第34話 ロン・ハーの戦い

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 ナルヴァリア男爵領・ロン・ハー。
 クリセニアとの境となるこの場所は、普段は何も無い草原である。
 しかし今夜は違っていた。
 ベルヌーク率いる僧会軍の第一陣がクリセニアを臨み、陣を張っているからである。
 その物々しさに、普段は領境に横行する野盗や盗賊たちも、その形を潜めていた。

「猊下、ただ今戻りました」
「ディアンか。遅かったな」

 陣の中央にいるベルヌークの元へと戻ったディアンは、恭しく一礼する。

「申し訳ありません。なにぶん、ここからブラフト・ダーンまでは、まだいくらか距離がありますもので」
「構わん。それよりも状況を話せ」

 鷹揚に、ベルヌークは先を促した。

「はい。現在の我々の位置はロン・ハーで、未だナルヴァリアです。このまま西に進めば明日の正午までには充分、クリセニア侯爵領・コルントに入れましょう。コルントより北に進めばロネノスに、西に進めばスコル・ピテフを通り、ブラフト・ダーンへと続きます」
「では明日の夜にはブラフト・ダーンに着くな」
「途中伏兵もなく、ブラフト・ダーンも静まり返っているとか。この進軍速度を維持できれば、間違いなく到着できるでしょう。しかし……猊下、よろしいのですか?」

 明日も進軍すると決めてかかっている主へと、ディアンは控えめに指摘する。

「アトラ・ハシースでは、いったん軍をこのロン・ハーで留め置き、情報収集に努めるよう決定されたはずでは」
「たわけ」

 ディアンの言葉に、ベルヌークは不快そうに叱責した。

「確かにここは、我らの良き協力者であるナルヴァリア男爵家の領地。不測の事態にも迅速な対応を期待できよう。安全圏であるこの境界線に軍を留め置き、情報収集を行い、その間に本軍の編成を終わらせる……なるほど堅実ではあるが、ぐずぐずしていては機を失う。我らが得た時間と情報と同じだけのものを、敵にくれてやることにもなりかねん。そうなれば戦略は複雑化し、長期戦となろうぞ。謀は密なるを尊び、兵は神速を尊ぶもの。必要以上の時をかければ、大事を誤る」
「なるほど。猊下の仰せ、いちいち理に適っております。しかし現状では敵の正体すらわからぬ始末です。いかにこの先敵影が無いとはいえ、迂闊に進むは危険かと」

 慎重な意見を捨てきらないディアンへと、ベルヌークは笑う。

「それも心配いらん。我ら小勢なれば控えもするが、兵のいずれも錬度高く、士気は盛んで、兵数もおる。いかな異端と出会おうとも、敗れることなどありえぬ。むしろ一戦交え、一揉みすることこそ敵を知る良い機会となろうぞ。恐れるに足りぬわ」

 その言葉に頷きながらも、ディアンは最後に一つ、確認をした。

「されど命に背いたとみる者もおりましょう。そうなれば、ラルティーヌ大司教も放っておかぬかと思いますが」
「そのようなこと、敵を破り、功を上げてしまえば何とでも言い訳はつく」

 言い切るベルヌークに、ディアンはそれ以上、何も言わなかった。
 正直なところ、これ以上の進軍に賛成ではない。が、ここでつまらぬことを言っても詮無いことだろう。
 普段ならばもっと慎重に事を運び、事を為すベルヌークにしてみれば、今回は随分と強硬な方針を取っている。
 それはやはり、己の失態と身内を失ったことで、彼を感情的にさせていることは想像に難くない。一刻も早くブラフト・ダーンを落とした異端と一戦交え、これに勝利せねば気が収まらぬのであろう。
 そんな彼に、今は何を言っても無駄だ。
 長くベルヌークに仕えているディアンは、よく彼の性格を把握している。ここで口答えしたところで、己の首を絞めるだけだ。

「では明朝には立つということで」
「うむ。そうだな」

 ベルヌークが頷いたところで。
 向かいにいたディアンの表情が変わった。

「……如何した?」

 不審に思ったベルヌークが声をかけた瞬間、衝撃が襲う。
 何を思ったのか、ディアンが思い切りベルヌークを突き飛ばしたのだ。

「! 何を―――」

 答えることなく、ディアンはその場を蹴り、弾くように後方へと跳ぶ。
 ギィンッ!!
 刹那、凄まじい剣戟が響き渡った。

「な――」

 目を見開くベルヌークの前には、剣を手に交錯する二人の男の姿。
 一方はディアン――そしてもう一人は。

「慮外者め! 何者か!?」

 自分がその男に命を狙われ、それを察したディアンによって救われたと理解したベルヌークは、臆することなく一喝する。
 その言葉に男はディアンを押しやると、後ろへと下がり、大きく間合いを取った。
 ディアンは動かず、剣を構えたまま間合いを維持する。

「何者かと聞いておる。答えねばこの場にて斬り捨てるぞ」

 男を睨つけながら、倣岸な口調でベルヌークは言い放った。
 しかし対する男は全く動じる様子もなく、対峙している。
 黒い衣装に身を包んだ青年――その顔に、ディアンは見覚えがあった。

「ロノスティカ・ラウンデンバークの側近にして、近衛騎士団長のブライゼン殿と、お見受けしますが?」
「私を知っているのか」
「それはもちろん。前回のブラフト・ダーン異端裁定において、先鋒を務めたのはこの私ですからね。もっとも大きな障害に成り得るだろうとされた騎士団については、あなたを含めて事前に調べさせていただきましたので」
「…………」

 押し黙るブライゼンを警戒しながら、ベルヌークはディアンへと視線を移す。

「何者だ?」
「名はドゥーク・ロー・ブライゼン。古将イグナーン・ロイドと並ぶ剣技の持ち主で、クリセニア侯爵からはもっとも信頼されていた将と聞いております。近衛騎士団の団長を務め、恐らくその種は魔族であるかと」
「異端者か」

 吐き捨てるように、ベルヌークはブライゼンへと視線を戻した。

「ではラウンデンバーク家の残党ということだな。聞くが、ブラフト・ダーンを落とし、神に仕えし同胞を殺めたるは貴様らか」
「その通りだ。ブラフト・ダーンは我が主のもの。奪いしは貴様達であろう」
「ふん。異端の分際で何をほざく。して今夜は何の用で参った? 我が命でも狙ったか」
「然り」
「ふ……ははははっ! 愚か者め。わざわざ正体を明かし、殺されにきたか!」

 ベルヌークの哄笑――しかしそれは、長くは続かなかった。
 突然周囲の陣中より、火の手が上がったのである。それに続く、兵達の悲鳴。

「何事――貴様か!」

 さすがに即座に状況を察したらしい。
 ベルヌークはブライゼンを睨みつけた。
 明らかな奇襲――ブライゼンは単身で、この場に乗り込んだわけではなかったということだ。
 いかほどの手勢かは知れぬが、完全に虚をつかれた以上、反撃は難しい。

「申し上げます! 火の手が――」

 僧兵が報告に飛び込んできた瞬間、その首は地面に転がった。
 鮮血を吹き上げて倒れ込む兵の姿を見て、ベルヌークは思わず一歩下がってしまう。
 死体の後ろには、明らかに僧兵とは違う男が血に塗れた剣を携えて、佇んでいる。

「おのれ……このような所まで侵入を許すとは……!」
「……してやられましたね。猊下、ここはお早くお引き下さい。この場は私が食い止めますので」

 そう言うディアンの表情は、こんな状況になっても落ち着いたものだ。
 冷静に、退却を進言する。

「しかし……!」

 ベルヌークが踏みとどまる間にも、状況は刻一刻と変化していった。
 騒ぎは大きくなり、火の勢いは増し、この場にも敵味方の兵が入り乱れ始める。
 斬り合いが始まる中、ディアンは動かぬブライゼンを視界に留めたまま、周囲の様子を見やった。
 駆けつけた味方の数に比べ、侵入した敵の数は、かなり少ない。少なくともこの場においては、こちらが圧倒的に多勢であった。
 しかし、乱戦の中で討ち取られていくのは、味方の方だ。
 こちらの刃が届いていないわけではない。確実に、兵達の刃は敵に届いている。
 しかし――倒れないのだ。
 自分が傷ついていることなど歯牙にもかけず、前進し、切り伏せていく。

「これはまた……」

 その様子に、ディアンは苦笑した。
 これは、相手が悪い。

「司教猊下。一刻も早くオルセシスまでお下がり下さい。このままでは危険です」
「く……」

 さすがに目の前の惨状を目の当たりにして、ベルヌークも踏みとどまることはできなかった。
 次々に討ち減らされていく味方――決して倒れぬ敵。

「行くぞ!」

 ベルヌークは周囲を囲む兵に声を上げると、その場から脱出した。
 それを確認すると、わずかに肩の力を抜いて、ディアンはブライゼンへと口を開く。

「またずいぶんな骨董品をお持ちですね。あのような人形、人の手では作り出し難い……。魔王シュレストの遺産でしょうか?」

 そう尋ねられて、ほんの僅かだけ、ブライゼンは表情を動かした。
 ディアンが口にしたのは、ブライゼン自身が気にしていた名前。

「……あれらはもらい物だ。詳しくは知らん」
「なるほど。しかしけっこうな物ですよ、あれらは。いったいどれほど手にしているのかは知りませんが、この場を制圧するには充分な力を持っているでしょう。これを使ったのならば、ブラフト・ダーンが落ちたのも納得できますね」

 言いながら、ディアンは剣を構え直す。

「正直、そんなものを率いているあなたとやり合いたくはありませんが、司教が落ち延びるまでの間、ここで時間を稼がなければなりません。仕事ですので、恨みっこはなしということでお願いしますね」
「…………」

 特に緊張も見せずにそう言うディアンを、それなりに警戒したのだろう。
 ブライゼンは剣を構えながらも、すぐには仕掛けず。
 そんな彼へと、ディアンは思い出したように一言、付け加えた。

「ああ、言い忘れていました。自己紹介が遅れましたね。私の名はディアン・コレリア。アトラ・ハシースの者です」


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