第23話 ブラフト・ダーン異端裁定③

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 その名に、黒い服の少女は反応した。
 信じられないくらいに明確に。

(……名は残しておいてくれたというわけか)

 あの夜、赤子を奪った少女の顔を思い出しながら、皮肉げにフォルセスカは思った。
 しかし経緯はどうあれ、かつて自分のつけた名に振り向いてくれたことは、やはり嬉しかったのかもしれない。
 そのせいか、先ほどまで厳しかった彼の表情も、どこか緩んでいた。

「誰……? わたしの名前を呼んだのは」

 簡単に一人の騎士を血祭りに上げて、少女――イリスはつぶやくように口を開いた。
 周りに散らばっているのは、無数の屍。恐らくそのほとんどを、彼女がやったのだろう。
 まだ生き残っていた者は、敵味方を問わず皆驚いたようにこちらを見ている。――いや、イリスを、だろうか。
 それほどまでにイリスのとった行動――そして見せたその表情が、珍しかったのかもしれない。
 彼女はじっと、こちらを見つめてきていた。
 長く伸びた濃い金髪は見覚えがあるものだ。そして、レネスティアと同じ、真紅の瞳。

(大きくなったものだ……)

 まじまじと見つめて、フォルセスカはごく純粋にそう思った。
 あれから十年。
 イリスの年頃は、丁度それくらいに見える。人と同じように成長したのだろうか。

「俺はフォルセスカという。貴公が、噂に名高い死神かな?」
「フォルセスカ……?」

 どこかぼうっとして、イリスはその名をつぶやく。
 なんだろう、と彼女は不思議な気分に頭を傾げる思いだった。
 この青年とは昨日、城内の大広間で会っている。会ったといっても、ただそこに居合わせただけであったが、思い出してみれば確かにそんな記憶は残っている。
 あの時は、何も思わなかった。
 けれど今こうやって見てみると、何かこう不思議な感じがするのだ。
 それが懐かしいという想いであることは、彼女には分からなかったが。

「……貴方は、何?」

 イリスは小首を傾げた。
 どうやらこの青年、人間ではないらしい。かと言ってクリセニア侯爵のように魔族かというと、少し違う気がする。もっとこう……安定している気がするのだ。
 自分の認識力をもってしても、相手が何者であるのか分からない。

「さて……何者だろうな」
「…………」

 青年のそんな問いに、イリスは顔をしかめた。
 こんな変な感じに、青年の正体――分からないというものに出会った瞬間に、彼女は訳も分からず不愉快になる自分を感じた。
 それはごく簡単に、殺意へと転換してしまう。

「――おっと!」

 ほとんど衝動的に地面を蹴り、フォルセスカへと襲い掛かった彼女の一撃は、しかしあっさりと受け止められてしまう。

「…………!?」

 あまりに自然に受け止められたことに、イリスは驚きを隠せなかった。
 こんなこと、経験にない。魔族であるロノスティカですら、まともに受けることなどできなかったのだ。
 それをこの青年は――こうも簡単に。

「大したものだが……真っ直ぐすぎるな!」
「――――」

 宙に押し戻されたイリスは、驚愕の表情のまま大きく後ろへと退がった。

「……何なの?」

 不思議なものでも見るような視線に、フォルセスカは笑ってみせる。

「何なのって言われてもなあ……。まあ、あれだな。お嬢ちゃんが死神なら、さしずめ俺は魔王ってとこか」
「魔王……?」
「ああ。正直、名前負けしているような気もしないではないが」
「……不思議。見たこと、ない。貴方みたいな存在……」
「――ならば覚えておくことだ」

 どこか飄々とした雰囲気を払拭して、フォルセスカは言った。

「お前が本当に死神ならば、まず俺の死神になってみせろ。俺を殺してみせろ。……できるのならば、だが」

 挑発だと、イリスは思った。
 そうと判断していたけれど、不愉快になる。

「殺す……よ。貴方はよくわからないし……変な気分にさせる。そんな存在、認めていたくない」
「ならばやってみせるがいいさ」

 その言葉を合図にしたように。
 二人は、激突した。


 フォルセスカとイリス。
 二人の戦いはほとんど常軌を逸していた。
 敵も味方も、唖然としてそれを見つめ、動くことができず。

「――はあっ!」

 烈風のような一撃に、イリスは力負けして後ろへと吹き飛ぶ。彼女はごろごろと地面を転がったが、即座に起き上がり、武器を持たない左手を地面を薙ぐようにして振るった。
 突如起こった猛火は、充分に高等咒法と呼べるものだった。精神制御をした素振りも無く、一瞬で生み出すなどまともな咒法士にはできない。

「まこと……大したものだ、が!」

 ゴオッ、と音がして、炎はフォルセスカを避けるようにして後ろへと流れていく。
 彼が地面に突き刺した剣が、炎を裂いたのだ。

「――咒法ならば、俺もかなり心得ている」

 アトラ・ハシースには秘蔵されている咒法が多いが、禁と呼ばれて封じられているもの以外ならば、そのほとんどをフォルセスカは熟知していた。
 これでも、かってはアトラ・ハシース随一の使い手だったのだから。

「…………!」

 さすがにイリスも、動きを止めた。
 このフォルセスカという青年には、まるで付け入る隙が無い。――本当に、強い。

「どうやら……お前はラルティーヌ殿に教えられたようだな」

 イリスの動きを見ていて分かったこと。全てではないが、その端々にかつての親友であった彼の、癖のようなものが見てとれる。
 もっとも顕著だったのが、咒法の制御・展開の仕方だ。イリスはそれを一瞬でやってしまっていたが、フォルセスカはその一瞬を見逃しはしなかった。全く同じ咒法でも、効果として顕現させるまでのやり方は人それぞれだ。彼女のその方法は、明らかに彼に通じるものがある。

「……アルゼスのこと、知っているの?」
「ああ。最後に迷惑かけて以来だがな……」

 いや――と、フォルセスカは思い直す。もし本当にイリスがアルゼスに育てられたのならば、この十年――ずっと迷惑をかけてきたことになる。そして、恐らくこれからも。

「しかし……そうか。あいつが育てたのか。何ていう因果だろうな」

 本当に、そう思わざるを得ない。皮肉な運命ともいえるだろうか。
 それにしても……とフォルセスカは思う。
 確かにアルゼスは強かった。その彼に教えられたイリスが強いことも分かるが、それでも彼女の力はまともではないと言わざるを得ないだろう。
 フォルセスカは先ほどから平然な顔で彼女の攻撃を受けてきたが、それは決して楽なことではなかった。現に今、軽く手が痺れてしまっている。
 それでも今のイリスが相手ならば、何とかする自信はあった。力、技、経験……どれをとっても自分の方がまだ上だ。

(もっとも……二、三年後はどうかわからんが)

 イリスがまだ成長途中ということは間違い無い。まだまだ力任せで、荒削りなのは見ていてよく分かる。
 だがそれも、今のうちだけだ。
 彼女の素質――存在力とでも言えるものは、自分とは桁違いであることは明白なこと。
 今こうして向き合っているだけでも、その存在感は嫌というほど感じることができる。レネスティアと共にいて、あの手の存在感には慣れているはずの自分ですら、時折鳥肌が立つほどなのだから。
 そんな彼女を相手にして、果たしていつまでこの身は保つのだろうか。

「――イリス」

 再び、フォルセスカはその名を呼んだ。
 自分の劣位を自覚しているせいか、彼女は僅かに身構える。

「今回は、これで退け」
「――――?」

 突然の勧告に、イリスは目を見開いた。

「今のお前ではまだ俺には勝てないな。命を奪うなど、話にもならん」
「そんな……こと」
「そんな悔しそうな顔をするのは、できないとわかっているからだろう?」

 図星であることに、イリスは返す言葉を失った。何か言葉を返せるほど、彼女は洗練されているわけでもない。

「今日のことは一生覚えていろ。この俺に会ったこと、俺の言った言葉を。お前は俺の死神になれ。他の誰でもない――この俺だけの、な」
「…………。わからない……どうしてそんなこと言うの?」
「さあてな。それを考えてくれるようになってくれれば……俺も嬉しいってね」

 フォルセスカは笑う。
 本当にそうなることを、信じるかのように。

「…………」

 イリスはしばらく沈黙していたものの、ややあってから一歩、後ろへと下がった。

「貴方は殺すよ……。いつか、きっと」
「ああ。やってみるがいいさ……」

 そう答えるフォルセスカの前から、少女はあっさりと身を翻してその場を去る。
 昨日もそうだったが、実に引き際を心得ているようだった。

「さて……どうするかな? 頼みの死神はいなくなったわけだが」

 フォルセスカの言葉に、僧会の兵達は顔を見合わせる。彼らとて決して弱くないのだが、今までイリスの力を目の当たりにしていたせいか、その彼女が離脱したことは大いに動揺を招くことになったのだ。

「あいつと一緒で、今退くなら追いはしないが?」

 彼がそう言ってから数分後には、ここを囲んでいた兵の姿は見えなくなった。とは言え一時的なことだろう。またすぐにも――戻ってくる。

「――ロノスティカ殿」

 その僅かな時間の間に、フォルセスカは地面に倒れているロノスティカへと駆け寄った。彼が引き連れてきた騎士団の、生き残った半数ほども周りへと集ってくる。

「……フォルセスカ殿か」

 血の気の引いた顔で、彼はうっすらと瞼を開けて、青年の姿を瞳に映した。
 イリスに受けた傷は、やはり致命傷だったのだろう。彼の左腕は肩から千切れかけており、もうほとんどの血を流し尽くしたような感すらある。人間ならば、とうに死んでいる重傷だ。

「さても……可愛い娘じゃの。レネちゃんに、似ている……」
「仮にもあいつの娘ですからね。だが不肖の娘ですよ」
「はっは……。親だけは、子を愚かと言うのものではないぞ……。でなければ、へそを曲げて世間ずれしてしまう……」
「すでに充分、世間ずれしている気もしますがね。今日見た限りでは」

 苦笑するフォルセスカに、ロノスティカは消えかかった光の瞳で、彼の姿を捉える。

「……苦労するの。子というものは」

 紡がれる言葉は、どんどんか細いものになっていった。

「まったく」
「はは……じゃが楽しみじゃろうて……」

 それを最後に。
 二度と、彼が口を開くことは無かった。

「…………」

 フォルセスカはロノスティカを抱きかかえると、ゆっくりと立ち上がる。

「これよりレ・ネルシスへと向かう。お前達も、来い」
「し、しかしフォルセスカ様――」
「我らはここで!」

 困惑してみせる近衛騎士達へと、フォルセスカは静かに言った。

「クリセニア侯爵は、すでに死んだ。これでブラフト・ダーンは落ちたも同義だ。これ以上の犠牲は無駄死となるぞ。犬死は無用」
「ですが……ブライゼン様は」

 南門に残っているブライゼン達は、死神の代わりにアトラ・ハシースの精鋭を相手にして、死闘を演じているのだろう。

「一応、生きることを勧めておいたが、あの性情なれば、強制はできん。どうするつもりなのか、正直俺にもわからないな。だが俺は死ねない。お前達も、生きるつもりがあるのならば、俺について来い。戦場を離脱する」

 特に命令というわけでもない。
 だが生き残った騎士達は、皆フォルセスカの言葉に従うことを決めた。

「――お供いたします」
「よし。負傷者を見捨てるな。連中が戻って来る前に、出るぞ」

 ――ブラフト・ダーンの落城。それはその数時間後のことだった。


 ぎりぎりでの脱出は、決して容易なものではなく。
 執拗な追撃の前に、付き従った兵の半数は討たれた。
 どうにかゼルディア公爵領レ・ネルシスまで辿り着いた時には、それこそ敗残兵のような様子で、誰もが傷つき、ぼろぼろの状態になっていたが、それでも生きていることには違いない。
 さすがのフォルセスカも無傷というわけにはいかず、疲労の表情を隠せずにはおれなかった。

「……感謝するぞ。汝には」

 プラキアの言葉に、フォルセスカは首を横に振る。

「大したことはしていないさ……。残ったのも、俺の勝手だったからな」

 確かに彼の都合のためということは、間違い無い。だが彼がロノスティカの最期を見取り、またあの死地から何人かの者を連れて帰ってきたことは、また事実だ。

「――我が夫が、汝を認めていたこともわかるような気がする」
「おいおい……」

 フォルセスカに近づき、膝を折ったプラキアを見て、フォルセスカは驚いたように声を上げた。
 ブラフト・ダーンの魔女とまで呼ばれ、事実上異端の盟主であった彼女が膝を屈していたのは、唯一ロノスティカだけであった。その彼女が、ここで跪こうとは。

「数年、汝を見てきた。ゼルディア公が認めたというだけでは、妾とて頷くことはできなかったが……今ならば、そうすることが遅くなったことを、詫びねばならぬじゃろう。汝を、我らが王として、まず妾が認めよう――我が君よ」
「……多分、苦労をかけるだろうが」

 そう言いながらも、フォルセスカは頷く。それを見て、プラキアは一礼した。

「ここに忠誠を。貴方こそが、魔王であらせられる」


 最終的な目的地であるゼル・ゼデスへの出発は、明朝ということになっている。まだ敗残兵が集ってくる可能性があったことと、また何よりの理由は道案内役であるフォルセスカの体力を回復させるためだった。
 一日の休養では、彼以外の者とて厳しいだろうが、それでもここでのんびりとしているわけにもいかない。レ・ネルシスは一応城塞ではあるが、それでもやはり支城の一つにすぎず、ブラフト・ダーンほどの堅固さもあるわけではないのだ。
 僧会軍がここまで来るとも思えないが、それでもできるだけ早く安全な所へ向かった方がいいのは確かだった。

「……フォルセスカ」

 一室で休むフォルセスカへと、声がかかる。別段、驚きはしなかった。こうやって突然現れるのは、いつものことだ。

「……あの子には会ったのかしら?」

 レネスティアの問いかけに、彼はああと頷く。
 かつての魔王が死んで以来、異端の者の中ではゼルディア公などと呼ばれている彼女。普段どこで何をしているのか知らないが、それでも必要だと思う時は必ず現れ、傍らにいてくれる。
 今日もまたそんな心境だったがゆえに、彼女の来訪は正直嬉しかった。

「お前に似ていたな。雰囲気も、容姿も。十年ぶりだが……すぐにわかった」
「そう……」

 それ以上、レネスティアが何かを語ることは無く。
 近づいて、そっと抱き締めてくれるだけ。
 たったそれだけで、疲れが癒されるような気がする……。
 その甘い微香の中で、彼は我知らず、口を開いていた。

「レネスティア……俺は、できるか?」

 その問いかけに。
 くすり、と洩れる微笑。

「もちろんよ……」

 その、どこまでこちらを安心させてくれる一言に。
 彼はようやく……まどろむことができた。

 フォルセスカがレネスティアとの契約を受けてより十一年。
 彼が魔王として異端の誰もがその名を知るようになったのは、西暦にして912年の秋のことであった。


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