第28話 ブラフト・ダーン陥落

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 あれ、を手中に得てより十一年。
 自分には子はいるものの、それとはまた別のところで、あれを育ててきた。
 姿形は、それこそ人と何ら変わりない。ただの、人間の少女。
 ―――そう見えるというのに。
 しかし明らかに、本質は違う。
 違う、のだ。
 それは自らの手で育て、見つめてきたことで、否応無くそう思わされている。
 あれは、ひとではない、と。

「では、行くが」

 もう他に何か用はないかと、アルゼス・ラルティーヌは扉の前で振り返る。
 パルティーン寺院を預かる大司教にして、またアトラ・ハシースの実質上の統率者でもある彼へと、向けられるべき敬意と返事は無かった。
 薄暗い部屋。
 蝋燭のゆらめきがかろうじて室内を照らしているものの、圧倒的に闇の方が優勢のようだった。
 それはまるで、部屋の中の少女に応えるがように……。
 部屋の中で、動かずにじっと座っている少女。
 蝋燭の明かりなど知らぬように、闇に溶け込んでいて。
 イリス・ゼフィリアード。
 このパルティーン寺院の奥深く、幾重もの扉に閉ざされた先の部屋に、その少女は在る。
 今の所、この少女と会うことができるのは、彼だけであった。これまで噂はあっても、その姿を見た者はいなかった。
 だが半年前、少女は初めて人の目に触れた。
 ブラフト・ダーン異端裁定。
 クリセニア侯爵領へと攻め寄せた際、従軍し、初めて刃を振るった。
 いったいどれほどの力を発揮するのか、誰にも―――アルゼスにすら、はっきりとは見通せてはいなかった。
 その結果は、予想以上のもので。
 彼女と戦場を同じくした者の証言から、イリスの尋常ならぬ力のほどが明らかになった。
 誰も彼女を止められず―――クリセニア候ですら、その刃の前で倒れて。
 いや。
 止めた者がいなかったわけではない。
 ただ一人、彼女を阻んだ者がいた。
 フォルセスカ・ゼフィリアード。
 イリスはその者を前にして、結果的に敵前から退いた。
 それから、彼女の様子が変わった。
 それはずっとイリスのことを見ていたアルゼスだからこそ分かった、微々たるものではあったが……明らかにイリスは機嫌を損ねていた。
 ほとんど感情の起伏を見せない彼女にしてみれば、とても珍しいことである。今まで、笑ったり怒ったりをしたことがなかっただけに。
 ともあれイリスはこの十一年の中で、もっとも感情らしいものを見せている。
 しかし……。
 その状況を、決して好ましいものではないと、アルゼスは考えていた。
 彼女の尋常ならざる力。
 今のところ、イリスは何の疑いもなく―――そうすることが当然のように、アルゼスに従って生きている。
 それは刷り込みのような力が働いてのことだろうが、そんなものなどひどく薄っぺらいもののような気がしてならない。ちょっとしたきっかけで、簡単に壊れてしまいそうな……。
 イリスは期待以上の働きをしている。
 しかしその為に外へと出すことは、危険な気がしてならない。今までになかった外界からの刺激が、彼女を容易に変えてしまいそうで……。
 何よりその刺激が―――あの男、フォルセスカならば……。

「…………」

 何も応えぬイリスに背を向け、部屋を出ようとしたアルゼスへと。

「……誰なの」

 呼び止める、イリスの声。
 それは独白に限りなく近かったが、彼を留めるには充分だった。

「何のことだ?」

 応えるアルゼスへと、イリスは瞳を向ける。
 真紅の、瞳。
 この十一年、変わることのない色彩は、ただただ危険だった。
 叶うならば、見られるべきではないもの……。
 そんな彼の心境など知らずに、イリスは答える。

「あの、ひと。わたしより強かった、あのひと……フォルセスカ。誰なの?」

 今イリスが想うことは、その男のことだけ。
 自分を敗退させた相手。
 何が何だか分からない相手。
 どうしてこんなに気になるのかすら分からなくて、不愉快で仕方無い相手……。

「アルゼスは、あのひとのことを知ってる。あのひとは、貴方のことを知っていたから……。誰なの?」

 イリスとフォルセスカ。
 その関係を知っているのは、この寺院では彼だけだ。
 だが誰にも言うつもりは無かった。――無論、イリスにさえ。

「フォルセスカは、昔の知り合いだ。だが裏切り、異端として敵となった。それ以上のことは知らない」

 アルゼスはそうとだけ言って、部屋を後にする。
 彼女は何も言わなかった。


 部屋を出てから、まるで逃れるように這い出てきた気がして、アルゼスは苦笑する。
 恐れ、があったのだろう。
 あの少女自身にか、フォルセスカとイリスの関係にか……それは分からないが。
 誰も近寄らぬ廊下を抜けると、そこには一人の男が控えていた。
 まだ若い青年。司祭の格好をしている、見覚えのある相手だった。

「やはり、こちらにいらっしゃいましたか」

 アルゼスの姿を認めて、青年は静かに口を開く。

「私に何か用か?」
「はい。ベルヌーク司教より、火急の伝言にてございます」
「司教から? 申してみよ」

 特に思い当たることもないので、アルゼスは先を促した。

「ブラフト・ダーンが落ちました」
「……なに?」

 最初、この青年が何を言っているのか分からなかった。
 ブラフト・ダーンが落ちた? いったい何のことだ?

「どういうことだ?」

 戸惑いを隠せないアルゼスへと、青年は対照的に落ち着いた様子で、慇懃に報告する。

「昨夜のことです。夜半、奇襲を受けました。相手の正体は依然不明ですが、城主代理を務めておりました、ケルン司教を含め、十一名の聖職者は殉死。また城内に残留していた二百の治安維持のための僧兵も、ほぼ全滅しました」
「なんだと!?」

 さすがにアルゼスも声を上げた。
 ブラフト・ダーンは、半年前までクリセニア候ロノスティカ・ラウンデンバークの居城だった。
 しかし発動された異端裁定により、城主であるロノスティカは死亡。その一族の一部は逃れたものの、クリセニア領は僧会の統治下になった。
 もっともそれは一時的なものであり、王室から新たな城主が派遣されるまでの間、僧会が暫定統治しているに過ぎない。その任にあたっては、異端裁定に功のあったナプティカルド・ベルヌークに一任されていた。
 城主代理を任されていたケルン司教は、ベルヌークの身内である。

「馬鹿な……。いったい何があったというのだ?」

 ブラフト・ダーンに残した兵は少ない。
 しかし異端の中核は先の戦で打ち破っており、彼らにとって深刻な被害を与えることに成功した。
 ラウンデンバーク家の残党は、ゼルディアへと逃げ込んだという。ゼルディアは今や無法地帯と化した地域であり、僧会の力も及びにくい。しかし異端の巣窟ということもあって、その方面への監視は怠ってはいなかった。
 ブラフト・ダーンを攻撃するだけの戦力の動きがあれば、気づかないはずはない。
 第一、現在の異端者どもにそれだけの力があるはずもない。まだ異端裁定から半年。立ち直るには早すぎる。

「ゼルディア方面に動きはありません。そのため相手が何者であるのか、今のところ、全くの不明です」
「反乱ではないのか」
「クリセニアの領民が参加しているとの情報はきていません。恐らく、全く別の勢力によるものではないかと」
「…………」

 アルゼスは眉をひそめて、考え込んだ。
 暫定とはいえ、今やクリセニアを治めているのは僧会である。そのことを知らぬ者はいない。
 そして僧会に刃向かえば異端とみなされてしまうことも、誰もが知っていることだ。それを承知で刃を向け、更に聖職者を殺すことまでするとなると……。

「やはり、相手は異端の者か」
「確証はありませんが、恐らく」
「しかし情報が少ない。情報を集めると共に、ただちに対応を練らねばならん。ベルヌーク司教は?」
「ベルヌーク司教ならば、すでに主だった方々を集められております。あとは猊下をお待ちするのみかと」
「よろしい。では行こう」

 さすがにクリセニアを任されただけあって、ベルヌークの対応は早い。今最も詳しい情報を持っているのも、彼だろう。
 アルゼスはそのまま行きかけて、足を止める。
 そしてこの場に来た司祭の顔を、改めて見返した。

「君は……コレリア神父か? ベルヌーク司教の元にいる」

 ようやく相手が誰であったかを思い出して、尋ねてみる。

「はい。ディアン・コレリアと申します、猊下。お見知りおき下さるとは、光栄です」
「やはりそうか。前回の異端裁定においては、見事な指揮をとったと聞いている」
「恐縮です」

 慇懃ながらどこか堂々とした態度――ただの司祭ではないと思っていたが、それは間違っていないようだった。
 ディアンとは一度、僅かではあったが話している。
 彼のことは、ブラフト・ダーン異端裁定において先鋒を務めたことと、戦場にてイリスを任された者として、アルゼスは記憶していた。
 特に、イリスを傍にしながら全く恐れを抱いた様子をみせていなかったことに、少なからず感心したのだ。
 誰もが――敵はもちろん味方までもが、イリスの力を前に恐れを抱いたというのに、最も近くにいたディアンは、平然としていたのである。
 半年ぶりにそのことを思い出しながら、改めてアルゼスは歩き出した。


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