第38話 ドゥーク・ロー・ブライゼン異端裁定①

「ブライゼン様。斥候によりますと、僧会軍の本隊は二手に分かれ、コルントに向けてオルセシスを出発しました」
「そうか」

 そう告げられて、ブライゼンは小さく頷いた。
 報告しに来たのは、古くからラウンデンバーク家に仕えていた、元近衛騎士の者である。ブラフト・ダーン異端裁定で生き残ったものの、ゼルディアへとは向かわず、ブライゼンに付き従っている者は何人かいた。
 彼も、その一人である。

「今日中に対峙することになるな」
「はい。夜半過ぎには、恐らく」

 ……どうやら僧会も、ついに主戦力を投入することを決定したらしい。
 今までの小競り合いにおいては勝利を収めてきたものの、今回ばかりは同じようにはいかないだろう。
 まずは圧倒的な数の差。
 そしてすでに人形のことも知れているであろう以上は、それに対抗できる戦力――アトラ・ハシースの精鋭を使ってくることは間違いない。
 恐らく最後の戦いとなるだろう。
 どこまで道連れにできるかは分からないが、その相手にとっては申し分は無い。
 そう考えて、ブライゼンは苦笑した。
 死ぬることを当然と考えた、戦い。
 死に場所をと求めた戦いではあったが、考えてみればむなしいものだ。
 あの時に死ねず、こうしてなりゆきに任す己など、ひどく滑稽にさえ思える。
 もちろんこの戦いに、意味が無いわけではない。
 思惑通り、敵にそれなりの損害を与えることができれば、ゼルディアに落ち延びた同朋達に時を与えることが可能になる。そうすることで、今まで受けた恩の僅かでも返すことができるのならば、ここで死すことも無駄ではなくなるだろう。
 また、数多くの者達が思う雪辱――それを果たす機会にもなり得る。
 自分と同じようにラウンデンバーク家に恩を受けた者は、たとえ死してもと、こうして召集に応じてきた。その機会とならば、意味はある。
 そしてもう一つ。
 この身を助け、自分の復讐を気軽に他人に託した、あの少女……。そのことが、ブライゼンには一番分からなかった。
 そうされたことは、意味があったのか、それとも無かったのか。
 今こうして戦っている様を、あの少女はどこかで嘲笑いながら見ているかもしれない。手の内にある自分は、ただ操られ利用されている、遊びの駒ではないかと思うこともある。
 しかし一方で、あの少女には誠実なものを感じていた。
 良くも悪くも、偽りは無かったような気がする。

「さてな……」

 ……やはりどこかで、自分はあの少女に惹かれているのだろう。
 だからこそこうも忠実に、彼女の言葉に従ってしまっている。
 自分の意思であると思いながら、どこかで支配されているような感覚。
 それはそれで、不思議なものだった。

「ブライゼン様、この度の指示は」

 尋ねられ、しばし考えた後、ブライゼンは小さく首を横に振った。

「謀は用いない。小細工は無しだ。正面から受けて立つ」

 その言葉に、騎士の顔に僅かな緊張と、覚悟のようなものがよぎった。

「……では」

 彼なりに、理解したのだろう。
 応えるように、ブライゼンは頷いた。

「そうだ。これが最期になるだろう。前々から言っているように、今から一刻の間、戦線の離脱を許す。殉じる気の無い者や迷いのある者は、その間にこの場を離れさせろ」

 そのことは、ブラフト・ダーンを出る前より告げていたこと。
 今付き従っている者達は、皆有志によるもので、ブライゼンとの間に主従関係があるわけではない。
 勝てる戦ならばともかく、勝てぬと分かっている戦に赴かせることを、強制できはしないのだ。
 ここまで従ってくれただけでも充分――彼はたとえ己が身と、廃棄を定められた人形達だけとなっても、この先に赴く覚悟を決めている。

「そのような者などおらぬと存じますが、それでもご命令通りに致します」

 一礼して下がる騎士の姿を見送りながら、ブライゼンは初めて口元を綻ばせた。

「……どのような形であれ、生きた証を残せるのならば……それもいいだろう。我ながら不器用なものだがな……」

 自分はあの青年――フォルセスカのような生き方はできまい。
 それは、それでいい……。
 笑みは、自分自身に向けられた苦いものだった。


「……始まったな」

 頬に届く風は、触れるだけで切れそうなほどに、荒れ狂っていた。
 戦場から運ばれてくる、重々しい風。
 遠く眺める先――コルントとロン・ハーの境にて始まった会戦は、すでに数時間が経過している。
 決して戦には適さぬ深夜を開始として、その戦いは続いていた。
 仕掛けたのは、数で圧倒的に劣るブライゼンだろう。
 遠路の行軍で疲労している今しか、まともに戦える機会は無い。
 しかし相手もそんなことは百も承知している。本隊到着よりも早く、数手に分けた軍を先行させ、伏兵していたのである。
 そのため戦は時間を定めずに始まった。
 今のところ、ブライゼンはよくやっていた。お互い押して退かぬ様からは、互角ともとれる戦いぶりである。

「フォルセスカ様、これならもしかして……?」

 彼と同じく隣に控えて戦場を眺めていたレダは、希望をもって振り返った。
 これならば勝てるかもしれない、と。
 しかし返ってきた返事は、楽観的なものではなかった。

「いや、ここままでは負ける。確実にな」
「え……」

 あっさりと断言されて、レダは息を呑んだ。

「どうしてですか? ブライゼン様は善戦されています。中央ではむしろ相手を押し切っているほどなのに……?」
「そうだな。数では劣るものの、勢いではブライゼン殿の方が上だ。今戦っている敵が全てなら、相手は堪え切れないかもしれん。だがな、レダ。今目に見えているだけが、戦局の全てじゃないんだ」

 首を傾げるレダに、フォルセスカは北の方を指差して言う。

「北から殺気が近づいてきている。僧会軍はオルセシスで軍を二手に分け、一手は最短でコルントに向かい、現在戦闘中だ。もう一手は北からロネノスへと迂回してからコルントに入り、ブライゼン殿の背後を突く心積もりだろう。軍の規模は本隊ほどではないだろうが、それでも今別働隊に背後を突かれれば、形勢は一気に僧会軍の方に傾く」
「そんな……」

 一気に表情を曇らせて、レダは戦場を見やった。
 戦場は遠く、暗くて良く見えない。
 夜目の利くフォルセスカに教えてもらいながら、レダは何とか戦場の把握に努めていた。
 しかし彼の言葉を聞いて、急にその気力も無くなってしまう。
 そんな彼女へと、フォルセスカは口を開く。

「レダ、せっかくの機会だ。よく見ておけ」
「でも……」

 負けると分かっている戦を見るのは、やはり辛い。

「でも、じゃないな。確かに勝てぬ戦ではあるが、ブライゼン殿の指揮は見事だ。あんな状況でも敵の情報収集を怠らず、常に変化する戦局に応じて兵をよく用いている。見習いたいほどだな。だから俺だけが見てももったいない……。お前もよく見て、覚えておけ。いずれ、役に立つ時が来るかもしれないからな……」
(あ……)

 言われてハッとなる。
 僅かかもしれないとはいえ、期待とも取れる彼の言葉に。
 同朋の敗戦を見なければならないというだけで、こうも心に余裕が無くなってしまう自分が、何とも恥ずかしかった。

「は、はい。絶対にお役に立てるよう、頑張ります」

 しゃちほこばって頷くレダに、返ってきたのはフォルセスカの苦笑。

「そう気張るな。お前はお前のペースで、強くなればいい。無茶をしても、転びやすくなるだけだ」

 それは、今この時だけのことを言っているのでないことは、レダにもよく分かった。
 確かに今の自分は、かなり背伸びをしようとしているのだろう。
 しかし足元もおぼつかないうちにそんなことをしても、傍から見れば危なっかしいだけ……。
 では我慢すべきなのだろうか。
 もっと自分が成長するまで……。
 それは間違ってはいないと思う。でも絶対正しいとも思えない。自分自身にとっては、だけど。
 考えると、ぐるぐると思考が巡って、頭が痛くなる。
 それでも眉間に皺を寄せて考えていると、隣のフォルセスカが不意に立ち上がった。

「さて……。俺は少し、向こうに行ってくる」
「向こうって……」

 視線につられてレダが見た先は、今まさに戦いが行われている戦場。

「な、なに考えてるんですか? 私たちは、関わらないって――」
「もちろん参加する気はないさ。もうちょっと近くで見ようと思っただけで」
「じゃあ私も――」
「駄目だ」

 あっさりと拒否されて、不満顔になるレダ。

「……どうしてですか?」
「危ないからに決まっているだろう? 俺一人ならともかく、お前までいては、動きづらい」
「……足手まとい、ということですか」
「平たく言えば、な。今は我慢――いや、これは命令だ。ここから動くな」

 いつに無く厳しい口調で言われて。
 レダは頷くしかなかった。
 足手まといと言われたのは悔しかったけれど、それは事実。
 それよりもここで命を無視して、彼に背くことの方が嫌だった。
 自分は自分で危ない背伸びをしてでも、彼の役に立ちたい。けれどそのためにその意に反するようでは、何の意味も無い。

「……はい。わかりました」
「よしよし、いい子だ」

 頷くと、フォルセスカは機嫌を良くしたように、レダの頭を撫でてくれた。
 ……何だか必要以上に、子供扱いされたような気がしなくもなかったけど、とりあえず何も言わないでおく。

「適当に戻るから待っていろ。何かあった時は、俺を捜さずにゼル・ゼデスに帰れ。いいな?」
「はい」
「よし」

 満足そうに笑うと、フォルセスカはそのまま戦場に向けて歩き出す。
 それを、レダは一人見送った。


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