第11話 死神を手に

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 パルティーン寺院のその場所にて、アルゼス・ラルティーヌは一人の赤子を腕に抱いていた。
 その彼の前に佇む、一人の少女。こうして会うのは初めてであるが、今まで神託という形で、その声は幾度か耳にしている。
 相手はまだ十歳前後の少女の姿をしていたが、それが見た目通りで無いことなど、その存在感から嫌というほど感じずにはおれない。

「――これは」

 受け取った赤子を見ながら、アルゼスは少女へと尋ねる。

「予言は聞いているはずであろう」
「ではこれが……死神であると」

 生まれてまださほどたってはいないと思われる赤子は、濃い金髪をした女の子だった。その瞼が何の前触れも無く開くのを見て、思わずぎくりとする。
 現れた真紅の瞳に見つめられて、彼はまるで心臓を鷲掴みにされたような気分を味わう。――自分の命など、この赤子の気紛れでどうにでもされそうな……そんな存在の違いを感じた。
 見れば、目の前の少女も同じ――紅い瞳。
 それが、じっとこちらを見つめている。

「それで……この者を、如何せよと言われるのです?」
「そなたが、育てよ」
「――――?」

 突然の言葉に、アルゼスは目を剥いた。
 驚かないわけがない。この赤子がまこと死神であるとして、それを育てよ、とは。

「如何思し召しか、窺いたい」
「それは、異端への毒となる。彼らを滅ぼす手段として、育て、利用するがいい」
「そのようなことが、可能なのですか」
「それもまた、人間の一面を持っている……。育て方を誤らなければ、しばらくはそなたたちの力となるだろう。しかしいずれは……」

 封じなければならぬ、と。

「今すぐというわけにはいかないのですか。私は人間の身ではあるが、この赤子の怖さがよくわかる。将来に不安を感じます」
「憂いはもっともだ」

 それが分かる人間であるからこそ、そなたに任す、と彼女は言う。
 それに――と少女は続けた。

「それを封じるには、禁を用いなければならないだろう。私は以前、それを伝えたことはあるが、すでに失われて久しい。その知識に耐え得る、新たな伝承者が必要だ」
「――一年前の拝謁は、そのために」

 フォルセスカが臨むはずだった、ネレアの契約。かつても幾度か行われ、その度に決して人では知り得ぬものを、人は得てきた。そのいくつかが、今もアトラ・ハシースには秘蔵され、禁咒として封印されている。
 フォルセスカは、この死神を封じるための知識を伝えるために、この少女に選ばれていたのだろう。だが彼はもう――ここにはいない。

「そなたの言う通りだ。だがあの者はもはや契約には応じまい……。代わりとなる者が必要だが、残念ながらそれだけの器を持ったものは見当たらぬ。いずれ見出そうが、それまでは死神に手出しは不可能だ」
「……あなたにはできないのですか? 何も待つ必要など無いのでは……」

「これは一人で為せるものではない。確かに私ならば不可能では無いかもしれないが、出来うる限り、私はそれに触れるわけにはいかないのだ。もしその者が私を認識し、否定しようものならば……この世界は意味から失うことになる。ましてやその者はまだ赤子……本能が面に表れ易い。危険を察知すれば、知らず力を振るうだろう」

 急きすぎて、迂闊な妄動はできない――つまりはそういうことなのだろう。そして、できる限りこの世界に干渉したくないという意思が、そこからは感じられる。

「では、新たな契約の候補者が現れるまで、この者を育てなければならないと……そういうわけですか」

 頷く少女を見てから、アルゼスはもう一度赤子へと視線を移動させた。
 先ほど開かれていた瞼は閉じて、いつの間にかまた眠ってしまっている。こうして見れば、ただの人間の子にしか見えないというのに……。

「……わかりました。御意とあれば、拒めはしませぬ。このアルゼス・ラルティーヌ、きっとお役に立ちましょう」
 跪いて、アルゼスはこの赤子を引き取ることを、そして育てることを約した。彼は一礼した後、顔を上げて口を開く。
「今一つだけ、窺いたいのですが」
「なんだ?」
「この赤子の名です。すでにあるのならば、聞いておきたく」
「…………」
 その問いに、少女の作り物めいた表情が、微かに変化した。
 何か迷っているかのような表情は、かなり微妙なものだ。しかし少女は常に無表情であったせいで、僅かな変化も目につきやすい。

「……イリス。イリス・ゼフィリアード……そういう名前をつけられていた」

 ややあってから、彼女はつぶやくようにそう言った。

「ゼフィリアード……?」

 その名に、アルゼスは眉をひそめる。
 イリス――その名前はいい。だがゼフィリアードという名は、彼の知っている名だ。
 そのよもやの疑問を察したのか、少女はこくりと頷く。

「そなたの知っているゼフィリアード。その、娘だ」
「な……!?」

 信じられない台詞に、アルゼスは愕然とした。
 一年前に姿をくらませたフォルセスカ。その行方を追ってはいるのだが、まるで成果は上がっていない。
 この赤子が、その彼の娘であるというのか。この死神を――生み出したと。

「まことに――この娘が、フォルセスカの子であると……?」
「そうだ」
「では……彼がここを去ったのは、もしやこの娘のために……?」
「そうであろう。かの者はそなたたちが悪魔と呼ぶ者の誘惑に従い、魔王の契約を結び、そして死神を生み出した」
「…………」

 それは――真実であるのならば、何という背信行為であろうか。
 しかし……魔王の契約とは……。

「では、この現世において、再び魔王が現れたと」

 少女は静かに頷いた。
 魔王――その存在は歴史上、何人か存在する。その中でもっとも新しい魔王が、ゼルディア公爵だったクリーンセス・ロイディアン――およそ二百年前の異端の王だ。
 現在残っている魔王の血が比較的濃いとされる魔族は、そのほとんどが彼の血脈によると言われている。
 そして今――再び新たな魔王が生まれたとは。更に、死神などと……。

「……異端どもは、我々への切り札として……死神を生み出したのでしょうか」

 この二百年の間、異端者達は比較的大人しくしている。その間も異端裁定は幾度か行われたものの、小規模なものばかりだ。
 しかしここで魔王が生まれ、そして死神まで擁していたとは――この二百年は彼らにとって、雌伏の時であったのかもしれない。
 そう思い至って、アルゼスはぞっとなる。

「……この死神は如何にして……いえ、聞いたところで詮無いことでしょう。こうして我らの手に落ちたことは天佑であったと、そう感謝いたします」

 この赤子はどうやって生まれたのか。そしてどうやって手に入れたのか――気になることはある。だがそれを聞いても仕方の無いことだろう。これから自分達がすることに、変化は無い。

「その者は、異端者たちとて捜している者。特に幼きうちは、彼らの目につかぬよう育てるがいい」

 もしこの死神が再び異端の手に渡り、育てられでもすれば……人の世界はどうなるのか。

「奇蹟は二度と起こらぬ。決して、誤るな」

 そうだ。これは奇蹟――なれば二度と起きはしない。

「御意のままに……」

 事態の深刻さを身に感じながら、アルゼスは先ほどよりも更に深く、跪礼した。
 顔を上げた時にはもう――少女の姿は無く。
 まるで夢かと思う出来事ではあったが、腕の中には確かな温もりがある。赤子は間違い無く、ここにある。
 今は目を閉じ、眠っている。だがこれが――死神。そしてフォルセスカの娘……。

「フォルセスカ……お前は何を考えて……」

 かつての親友だったあの男は。
 どういう未来を想い、このようなことをしでかしたのだろうか。
 聖堂に佇むアルゼスに、その時答えを見つけることはできなかった。


「……罪かもしれぬな」

 寺院から遠く離れたその場所で、今赤子を置いてきた場所を見つめながら、エクセリアはつぶやく。
 イリスを人間の手に渡したこと。それはきっと、この後大きな争いの火種となるだろう。
 あのままもしフォルセスカの手にあって、育てられたならばどうなったか……興味はあった。――少なくとも、成長したイリスがその手を血で染めることは、遥かに少なくなるのかもしれない。
 だが放置することはできぬのだ。あの死神には感情がある。どうやら抑止力が働いているようではあるが、それでもいつまでその効果が続くかなど、保証の限りでは無い。
 そして感情というものは、容易に人を変える。――二百年前の、レネスティアのように。
 あの死神が自我と感情に、まるで人間のように完全に覚醒した時、この世界の死は彼女の意志一つで決まってしまうだろう。何かの弾みで、簡単に滅んでしまうことすらある。そのようなことなど、決して認められることではないのだ。
 もっとも、レネスティアはそのようには捉えてはいなかった。抑止力こそ不要のもので、それが働いている以上、イリスは意味すら分からず死の裁定を続けるだろうと。
 だがエクセリアは信じられなかった。長い年月人というものを見続けてはいるが、彼らは容易にお互いを殺し合い、時には己自身ですら死に至らしめる。それと同じものをもっているイリスが、本当に世界を滅ぼさないという選択をするのだろうか、と。
 そうかもしれない――だがそうではないかもしれない。
 結局、彼女とて分かりはしないのだ。
 そして運命を創るには、その死神の存在はあまりに大き過ぎる……。

「レネスティア。確かに私はそなたに比べ、人というものを知らなさ過ぎる」

 しかしだからこそ、客観的に見ることもできる。
 だからこそ、無謀なことはできない。

「……私はいずれ、あれを封じる。決して、この世に干渉できぬように……。例え……そなたに恨まれようとも」

 今回のことばかりは――最愛の妹にすら、そう思われる覚悟がある。
 悲壮な覚悟かもしれない。
 分かってもらおうとも思わない。
 今までそんなことをしたことすら無いのだから……やり方すら、分からないのだから。


「ふう……」

 壁は崩れ落ち、瓦礫の山となった玉座の間の一角で、フォルセスカは小さく息を吐いた。
 自身、瓦礫の山の中に半分埋もれ、身体中に裂傷を負い、傷ついている。
 動かそうにも動かぬ身体。
 ここまで手痛い目にあったのは、初めてだった。この身体が人の身のままであったら、恐らく命を落としていたであろう重傷。
 それでもすでに、出血は止まっている。止まっているからといって、今の彼には何の気休めにもならなかったが。

「完敗、だな……」

 見事なほどの、敗北だった。
 エクセリアを相手に、手も足も出なかった。
 相手が強かったということもあろうが、それ以上に――エクセリアが言っていたように――自分の弱さが、最大の敗因であろう。
 ために娘を奪われ、己は地に埋もれている……。

「この俺に……何ができるっていうんだろうなあ……」

 自問するが答えは無く。――いや、すでにあるからこそ、答えるまでもなく。
 彼の瞳から、光は消えてはいない。
 立ち上がらねば、ならないのだから。

 イリス・ゼフィリアード。
 死神とされた彼女の誕生は、西暦901年の冬のことであった。


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