第20話 暗殺者

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「――――!?」

 プラキアに庇われ、レダは何が起こったのか一瞬分からなかった。
 燭台から溢れた火が、突然自分に向かってきたのは覚えている。だがその刹那、プラキアがレダを抱きかかえるようにして庇ったのだ。

「…………」

 レダを自分の身体で隠しながら、左手でその炎を受けたプラキアは、冷静に相手を見ていた。
 咄嗟に張った結界のおかげで炎の直撃は免れたのだが、その威力はかざした左の掌に、火傷の跡を残している。
 とりあえず彼女達は無事であったが、プラキアと相手との直線状にいた何人かが火だるまになったまま、苦悶の声を上げて倒れていく……。
 次々に、大広間から悲鳴が上がった。

 そんな声に耳を傾ける余裕も無く、彼女は正面の相手を見据えていた。
 そこにいるのは、黒い服の少女。特に表情を変えぬまま、こちらに向けていた手を下ろす。

「プ、プラキア様……!?」
「下がっておれと、申したはずじゃぞ」

 振り返ることなく、プラキアは言う。――一時たりとも視線を逸らすことのできない相手が、今目の前にいるのだ。
 その少女は――不意に動いた。
 懐に忍ばせていた短剣を手にして。

「――――っ!」
「下がれ! 慮外者が!!」

 響いた声と刃が、まさに横槍となって少女を弾き飛ばした。
 真横から乱入した剣を、少女は咄嗟に短剣で受け止めたものの、その衝撃を支えきれずにやむなく後方へと大きく退く。

「――ご無事ですか。プラキア様」
「ブライゼン殿か」

 彼女の前に立ちはだかったブライゼンに、プラキアは小さく頷いてみせた。

「少々火傷した程度じゃ」
「ご無事で何よりだ」

 遅れてフォルセスカが、プラキアとレダを庇うようにブライゼンの横へと並んだ。
 そして、ゆっくりと手にした鞘から剣を引き抜く。

「それにしても大胆なお嬢ちゃんだこ……と……」

 言いかけて、フォルセスカは我知らず息を呑み込んでいた。
 そこに立っている黒い服の少女。
 知らない顔――だが知っている顔。
 その髪も、その紅い瞳も。

「――――」
「どうした? フォルセスカ殿」

 半ば呆然としてしまった彼へと、ブライゼンは前方への警戒を怠らないようにしながら、不審げに声をかけてくる。

「…………いや」

 不自然な沈黙を残して、フォルセスカは首を横に振った。
 そんな二人を余所にして、こちらを見つめる少女の表情が僅かに変わる。
 フォルセスカが後ろに視線を送れば、そこにはイグナーン・ロイドの姿があった。初老ではあるが、その剣技はブラフト・ダーンでも一、二を争う実力の将である。

「…………」

 ブライゼンにフォルセスカ、そしてイグナーンの参入に、さすがに分が悪いと判断したのか、その少女はあっさりと身を翻した。
 そしてそのまま外へと向かい、大広間を後にする。
 そんな様子を、彼らはただ見送ることしかできなかった。その大胆な幼い少女の暗殺者を、追うことができなかったのである。
 それだけ誰もが、あの少女に危険なものを感じ取っていたのかもしれない。

「――お二方、ともあれこちらへ。もちろんプラキア様も。侯爵がお呼びです」

 ようやくかけられた声は、イグナーンのものだった。


「そういうわけじゃ。男爵、そなたは早く戻られよ」
「……是非もありません」

 アレイウスは一礼すると、その場から退出する。
 結局彼は、表向きとはいえこのまま異端裁定に協力することとなった。ロノスティカの命である。
 今回の事にあたっての彼の決断は早かった。
 ブラフト・ダーンの包囲が完成しきる前に、城内にいる貴族達を逃がす。それに乗じて脱出する、というものだ。
 勝てぬ戦と判断した上での、逃げるという選択だった。
 しかし全員が総出で逃げ出すわけにはいかない。ここで敵を引き付けるための殿が、必要になる。

「イグナーン。そなたはウォルストーン家より来た者じゃから、プラキアについてレ・ネルシスまで行け。ブライゼンはわしと共にここに残れ。できる限りの兵をまとめ、応戦する」

 その命に、表情は作らずに二人の武将は頷いた。

「では奥方様……イグナーン殿。私は指示のために参りますゆえ」

 ここに残れば、恐らく命を落とすだろう。それを承知の上で引き受けた彼は、最後の別れを二人へと送り、退出した。

「さて……あとはフォルセスカ殿じゃが」

 ちょうどそこへ、ブライゼンと入れ違いになるような形で、フォルセスカが部屋へと入ってくる。
 彼は今まで、大広間での事態の収拾に当たっていたのだ。

「侯爵閣下。俺もここに残ります」

 開口一番の台詞に、ロノスティカは首を横に振る。

「ならぬ。そなたはレ・ネルシスからゼル・ゼデスまでの道案内をしてもらわねばならぬからの」

 今回彼らが逃げる先として選んだのは、元ゼルディア公爵の居城であった、ゼル・ゼデスあった。
 しかしかの城は深い森に覆われ、容易に抜けることの叶わない樹海の中心に、存在している。レ・ネルシスはその樹海の入口にあるゼルディア公爵の支城で、現在では廃城となっていた。
 レ・ネルシスまではともかく、そこからゼル・ゼデスに至る道は険しく、この中で一番その森に精通しているのがフォルセスカだったのである。

「必ずレ・ネルシスには参りましょう。されど一旦、ここに残らせていただきたい。どうしても確かめねばならない者がいる」
「……先ほどの少女のことかや?」

 プラキアに尋ねられ、フォルセスカは頷いた。
 あの黒い服の少女――あれはどうしても確かめねばならない。

「ふうむ……プラキアに話は聞いておるが、もしや死神かの?」
「恐らくは」
「なるほどの……では残らねばなるまい」

 あっさりとロノスティカは受け入れた。
 あれが本当に死神であるのならば、それを確認できるのはフォルセスカしかいないのだから。

「じゃが最後まで残ろうと思うな。どうせこの城は落ちるのじゃから」
「引き際ならば、心得ているつもりです」
「そうか。ならば良い。そなたもブライゼンを手伝いに行け。イグナーン、そなたは貴族達の誘導を」

 二人は共に頷き、部屋を出た。
 部屋にロノスティカとプラキアが残されたところで、彼女は夫へと静かに歩み寄る。

「そなたも残りたいとは申すなよ?」

 機先を制すように投げかけられたロノスティカの言葉など無視して、彼女は彼の顔を両手で支えると、そっと口づけした。

「……さような心無きこと、考えてもおりませぬ」
「はっはっは。相も変わらず理解の早い妻殿じゃな。ならば安心というものじゃ」
「……されど」

 笑顔のロノスティカとは対照的に、彼女は真顔で彼を見つめる。
 この場にロノスティカが残ることは、仕方の無いこと。殿を務め、死地に残される者達の士気のためにも、城主の責務にかけても、そして彼自身の誇りにかけても――それはどうにもならないことなのだから。
 対するプラキアは、この城から脱出する者達の長として、生きなければならなかった。それもまた、責務。
 ――されど。

「だからといって、妾が何事も感じていないなどと思われるは、あまりに辛きこと……」
「愚かな。誰がかようなことなど思おう。そなたの心境、察せぬわしとでも思うたか」
「……ありがたきお言葉」

 微笑むプラキアを、ロノスティカは抱き寄せる。

「まったく得難き妻殿じゃ。それに可愛いわい……」


 陽が落ち、薄く暗くなりつつある周囲からでも、その城の姿は黒い輪郭となって望むことができる。

「失敗しましたか……」
「当然だろう。あのようなところに一人で乗り込んで、どうにかなるわけでもない」

 部隊長の言葉に、ディアン・コレリアはいえいえ、と頭を振ってみせた。

「あそこに乗り込み、そして無傷で帰ってくるなど……例え聖務を果たせなかったとはいえ、そうそうできるものではありません」

 言って、隣に黙ったまま佇んでいる少女へと視線を送った。どこを見ているのか、その少女の顔は無表情のままだ。

「それは認めるがね。しかしコレリア神父。これで我らの動きを捉まれてしまったのではないか?」
「構いませんよ。もはや今更……です。逃げるにしろ、戦うにしろ、我らの勝利は揺るぎないでしょうから」

 微笑を浮かべて、ディアンはもう一度遠くに見える城へと視線を送った。
 ディアン・コレリア――普段はベルヌーク司教の下にいる司祭だが、今はアトラ・ハシースの僧会軍の先鋒を務める将という立場にいる。本来ならばフロイス・アーレストが担うであろう立場であったのだが、この異端裁定に反対を強く表明したせいもあって、今回まだ若いディアンにその任が回ってきたのだった。

「……おや? どうしましたか?」

 自分の裾が引っ張られているのに気づいて、ディアンは視線を落とした。今まで無関心そうにしていた少女が、いつの間にやら彼を見上げている。

「……殺してしまっていいの? みんな」

 あまりに澄んだ声に、それを聞いていた部隊長は思わず悪寒が走るのを感じた。なんだこれは――と、まるで化け物でも見るかのような目になって、彼は少女を見返した。

「そうですねえ……。できれば諸侯のみなさんは見逃して差し上げたいところですが……」

 恐らく今必死で逃げているだろうが、逃げ遅れがいるという可能性もある。今後のトラブルを避けるために、できるだけ無関係な者の血は流さない方がいい。

「もう、何人か殺してしまったけれど」

 大広間で火だるまにした数人の貴族を思い出しながら、少女は言う。
「いけませんねえ……それは。これから気をつけて下さいね。本当ならばあのような場所にいる者など、全て異端であるとみなしたいところですが……なかなかそういうわけにもいきません。司教様に、あとで私が怒られてしまいます」
「……他は、いいの?」
「ええ構いませんとも。ねえ、隊長さん?」

 急に話しを振られて、彼はぎくりとなった。つられるように、少女がこちらを見たからだ。

「あ、ああ……。魔女の処刑が第一の目的だが、それと同時に異端の殲滅の命もきている」

 ただ頷くだけに、これほど精神力を使うことになるとは思わなかった。頷いた瞬間、殺されてしまうような気がしたからだ。
 内心の動揺を押さえ込む彼の前で、ディアンはいいそうですよ、と少女に言っていた。

「……そう」

 頷いた少女は、それきり口を開かなくなる。

「さて……攻撃は明朝開始、と……。それまではゆっくりと休みましょう」

 そう言うディアンの声が、闇夜に響いた。


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