどの大きさの氷の刃が、彼女の身体を刺し貫く。
 苦痛に表情を歪めるイリス。
 だが息もつかせず、ブライゼンは追い討ちをかけた。
 ガギィン!
 振り下ろされた剣をイリスは何とか受け止めたものの、その圧力にその場から動けず。
 膠着かと思いきや、また先に動いたのはブライゼンだった。

「あ……っ」

 彼が自分の剣に込めていた力を抜いたせいで、イリスの剣は空を斬ってその身はつんのめる。
 その時僅かに出た上半身目掛けて、ブライゼンは膝を撃ち付けた。膝は彼女の顎を捉え、その浮いた身体を再び左手で殴り飛ばす。

「…………っ!」

 さすがにこれは効いたのか、イリスは受身も取れずに地面を転がった。
 更に追い討ちをかけるチャンスに見えたが、ブライゼンはそうはせず、後ろに飛び退いて大きく間合いをあけた。
 今のうちに息を整え、一度に放出した力を蓄え直す。
 何より、深追いは禁物だ。
 ブライゼンが見守る中、ゆっくりとイリスは起き上がった。
 顎を蹴り上げられた時に舌でも噛んだのか、口の端からは血を流している。
 そして、彼を見返した。

「…………」

 何も言わない。
 ただその瞳だけは、彼女の意思を、これ以上無いくらいに代弁していた。
 自分がやられたという驚きよりも、怒り。

「――――強いね」

 裏腹に、イリスの声は静かで澄んでいる。
 いや、透き通り過ぎていると……言うべきか。

「でも、殺すから」

 殺してみせるから、と。
 先ほどとは比べ物にならぬ殺気を放ちながら、言い放った。
 さすがにブライゼンの背にも、本能的な悪寒が走る。
 面に出さずにすんだのは、精神力の強さゆえ。

「行くよ」

 再び、一撃がブライゼンを襲う。
 ガッ……!

「く……!」

 今度の剣撃は、さばける程度のものではなかった。
 真正面から受け止めた彼の大剣は、信じられない圧力に鎬を削られていく。
 両手をふさがれ、今度こそ二人は刃を交えたまま膠着状態に陥った。
 その細腕のどこに、そんな怪力が秘められているのか――押し付けられる力は尋常なものではなく。
 先ほどのことがあってか、イリスは剣を交えながらも油断無くブライゼンの挙動に警戒し続けていた。
 どう動くか――そしてその時に、どうその裏をかこうかと。
 だが動かず過ぎていく時間の中で、痺れを切らしたのはイリスの方だった。

「荒む息、凍てつく吐息となりて、奈落に沈み落つ。深淵包む、幾夜の嵐」
「!」

 咒禁を耳にし、ブライゼンは驚いてイリスを見返す。
 馬鹿なと思うよりも早く、防咒の咒禁をつむいだ。

「レ・サルス、レ・カリスト、レ・ラインヴァム――」

 すでにお互い、自分の剣に力を込めてはいなかった。
 先に咒が完成したのは、イリス―――

「〝ィオル・ロー・バルセスト〟」

 静かにささやかれたイリスの言葉に。
 彼女の足元を中心にして同心円状にして、地面が僅かに陥没する。
 その範囲は、軽く十数メートルに及んだ。
 無論、その中には敵味方の一部も入り混じっており―――
 歯噛みして、ブライゼンは自らの咒を何とか完成させた。

「〝シオスの盾〟!」

 瞬間、陥没した地面より、氷の柱が何十本も突き上がった。
 地面より生えた、細く鋭い氷の槍に刺し貫かれたのは、交戦していた人形と、アトラ・ハシースの者。
 だが、それで終わりではなかった。
 イリスは手近に生えていきた氷の柱に近づくと、軽く指で弾く。

「離れろ――!!」

 未だ咒を展開したまま、ブライゼンは周囲に向かって叫んだ。
 次の瞬間、氷の柱だったものはバラバラに砕け散る。

「風よ」

 そしてイリスの言葉に従い、無数の刃と化した氷の破片は、巻き起こった突風に乗って嵐のように周囲にあるもの全てをズタズタに切り裂いた。

「く……」

 嵐が収まり、ブライゼンは各所から感じる痛みに顔をしかめながら、周りの状況を見やった。
 自分自身、結界を張っていながら、ここまで切り裂かれたのだ。
 無防備で受けた者達などは、酷い有様であった。
 敵味方を問わず、ズタズタになった人形や人間の残骸が、あちこちに散らばっている。
 そう――彼女は味方を巻き込むことも承知で、あの咒を使ったのだ。

「……このような咒を用いれば、味方もただではすまないことくらい、貴女にはわかっているはずだろう?」

 どこか詰問するように尋ねられて、イリスは初めて周囲を見渡し……そして僅かに首を傾げてみせる。
 そして、聞き返した。

「だから、なに?」
「…………なるほど、死神とはよく言ったものだ」

 見える犠牲などまるで意に介した様子も無い彼女に、ブライゼンは改めて剣を向け直す。
 アトラ・ハシースも、イリスのような者を、よく用いる気になったものだ。
 今は幼いがゆえに操れようとも、永遠とはいくまい。いずれ、己が首を絞めるかもしれぬというのに……。

「……この先問えるかわからない以上、ここで聞かせてもらう」

 それは最初に保留した、問い掛けだった。

「なぜ、貴女はアトラ・ハシースなどに従っている? その力、もはや異端と呼ぶより他に無いほどのものと、見受けるが」
「なぜ? ……そう、なぜ……」

 思わぬ質問だったのか、イリスは眉をひそめる。

「だって、生まれた時からあそこにいたから。アルゼスがそうしろって、言うから……」
「貴女の意思は? 僧会に尽くすほど、信心深いとも思えない。それとも信仰とは別に、尽くすべき相手でもいるのか」
「……どういうこと?」

 イリスは小首を傾げる。
 尽くすべき相手、とはどういうことなのか。
 何よりどうして自分があそこにいる理由など、考えなければいけないのか。

「誰だって、生まれた場所にいるものじゃないの?」
「生まれた場所か。そうだな」

 小さく、ブライゼンは頷いた。
 確かにそれは自然なこと――しかしイリスに当てはめてみれば、不自然なこと。
 彼女の生まれた場所は、アトラ・ハシースなどではない。それは決して。
 だがイリス自身はそんなことは知らない。誰が親であるかということも、知らないのだろう。
 それを告げた時、彼女はどんな反応を示すのだろうか。
 興味はある。しかし、その気は無かった。
 半年前、イリスはフォルセスカとまみえ、対峙している。にも関わらず未だ彼女が自分の生い立ちを知らないということは、彼が話さなかったということだ。
 つまり、その気が無かったということ。
 なれば、ここで真実を告げるわけにもいかないだろう。

「まあいい……いずれ明らかになるだろう。その時は、その時だ」

 苦笑して、ブライゼンは剣を構え直す。
 倣うように、イリスも。

「フォルセスカ殿には悪いが、手は抜けん」

 殺すか、殺されるか。
 結果はそれ以外に無いと覚悟して。
 三度、二人は交錯した。


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