第24話 アルティージェ①

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 空はどんよりとして、今にも雨が降り出しそうだった。
 地面はぬかるんでいる。それは、ほんのさっきまで雨が降っていた証。
 どうせまたすぐに降り出すのは分かっていたけれど、少女は構わずに外を歩いていた。
 それは、別に自分の意思というわけでもなくて。

「まったく……あなたったらいつまでたっても子供なんだから」

 涼やかな少女の声に、彼女の少し先を駆け巡っていた小さな毛玉はいったん振り返り、また走り出す。
 元々真っ黒な身体ではあるが、すでにその大部分は泥だらけだ。もちろん、元気に走り回った結果である。
 嬉しそうにくるくると駆け巡る黒い毛玉の後を、少女はゆっくりとした足取りでついていく。
 どんなに走り回っても、その黒い毛玉は少女から一定以上離れようとはしない。それは幼い姿ながらに、忠実に自分の立場をわきまえていた。
 そのことを彼女も分かっているからか、自分のペースを崩さぬまま、散歩に付き合っている。
 散歩。
 そう。こんなじめじめした森の中を歩くのは、この毛玉に付き合ってあげるため。
 雨が止んだのを見計らったようにねだってきたこの子に、少女は気紛れで付き合ってあげていた。
 ただ、それだけ。
 いつもの散歩コースを回って、いつも通り城へと戻る。
 それまでに雨が再び降り出さなければ、それに越したことはないと、その程度の気持ちでいた。
 しかし、その足がふと止まる。

「…………?」

 妙な違和感。
 いつもと違う雰囲気。
 そんなものに気づいて、足を止めた。
 動かなくなった主に気づいて、黒い毛玉が慌てて戻ってくる。
 足元で止まり、そして不思議そうに見上げた。

「……あなたは感じない?」

 足元を見下ろしながら、少女は試しに尋ねてみる。

「血の臭い、かしら」

 客人とは珍しい。
 別に捨て置いても良かったのだけど、なぜかその時は興味を惹かれた。

「お行きなさい」

 軽く促すと、足元に控えていた黒い毛玉は、元気良く駆け出していく。
 さて、何を拾ってくるか……。
 少女は微笑んで、帰りを待った。


 響くのは、雨の音。
 その雨は、あの日から変わらぬまま降り続いているのではないかと、ついそんなことを考えてしまう。

「…………」

 耳障りなその音と胸への圧迫感に耐えかねて、青年は身じろぎした。

「おどき。起こしてしまうわ」

 そんな声がしたかと思ったら、胸にかかっていた重さが幻のように消えてしまう。
 残ったのは、やはり雨の音だけ。
 このまま再び眠りに落ちそうになったところで、彼は強引に溶けゆく意識を引き戻す。

「く……」

 目覚めないといけない。
 理由も無くそう思う一点が、彼に瞼を開かせる。

「あら」

 声は、少し驚いたようにも聞こえた。

「起こしてしまったじゃない……あなたのせいよ」

 そんな声のする方向を、信じられないくらい重い身体に全霊の力を込めて向く。
 彼の目に映ったのは、胸に抱き寄せた黒い毛玉に向かって話している、一人の少女だった。
 黒いドレスを身に纏った、少女。
 ただその肌だけが白磁のように白く、そのコントラストが少女を引き立てている。
 歳の頃は十四、五といったところだろうか。その緩んだ表情には、幼さが充分に残っていた。

「だれ、だ……?」
「まだ眠っていても良かったのに」

 くす、と少女は笑って、視線を低くする。
 彼が横になっているベッドの横にある椅子に、彼女は優雅に腰掛けたようだった。

「だれだと……」
「あなたを助けた者よ。いえ、拾ったと言うべきかしら」

 あっさりと、そんなことを言う。

「拾った……?」
「そうよ。覚えていない?」

 抱いた毛玉――黒い毛並みの犬のようなものを撫でながら、少女は小首を傾げてみせる。

「あなたはここまで辿り着いた。雨でほとんど流れていたけど、血に塗れていたわ。その臭いにひかれてこの子が見つけたの」

 感謝なさい、と少女は黒い子犬のようなものを視線で指して言った。

「そう……か。ずっと雨が降っていて……」

 そこで、今更のように思い出す。
 乱戦の中、結局死ぬことができずに彷徨った挙句、ここまで来たのだ。
 力尽きて、それでも死ぬことができなかったということか。

「そうね。あなた、とても死にたそうな顔をしていたわ」

 まるで心を読まれたかのような気がして、彼は少女を見返す。彼女は気にした風も無く、更に言った。

「今もよ?」
「…………」

 否定する気にはなれない。恐らく、まさにその通りなのだろうから。

「……なぜ、助けた?」
「なぜ? ……そうね、なぜかしら」

 青年の問いに、考え込む素振りをみせる少女。

「今でこそ助けただけの代償は払ってもらうつもりだけど、その時にそんな打算をしたわけでもないし。それにあなたが魔族だからってわけでもないのよ。あなた、わたしに縁の者でも無さそうだから」

 さらりと、少女は青年の正体を看破してみせた。
 人間でないと――異端の者と分かっていながら助けたということか。

「難しい質問ね。どうしても答えなければ駄目?」
「いや……いい。構わない」

 少女に何か隠し事をしているような様子は無かった。考えて、ごく純粋に自分でもその理由が分からないらしい。

「ふうん……そう。まあいいわ。それらしい理由が見つかったら、教えてあげる」
「…………」

 そんな風に言う少女を、彼は改めて見返した。
 そして今更のように思う。何者だこの少女は、と。
 その態度、喋り方を聞いているだけでも、まるで臆するところが感じられず、超然とした印象を受ける。こういう感覚を、彼は知っていた。支配者の持つ貫禄だ。
 どうやらただの小娘では無いらしい。自分とは、器が違う。
 そうと分かった瞬間に、彼は無理をして身を起こすと、痛む身体を何とか動かして、頭を下げた。
 ベッドの上ではあったが、出来る限りの礼を尽くして。

「私はブライゼンと申す。ドゥーク・ロー・ブライゼン。よろしければ、貴女の名を窺いたい」

 そんな彼の態度に、少女は感心したように微笑んだ。

「大したものね。あなたほど身の程をわきまえた者も、珍しいわ」

 ブライゼンの一礼を当然のように受け入れて、少女は鷹揚に言った。

「ご褒美に教えてあげるわ。わたしの名前はアルティージェ・ディーネスカ。覚えておくのね」
「ディーネスカ……?」

 少女が名乗った名前には、どこか引っ掛かるものがあった。
 どこかで――聞いたことのあるような名前。

「アルティージェと呼ぶのよ、ドゥーク」

 怪訝な顔になるブライゼンへと微笑んで、アルティージェはそう言った。


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