第33話 旅の供

 元々薄気味悪い樹海であるが、夜ともなるといっそう際立ってくる。
 ゼル・ゼデスの周囲に広がる樹海は、基本的に道はない。どういうわけか異常に成長の早い密林のせいで、獣道すらできぬ始末。人が迷い込めば、恐らく生きて這い出ることは叶わないだろう。
 ここはベデゥセーウの樹海と呼ばれているいわくつきの森である。
 何でもかつての魔王・クリーンセスの夫人であったクェラ・ベデゥセーウが創り上げた人工の樹海であり、ゼル・ゼデスを周辺から守る一方で、外界から孤立させてもいる。
 ともあれ、そんな物騒な森を何度も経験したことのあるフォルセスカにしてみても、こんな夜に一人で進むのは、それはもう憂鬱であった。

「せめてヴァーグラフがいてくれればなあ。道案内がいるだけで、ずいぶん気が楽なんだが」

 この森のことを最もよく知っているのは、あの大きな毛玉だ。
 彼自身この森のことはよく知ってはいるが、それも皆ヴァーグラフについて回ることで覚えた知識だ。早く、安全に抜けたければ、やはりヴァーグラフを道案内にするのが一番いい。

 とはいえ無いものねだりをしていても仕方ない。ねだる相手もいないのでは尚更だ。

「さて……朝までには……」

 生い茂る木の葉の隙間から月を見上げ、小さくつぶやいたところで。

「――――」

 大きく、森がざわめいた。
 気配というには、あまりにもあからさまな―――

「む?」

 警戒したのは一瞬だけで、フォルセスカは剣の柄へと伸ばした手を元へと戻した。

「はてさて……。噂をすれば何とやら、だが。こんなところまで見送りに来てくれたのなら、それはそれで嬉しいんだがなあ」

 いったい何の気紛れだろうかと、彼は頭を掻きながら行く先に現れた毛玉を見返す。
 目の前にいたのは、間違い無くヴァーグラフだった。
 ヴァーグラフはフォルセスカに懐いているとはいえ、それでもやはりレネスティアのものだ。彼女の言葉無くして、勝手にゼル・ゼデスを離れたりはしない。
 それがここにいるということは……。

「……ふむ。これはちょっと驚いたな」

 じっとヴァーグラフ見つめると、その傍にいる小さな人影に気づく。
 どうやら本人はヴァーグラフの陰に隠れているつもりなのだろうが、時折こちらの様子を窺っているせいで、その姿は見て取れた。

「びっくりだが、早速ヴァーグラフと仲良しになった……ってことかな? レダ」
「あ、えっと……その」

 名前を呼ばれ、ひょっこりと姿を見せたのは、どこか気まずそうにしているレダだった。
 その姿は、明らかに旅支度と分かる格好をしていて。

「……フォルセスカ様が一人でブラフト・ダーンに行かれると聞いて……私も、その……お供をしようと思ったんです。だから、ヴァーグラフにここまで乗せてもらって……」
「これはまた……」

 拒否されるのを恐れるように、それでも決心して告げてくる言葉を聞いて、フォルセスカは苦笑した。
 ――自分が外に出ることは、プラキア以外の誰にも告げてはいない。
 無論、レダに言うはずもなかった。
 では彼女は誰にそのことを聞いたのか――そしてこんなことを唆されたのか。
 察しはつくというものだった。

「……あいつだな」

 ああ見えて、プラキアはレダのことを我が子のように可愛がっている。まだ大した力も持たぬ彼女を、今状況も分からず危険なブラフト・ダーンになど、決して出したりはしないだろう。
 ではプラキア以外の者に、ということになるが、ヴァーグラフが動いていることからしても、犯人は明白だ。

「レネスティアにも困ったものだな。誘惑することに関しては、本当に悪魔の所業だと思わされる」

 冗談めかして苦笑するフォルセスカへと、レダはおずおずと近づいてきた。

「……迷惑ですか?」
「これはまたストレートに聞いてくれるものだ。……ふむ、そうだな。迷惑といえば、確かに迷惑だが」

 フォルセスカの言葉に、目に見えて肩を落とすレダ。

「…………」

 そう言われることは覚悟の上だったのだろうが、それでもショックだったのだろう。レダは唇を噛み締めて、俯いてしまう。
 ――それでも、諦めずに。

「私――絶対に役に立ちます! だから……連れていって下さい……!」

 必死の懇願に、フォルセスカは嘆息した。

「役に立つと言うが、お前は俺が出かけた理由を知っているのか?」
「それは……」

 口篭るレダ。
 彼が一人でブラフト・ダーンへと向かう理由――それは、知らない。
 しかし只事でないことだけは、彼女なりに分かってはいた。だから、決して興味本位で共をさせて欲しいと言っているわけではない……。

「ブラフト・ダーンは今危険でな。正直一人の方が動きやすいし、気も楽だ。是非お帰り願いたいところではあるが……」

 そこまで言って、フォルセスカは困った困ったと天を仰ぐ。

「一生プラキア殿の侍女としているのならば不要だが、お前は強くなりたいという。それならば、随伴も後学のためにはいいかもしれん……と思ったりもする」
「……え?」
「だがなあ。お前はプラキア殿のお気に入りだからな。危険な目にあわす程度ならばともかく、万が一のことがあったら申し訳がたたん。とはいえお前をけしかけたのがあいつである以上、ここであいつの意思を無視すると、後で何を言われるやら……」

 ううむ、とうなるフォルセスカを、しばしぽかんとレダは見つめた。
 ……何やら本気で悩み困っているらしい。
 そんな彼をしばらく見つめていたレダであったが、フォルセスカが悩んでいる理由を冷静に考えてみると、何やら不愉快になってきた。
 だって……。

「……フォルセスカ様?」
「ん? 何だ?」
「私の気持ちはどうなるんですか?」

 そう。彼が困っているのは、様々な要因のせい。しかし聞いていると、彼自身の気持ちの他に、プラキアへの気遣いやらあの得体の知れない少女のことやら――一番最初に気にしているところが、何だか別のところばかりで口惜しく、何とも不愉快だった。
 それはそれで、まだ小娘に過ぎない自分の我侭であることなど分かっていたけど。
 だからといって、自尊心が無いわけではないのだ。

「フォルセスカ様が気にしてらっしゃるのは、みんな他のひとのことばかり……。私のことなんだから、私の気持ちを一番に考えて下さったっていいのに」
「ふむ……」

 そんなことを言うレダを、フォルセスカはまじまじと見返した。
 少し、感心するように。

「お前は……俺とは違うな」
「え? 何が……ですか?」

 突然そんなことを言われて、戸惑ったようにレダは目をぱちくりさせる。
 答えようとして、結局彼はやめた。
 ここで言ったところで、どうというものでもないだろう。

「いやいや。何でもないさ」

 ぽんぽんとレダの頭を軽く叩きながら、彼ははぐらかした。
 その上で、改めて思う。
 この少女は自分なんかよりも、ずっと誇り高い。そんなことはずっと昔から分かっていたことではあったが、なるほど大したものだと。
 あまり器用な生き方はできそうもなさそうだが……しかし彼が羨むところとて、確かにあるのだ。
 自分はいかにレネスティアとの約束を果たすか――そのためにはそれ以外の意地など邪魔なだけ。この先逃げることもあれば、卑怯なこともするだろう。
 レダのような生き方は、できない。

(――ああ)

 そこで、何となく思い至った。
 レダをけしかけ、また目をつけているレネスティアの思惑が。
 あれは、期待しているのだろう。
 フォルセスカ自身にはできず、また持ち得ない部分を、レダという少女によって埋め補えるであろうと。
 幸か不幸か、彼女もまた魅入られてしまったのだろう。
 あの、悪魔に。

「……難儀なものだな。生きるということは、誰もがそうなのかもしれんが」

 小さくつぶやくと、フォルセスカはいったんレダから離れ、控えて動かぬヴァーグラフの元へと歩み寄った。

「そろそろお前はあいつのとこに帰れ。どうせ、片道だけなんだろうからな」

 フォルセスカの言葉に、ヴァーグラフは彼に一度頭を摺り寄せ、そしてレダの方を一瞥すると、森の闇へと飛び込んでいく。
 今までとは微妙に違うヴァーグラフの様子に、何となくレダの努力が見えるような気がして、満足する。
 どうやら遊んでいただけの甲斐は、あったらしい。

「さて……」

 二人になったところで、フォルセスカは振り返った。

「まあ何だ。お前にはこれから大いに苦労をかけるような気がするからな……。報いたいところだが、後には無理だろう」

 ならば今のうちに、聞けるだけ彼女の意志を叶えよう。
 そう思えば、少しは気も楽になるというもの。

「えっと……それって……?」
「今は俺がレダの役に立ってみせようと、つまりはそういうことだ」

 そう言われて、顔をしかめるレダ。

「違います……! 私がフォルセスカ様の役に立つんです!」

 矜持が傷つけられたとでも思ったのか、怒って訂正するレダを見て、フォルセスカは笑った。

「はっはっは。そうだったな。これは失敬失敬」
「誠意が感じられないです」
「むう……これは手厳しい。俺なんかより、お前の方がずっと主とかの気質を持ってるよなあ。羨ましい限りだ」

 冗談めかして言うと、ぷんぷん怒っていたレダの顔が、赤くなる。

「な、何言ってるんですか! 私なんかがそんなこと――……」
「おやおや。急にしぼんでしまったな。それはそれで可愛いが、やはりお前は偉そうにふんぞり返っている方が似合っているぞ?」
「ふんぞり返ってなんかいませんっ!!」

 からかわれて、レダは大音声で否定した。
 ……少々騒がしくとも賑やかともなった道中。
 それもまあ悪くないと、それなりに満足するフォルセスカだった。


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