第37話 ベルヌークからの要請

 バルライン男爵領・パルティーン。
 その寺院内の一室で、遠地より矢継ぎ早に届けられる急報に、アルゼスは表情をしかめていた。
 ロン・ハーにて奇襲を受け、初戦を敗退してからというもの、僧会軍の旗色は良くない。
 現在、ドゥーク・ロー・ブライゼン率いる異端の軍は、クリセニア領境にて留まり、今のところ派遣した僧会軍に対して連戦連勝を重ねている。
 といっても行われているのは、小規模な戦闘に過ぎない。

 本隊の編成と派兵までの時間稼ぎのために送り込んだ部隊は、結果的に役割を果たしているようにも見えるが、実のところはそうではなかった。
 異端の軍は、基本的にナルヴァリアに侵入しようとはしていない。戦闘の際に侵すことはあっても、いったん終了すれば、必ずコルントまで退いている。
 これは恐らく、ナルヴァリア男爵家――ひいては世俗諸侯に対して敵対する気は無いという、その意思表示だろう。
 そのせいか、今のところナルヴァリア男爵家に動きはない。要請すれば援軍を出してくれはするだろうが、それも得策ではなかった。
 今回の事件は、今や諸侯達の注目の的になっている。
 王室を始めとして、僧会の権威の失墜を望む者は少なくない。そういった者達に僧会の権威を示すためにも、これ以上の敗戦は避け、そして何としても自力で異端を駆逐する必要があるのだ。

「――大司教猊下。オルセシスよりの急使が参っていますが」
「通すがいい」

 取り次ぎの僧の言葉に、アルゼスは頷く。
 円卓を囲み、今回の一件に対して議論を交わしていた高僧達も、使者の入室に静かになった。

「失礼します」

 入ってきたのは、明らかに負傷したと分かる姿の、ディアンだった。
 片腕を包帯で吊るし、各所に裂傷を負ったと分かる姿からは、それだけで相手にしている異端が、どれだけ手強いのか推し量ることができるというものだった。
 ディアン・コレリア――彼はアトラ・ハシースにおいて、戦闘技術はもちろん、戦争における戦略にもよく通じている。
 だからこそあのベルヌークが目をつけ、参謀として傍においているのだ。
 そして前回の異端裁定において、実戦経験豊富なフロイス・アーレストに代わり、先鋒を務めて見事にその任を果たしている。
 その彼がいながら、こうも惨敗するとは……。

「ベルヌーク司教からの嘆願を承っております」

 一礼して告げるディアンに、アルゼスは眉をひそめる。

「嘆願、だと?」
「はい。敵は少数、なれど侮れぬ。是非かの死神を借り受けたい、と」
「なに?」

 死神――それは、イリスを戦場に寄越せということ。

「あれは使わぬと先に言ったはずだ。一両日中に本隊は派遣できる。それでは足らぬと言うのか?」
「ベルヌーク司教は、是非にと」
「…………。それはコレリア神父の進言か?」
「いえ、違います」

 尋ねられ、ディアンは否定する。

「しかし、必要性は私も感じました。確かに敵の数は決して多くありません。ですが、中に厄介なものが交じっていますので……このままでは苦戦は避けられないでしょう」
「厄介なもの?」
「はい。人形――恐らくは、シュレストの遺産……あるいはそれと同等のものかと」
「なんだと?」

 ディアンの言葉に、円卓がざわめいた。
 シュレスト――それは、現在までに名を残す三人の魔王の中の、一人。
 三人の中では最も長く存命し、そして最も世に異端の種を植え込んだ魔王。
 その最期は定かではない。
 諸説あるが、もっとも有力視されているのは、数多くいたという自らの子供らに殺されたとされるものだ。もっとも本当であるかどうか、今では確かめる術はない。
 彼は多方面に才を持った魔王で、彼が創り残したものは多く、それらは遺産と呼ばれて今も現存している。
 その中の一つに、人形と呼ばれる遺産も存在していた。
 非常に精巧な出来で、魔族以上に磨耗せず、またそれに劣らぬ力を備えているという。

「数は定かでありませんが、百は超えていると思われます。戦闘に特化されていないものも中にはあるようですが、たとえそういった人形が相手だったとしても、ただの僧兵には歯の立たぬ相手。何より厄介なのは、普通の手段では殺すことができないということです。それこそ完全に破壊しきらなければ、いつまでも動き続けます」
「……アトラ・ハシースの者でも?」

「各地にいる者を全て召集したとしても、分は悪いでしょう。あちらは人形――こちらは人間。互角に戦えたとしても、損害を出して損をするのはこちらです」

 ……なぜそのようなものが、今になって出てきたのかは分からない。
 しかし対処しなければならないのは、事実だ。

「……イリスならば、それらに勝るというのか?」
「アトラ・ハシースの中で、もはやあの少女に敵う者などいないでしょう」
「…………」

 ディアンの言う通りだった。
 あの子を引き受け、育て始めてから約十年。
 たったそれだけで、イリスはアトラ・ハシースの者とて敵わぬほどまでに、成長してしまった。
 この僧会の中に、彼女を止められる者などいない。
 だというのに、イリスは手の中にいる。
 何の迷いも無く、従っている。
 ――本当に?
 それは、時々不安に思うことだ。
 あれはフォルセスカの子。
 いずれ敵となってしまう日が来るのではないか、と。

「猊下があの死神を危険に思われる理由はわかります。しかし使わなければ大事を誤るかも知れぬと……司教からの伝言です」

 ベルヌークの言うことは、間違ってはいない。
 先の危険を危ぶむばかりに、目先の危難を忘れるようでは本末転倒だ。
 ……果たしてどうするべきか。
 アルゼスは悩んでいた。
 確かに今回の戦、錬度も高く兵数もあり経験豊富な者達が、無勢の相手に敗れているのは事実だ。
 しかもそれは相手の謀によるもの以上に、その遺産と呼ばれる人形によるものであったとしたら。
 この先大軍を送り込み、たとえ負けずとも被害が甚大なものとなるだろう。
 イリスを用いれば、そのような人形相手に遅れを取るとも思えない。しかも決して無数の人形が相手というわけではないのだ。イリスやアトラ・ハシースの者に人形の相手をさせ、一方では大軍をもって押し切れば勝機は充分にあるはず。
 小規模な戦闘こそ、少数精鋭の相手にとっては好都合。敵の土俵に合わせて戦うことこそ、不利なのだ。ここは一気に攻めるべきなのだろうが……。
 それでもやはり、心配だった。
 今のイリスを向かわせることは……。

「しばし待て」

 そう一方的告げると、アルゼスは立ち上がった。
 そのまま踵を返す姿を見て、円卓から慌てたような声がかかる。

「猊下、どちらに?」
「すぐに戻る」

 そうとだけ言って、彼は部屋を後にした。


「……どうしたの?」

 入ってきたのに物言わぬアルゼスへと、いつもの場所に座っていたイリスは、小首を傾げて口を開く。
 この部屋にやって来る者は、彼しかいない。
 来れば、いつも何か言うのに……今日は何も言わず、見つめていた。

「アルゼス?」
「あ、いや……」

 名を呼ばれて、ぎくりとしたように、彼はようやく声を出す。

「戦場に、またお前を出さなければならないかもしれん」

 それを聞いて。
 僅かにイリスの表情が変化した。
 拒否反応のようなものではなく、むしろ嬉々としたような、そんな変化。見る者をぞっとさせるような瞳になって、立ち上がる。

「また、行けるの?」

 殺せるの、とも取れる口調で。
 イリスはアルゼスに近づき、見上げる。

「もしかしたら、またあのひとに会えるかもしれない。わたし、あれからずっと……考えていたの。どうしてこんなにすっきりしないのかって……。それはたぶん、あのひとを殺せなかったから」

 彼女自身、自分のおかしさには気づいていたのだ。
 この半年、彼と――出会ってからの自分が、今までとは違うということに。
 もやもやして、何かがわだかまっているようで、どうにもすっきりしない。
 そんな彼女の様子は、傍から見れば非常に不機嫌な様子として映っただろう。実際、アルゼスにはそう見えていた。
 しかし彼女自身には、そうなっている自分のことがよく分からない。いつもと違う気持ちだということは、分かる。しかし感情としてそれが何なのか、理解はしていなかった。
 理解できないわけではない。それに気づかせぬようとする力が、彼女に及んでしまっているため。
 そしてそのことが、この先彼女を悩ませ続けることになるのであるが……。

「だからね、ちゃんと殺せれば……大丈夫になると思う。それに、殺すのって……とても気分が良くなるから。わたし、行きたい」

 ともすれば無邪気とも思える表情で、イリスはアルゼスにすがった。
 そんな様子に、アルゼスは思う。
 まだ、子供だと。
 どれだけ力を持ち、人智を越えていたとしても、やはりこの少女はまだ生まれて十年ほどしかたっていない、子供なのだ。
 考えているようで、しかしそれは浅く、短絡的な答えを求めやすい。
 だからこそ従順で、無邪気で、傲慢で、残酷なのだろう。
 そう考えて、何となくアルゼスは直感した。
 今の状態ならば、たとえ何があってもこの少女は戻ってくる。外への興味を持ち出したとはいえ、イリスは自分の居場所からは長く離れてはいられない。無意識とはいえ、自分の居場所があることに安心を覚えているはず。
 所詮はまだ十歳程度の子供であるのだから。

「出発は明日になるだろう。準備はできるか?」
「うん。別に今すぐにだって、構わないから」

 行くことを了承してくれたと判断したのか、心なしかイリスの表情は嬉しそうだった。
 ……これはこれで、また珍しいことだと言えるだろう。僅かとはいえ、感情の起伏を見せるようになったこと……。
 今はともかく、しかし永遠にはこの少女を留めておくことはできないと、そう気づかせてくれる。
 それがいつの日になるかは分からないが、その時のことを考えるのは恐らく自分ではないし、留める力もないだろう。
 だがそうなる前に、きっとあの方が動かれる。イリスをもたらし、託したあの少女が。
 だから自分は与えられたことを為せれば、それでいいはず。
 必要以上のことは考えず、割り切るべきだ。

「いいか、お前はベルヌーク司教の指揮下に入る。オルセシスで合流してからは、彼の命令に従え」

 事務的に告げると、イリスは小さく頷いた。そして何か思いついたように、小首を傾げて口を開く。

「アルゼスは、来ないの?」
「私はこちらに残らねばならない。戦場だけに仕事があるわけではないからな」

 答えながら、アルゼスは意外な問いかけに正直驚いていた。
 彼女が他人を――例えアルゼスであったとしても、気にするような発言をすることは珍しい。

「それにしてもどうした? 前回の時は、私のことなど気にもしなかったと思ったが」
「……そうだけど。でも外は、知らないひとばかり。誰の言うことを聞かなければいけないのか、わかりにくいの。アルゼスがいたら、わかりやすいから……」

 それは不安に思っているというよりは、不満に思っているような口振りだった。
 アルゼスの言葉に従うことには何の疑いも持ってはいないが、それ以外の者からに関しては、微小なりとも抵抗を感じている、と。

「でも、いいよ。いっぱい殺せるのなら……そうさせてくれるのなら、気にしないことにするね」

 どこまでも残酷に。
 イリスはもう一度、頷いた。


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