第26話 ある条件

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 ゼル・ゼデス城のすぐ外に、大きな湖沼がある。その一部が不自然に抉れてはいたが、今では静かな雰囲気をたたえた場所だ。
 その近くまでやってきていたレダ・エルネレイスは、何かを捜すようにきょろきょろと周囲を見渡しながら歩いていた。
 ブラフト・ダーン異端裁定より数週間。一旦レ・ネルシスまで退き、そこからゼル・ゼデスへと、フォルセスカの案内によって一同は無事に辿り着くことができたのである。
 その後の僧会軍の動きも無く、ひとまずは安全を確保できたのだった。
 ゼル・ゼデスは自然の要害に囲まれた進むに難しい場所ではあるが、ほとんど退路が無い絶地である。現在の寡兵では、大軍を前に決して安全ではなく、予断を許さない状況であることには違いなかった。
 彼女は湖沼の周りを歩きながら、ふと足を止める。
 視界に入ったのは、黒い大きな毛玉。

「う……」

 思わず、レダは困った顔になってそんな声を上げてしまう。
 その黒い毛玉の正体は、すぐにも分かった。このゼル・ゼデスに住み着いていた、黒い魔獣―――名をヴァーグラフという。
 誰にも懐かないその獣は、こちらに実害を与えることこそなかったものの、レダにとっては怖くて苦手な相手だった。
 気づかれないように迂回して回ろうと思ったレダだったが、その黒い毛玉の中に新たな人影を見つけて、更に表情を曇らせる。

「フォルセスカ様のばか……」

 主であるプラキアに聞かれたら、どんな仕置きをされるか分からないような言葉を洩らしつつ、う~とその場で考え込んだ。
 湖沼の辺で横になったヴァーグラフに身体を預け、横になっている人物こそ彼女の捜している人物だったのである。
 ゼル・ゼデスの中ででも、かの魔獣を従わせることのできたのはプラキア・ラウンデンバークと、そしてその青年だけだった。
 その青年ことフォルセスカは、ヴァーグラフを毛布代わりにして昼寝を決め込んでいるらしい。彼だけならばどうとでもなるのだが、近くにあの獣がいると……非常に近寄りにくい。
 とは言えフォルセスカを捜していた以上、行かないわけにもいかず……彼が近くにいるのだから、ヴァーグラフもいきなり襲ってきたりはしないだろうと判断して、レダは意を決することにした。
 少し近づいたところで早速気づかれたらしく、ヴァーグラフはのっそりと首を起こし、彼女へと何気なく視線を送ってくる。たったそれだけだというのに、猛獣にでも睨まれたかのような気分になって、どっと汗が吹き出てきてしまう。
 情けないとは思うのだが……怖いものは怖いのだ。どうしようもない。

「こら、動くな。ずり落ちる」

 黒い毛の中から洩れた声に、ヴァーグラフはつまらなさそうにレダから視線を外し、今まで通りうずくまってしまった。
 全身に堪える視線が無くなったのを機に、レダは慌てて青年に近寄って声をかけた。

「フォルセスカ様!」
「ん……レダか。俺に何か用かな」

 彼は気持ち良さそうに目を閉じたまま、そんな風に口を開く。
 もうどうしようも無く飄々とした雰囲気が漂ってくる青年ではあるが、実はれっきとした異端の王――魔王だったりする。
 今まで異端の盟主であったプラキアが全面的にそれを認め、臣下の礼をとったことで、異端の誰もがそのことを知ることとなったのだ。

「その……お話があるんです」

 緊張して、レダはそう告げる。
 そうなってしまうのは、すぐ傍に大きな魔獣がいたことと、自分の決心を話すという二つのせいだ。ヴァーグラフのことは、まあ予想外であったが。

「仕事はいいのか?」
「あ、はい……。プラキア様にはちゃんと言ってきましたから」

 彼女はプラキアの侍女であり、その身の回りのことを仕事として受け持っていたが、プラキアの計らいでそれなりの自由時間をもらっていた。今回フォルセスカの所にやってきたのも、そんな暇の合間を利用してのことだった。

「ふむ……。しかし改まってどうした?」

 レダのいつもとは違う様子に気づいたのか、フォルセスカは目を開けて身を起こし、彼女へと視線を向ける。
 若々しいその姿は、かつて助けてもらったその時より、全くと言っていいほど変化していない。

「あの……私、ブラフト・ダーンでは何もできなくて……」
「お前が気にすることじゃないだろう?」

 まだ記憶に新しい異端裁定のことを、この少女がずいぶん気にかけていることは、フォルセスカにも分かってはいた。
 城内残ったそのほとんどが討たれ、また城主であるロノスティカが死んだあの戦いは、あまりに犠牲が多かったといえるだろう。しかし、それでも一部の者はこうやってゼル・ゼデスまで逃れることができたことは、不幸中の幸いだと言っていい。

「でも……っ。私だって戦えたら、人間なんかを前に、逃げたりしなかったのに……」
「気にするなと言っているだろ。俺だって、結局は連中から逃げ出してここまで来たんだからな。お前みたいな非力な者までが責任を感じたら、俺は首でもくくらにゃならんくなる」

 そいつは勘弁して欲しいなあと、フォルセスカは言う。

「けど非力じゃ嫌なの……。きっと、また同じようなことが起きる……その時に、役に立たないなんて! だから、だから……私に、戦い方を教えて欲しいんです……」
「ふうむ……」

 レダの願いに、フォルセスカは視線を虚空に向けて、再びヴァーグラフに身体をうずめる。
 彼女の言いたいことは分からないわけでもない。元々人間のことを嫌っているレダは、今回人間に異端裁定という形で手酷くやられ、恐らく今まで以上に人間のことを憎んでいるはず。
 しかしそうであるにも関わらず、何もできずにただ逃げることしかできなかった現実――全てに己が非力であると自覚しているからこそ、余計に自分を責めるのだろう。
 その気持ちは良く分かるのだが……さりとてフォルセスカにしてみれば、あまり乗り気になれるような話では無かった。

「俺の正直な気持ちを言わせてもらうとだな。あまりお前に戦って欲しいとは思わんのだが」
「どうして……ですか? 私なんか、少しも強くはなれないから……?」

 少なからずショックを受けたようで、レダは声を震わせる。
 すぐに、フォルセスカは首を横に振った。
「いやいやそういうわけじゃあない。お前なら、磨けばきっといい玉になるだろうさ。才もあるような気がする」
「じゃあどうして……?」
「どうしてって、そりゃあ決まってるだろ? 俺はお前に、あまり危険なことはさせたくないんだよ。別に大人しくしていろっていうわけじゃない。ただ、な……」
 どこか歯切れも悪く、フォルセスカは口篭る。
 ただ――何だろう。
 どうしてこの少女を、そんなに心配してしまうのか……。

「……フォルセスカ様」

 言葉を濁すフォルセスカへと、レダはほんの僅か表情を緩めて言う。

「私なんかを心配してくれて、嬉しいです……。でも、みんなの役に立てる方がもっと嬉しいし、守られてばかりいる自分はとても情けないの。自分に力が無くて、こんなことを言うのは我侭だってことはわかってます……。けど、どうしても強くなりたいんです。だから……だから」

 すがるような瞳を、ヴァーグラフのふさふさの毛で隠していたフォルセスカだったが、それでもどうしても伝わってきてしまう……彼女の意思。

「まったくなあ……。さては俺がお人好しなのを知っていて、そういう困ったことを言ってくれているな?」
「そ、そんなこと……」

 冗談めかして言うフォルセスカではあったが、そんなことはないと、レダははっきりと否定することはできなかった。
 誰もよりも先にフォルセスカに頼みに行ったこと――それは単に彼が強いからという理由だけではなくて。彼ならばきっと大丈夫という確信めいた想いがあったのも、ここにいる誰よりもフォルセスカのことを知っているという自負があったからなのかもしれない。

「ま……お前がいつまでも黙っているとは思ってなかったが」

 苦笑じみた声音で、フォルセスカはつぶやく。

「仕方がない、か……。どうせ嫌だと言っても、結局お前なら無茶しかねんからな。どうせならば弱いよりも強い方がいい」
「え……それじゃあ……?」

 ぱっと瞳を輝かせたレダへと、そうは簡単にいかないぜと、彼は芝居がかった仕草で人差し指をたてて左右に振ってみせる。

「俺が教えてやるのは、お前がもう少し強くなってからだな。まずはプラキア殿に学ぶといい。お前は人間じゃあないが、俺は元人間でね。どうしても昔の癖が抜け切れていない。やはり基本に関しては、同じ同胞から学んだ方がいいだろう」
「で、でも……プラキア様、そんなこと許して下さるかどうか……」

 不安そうに俯くレダを見て、フォルセスカは大袈裟に笑ってみせた。

「俺に頼むのは平気で、プラキア殿に頼むのは不安なのか。やはりこれも、威厳の違いかねえ」
「え? そ、そんなことないです……っ」

 思わず慌て始めるレダへと、彼は泣き真似など交えながら先を続ける。

「どうだかなあ。どうせ俺なんか、所詮はどこの馬の骨ともわからない輩だからな。お前にすら軽く見られてるってわけかあ……。こんなんで魔王をやってる俺なんぞ、まるで道化のようで哀しいなあ……」
「フ、フォルセスカ様ぁ……」

 自虐的につぶやくフォルセスカへと、レダは心底困ったような顔になって、あたふたと全身で慌ててみせてくれた。
 そんな様子が気に入ったのか、彼は冗談だ冗談と言って、いつものようにぽんぽんと頭を軽く叩き、撫でてくれる。

「まあプラキア殿には俺から言っておいて差し上げよう。精進することだな」
「は、はい……。その、ありがとうございます……!」
「まあそう喜ぶな。俺が照れてしまうだろ」

 フォルセスカがそう答えたところで、むくりとその背にいたヴァーグラフが身じろぎし、レダは思わず息を呑み込んでしまう。
 今までフォルセスカ相手に夢中になっていたため、つい失念していたが、すぐ近くにはこんな物騒な獣がいたのだ。

「ふむ……レダ、まだヴァーグラフが苦手か」
「…………はい」

 思わず身体を震わせてしまった自分の咄嗟の反応を恥じるように、少々俯きながらも彼女はこくりと頷く。

「それはいけないな。魔獣とはいえこれを怖がっているようじゃ、大したものにはなれないぜ」
「でも……」
「でも、じゃないな。そうだな……まずはヴァーグラフを手懐けてみろ。こいつがお前に膝を屈するようになったら、本当にお前には見込みがあるってことだ。そうすることができたら、今度はプラキアに師事できるよう言ってやる」
「そんな……」

 突然の条件に、レダは恐る恐るヴァーグラフの方を見て、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 この魔獣をその意のままにできるのは、彼女の知る限りフォルセスカとプラキアだけだ。自分みたいな非力な存在の言うことなど、どんな魔獣が聞いてくれるというのだろうか。

「私、そんな無茶なこと……」
「何も力づくで従わせろっていうわけじゃない」

 言いながら、彼はヴァーグラフの毛並みを撫でてやる。

「こいつもただのケダモノってわけでもないからな。誠心誠意尽くしてやれば、いずれ応えてくれるだろうさ」

 気楽にそう言うフォルセスカではあったが、レダはというと、不安で仕方無かったというのが正直なところの心境であった。
 こちらを見向きもせずにいるヴァーグラフ。
 とても従わせることなどできないような気もするが、しかし彼の言うことももっともだった。いきなりの高い壁ではあるが、それでもこの程度を乗り越えられないようでは、確かにこの先前に進むことなどできはしない。
 無茶でもなんでも、やらなければならない――もしできないのならば、自分はそれまでだということ。役に立つことなど、できるわけもない……。

「私……やります。だから、見ていて下さい」
「よし。いい返事だ」

 レダの答えに、フォルセスカは心底満足そうに頷いたのだった。


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