第10話 もう一人の観測者

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 あの子は失うかもしれない。
 ずっと、レネスティアはそう言っていた。
 まるで逃れられぬ運命かのように。そしてそのことを、彼女自身が受け入れてしまっているかのように。
 ならばそれは運命なのだろう。
 彼女の運命に添って歩むと決めた以上、自分もそれからは逃れられはしない。だがまあ、そういう言葉を使うことは、何となく無粋のように感じられはする。誰も聞いてはいないから、特に問題はないのであるが。

「さて……」

 深夜の城内。
 レネスティアはあの日以来、眠ったまま目を覚まさず、イリスもまたよく眠っている。ヴァーグラフは城内の門からは決して中に入って来ないので、今ここで目覚めているのは自分だけなのだろう。
 本来ならば自分とて眠っている時間だ。だが今夜は妙に寝付けなかった。
 人間だった頃から持ち合わせている勘なのか、それともこの身に変質してより身に付けた新たな感覚のせいか。
 何にせよ、今夜は起きていなければならない気がする。
 フォルセスカはここずっと手にしていなかった長剣を携えると、二人の眠る部屋を後にした。


 かつては使用されていたのであろう、玉座の間。古びてはいるものの、不思議なことに埃一つ落ちていないその場所で、フォルセスカは足を止めた。
 人影が、ある。

「これは珍しい。この一年、他の誰かを見るのは初めてなような気がする。深夜の来訪、痛み入る、が……?」

 誰かがいる。
 その場所へと向けて、フォルセスカは声をかけた。

「まさか、幽霊ではないと思いたいのだが」

 そう呟いたところで、影が揺らめく。数歩、こちらに歩んできたらしい。
 そうしたことで、差し込む月光に照らされて、あらわになるその姿―――

「……これは」

 見えた姿は、まだ十歳に達しているかどうかと思われる幼い少女の姿だった。
 どこか無機質に思える紅い瞳。
 己の身長にほぼ匹敵する長い銀の髪。
 そしてその造作――どれもが、レネスティアを彷彿とさせる姿。
 そっくりではあったが、彼女を幼くしたような姿が、目の前の少女の全てであった。

「ふむ……。誰かと尋ねたいところなんだが、何となくわかったしまったな」

 その小さな身体から感じられる、えも言われぬ存在感。初めて会ったレネスティアから感じたものと、同じもの。

「改めてお尋ねしするが、貴公はエクセリア殿、かな?」
「そうだ」

 打てば響くように、返事はあった。
 声までよく似ている。
 しかしレネスティアからは感じられる含まれた感情が、目の前の少女からはほとんど感じられない。瞳すら、硝子玉のようだ。

「そうか……。ならばまず無礼を詫びなければならないかな。一年前のこと、さぞかし立腹かと思われるが」

 一年前。彼は一つの拝謁と、契約を目前に控えていながら、アトラ・ハシースを脱した。
 その会うはずだったという人物こそ、今目の前にいる少女だろう。
 驚きではあった。可憐というにはあまりにも硝子人形じみた冷たさが漂ってはいるが、まさかこんな少女であったとは。
 名をエクセリア。レネスティアの姉……。根源二祖と称せられる、もう一つの存在。

「詫びる必要などない。あの日のこと、覚えていないわけでもないだろう」

 アルゼスに阻まれたことを言っているのだろうか。
 彼は、フォルセスカがきっと背信するであろうことを、神託を受けて知っていた。だからこそ、あそこで待ち受けていたのだから。
 では、その神託を下したのは誰か。
 神託を下した自分もフォルセスカが拝謁することを信じていなかったのだから、詫びられる必要はないと――そう言いたいのだろう、この少女は。

「なるほど。ならば詫びはしない。それよりも、貴公がここにいる真意を……伺いたいものだが?」
「かの死神を、貰い受けに」
「予想通りの返答、嬉しくて泣けてくるな」

 分かってはいたこと。
 だが了承できる運命ではない。

「……あの者がどれほど危険な存在か、理解していないわけではないだろう?」
「ああ知っているさ。少なくともそう、聞かされてはいる」
「知っていて、どうすると? あれを御し得ると、そなたはまことそう思うのか?」

 フォルセスカは笑う。イリスを御そうなどとは、元より考えてもいない。ただ変化を促す、そのきっかけとなれば良いと、そう思っているだけ。

「お嬢さんこそどうしたいのかな? あれを得て、どうしようと?」
「あの存在を無かったことにすることは、もはやできぬ。認めはしよう。されど、放置はできぬ」
「ならば是非俺たちに任せて欲しいものだが」
「今レネスティアに力は無い。できぬ相談だ」
「そうか」

 頷いて、フォルセスカはゆっくりと帯びていた剣を鞘から抜き放つ。

「阻むが、よろしいかな?」

 告げて、剣を構えるフォルセスカを、エクセリアはしばし見つめた。
 何を考えているのか――その瞳、表情からは読み取れない。
 そして否も応も無く、その細腕を薙ぐように左手の方へと向けた。
 閃光――まさに、それは突然の光だった。
 カッ、と闇に包まれた玉座が照らされたと思った瞬間、閃光は壁を打ち砕き、湖沼へと飛来する。
 刹那、爆音が轟き、破壊の光が周囲を真昼のように照らした。

「…………」

 さすがに、フォルセスカも言葉を失う。
 崩れ落ちた城壁から見えるのは、遥か上空まで打ち上げられた水飛沫と、一部抉り取られた湖岸と森の破片。
 例え雷が落ちてもここまではならないだろうと思われるほどの破壊が、その一瞬に演出される。

「……まるで神罰がごとき有様、だな」

 打ち響く振動の中、彼は笑みを浮かべてそう洩らした。
 ここまで凄まじいものを目の当たりにすると、もはや笑うしかない。

「しかしこんなこと……レネスティアにもできるのか」
「不可能ではないが、効率の悪い手段だ。だからこそ、我らは契約者を求める」

 何事も無かったように腕を下ろして、エクセリアはつぶやくように言う。

「それから我々は神ではない。世界の観測者に過ぎぬ。世界に意味を与える一方で、意味を創り出すことで世界に影響も与えられる。破壊という意味を先に与えれば、それに従い世界はそれを具現させる……」
「ふむ……何とも出鱈目な話だな」
「そうでもないであろう……。そなたのあれも、同じようにして死神を形創ったのだから」

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。
 イリスはただ普通に子を為して、産まれたわけではないのだ。世界に自然に漂う死というものを、レネスティアはイリスという形に意味付けて、産んだのだから。
 結果はどうあれ、やっていることは同じなのだろう。

「そうか。しかしなぜわざわざ見せつけるようなことをしたのかな? こんなことをする前に俺を殺すことなど簡単であっただろうに。それにこれだけ派手なことをすれば、あいつが起きてくるかもしれないが」
「目覚めはしない。あれは死神という存在を意味付けるために、己の存在のほとんどをかけてしまっている。今ああして形を保っていられるのは、全てにそなたの存在があってこそ」
「俺の?」
「そう……そなたがあれを見て、常に認識しているからこそ、あれは消えずにいられる。死神に与えたものはいずれ戻るであろうが、それでも死神が己を認識できるようになるまでは、戻るまい」

 それは分かっていたこと。レネスティアの存在は、今あまりにも希薄すぎる。

「それから、私はそなたを殺す気はない……」

 そう言ったエクセリアの声に、初めて感情らしいものが過ぎった。

「しかし俺は邪魔だろう? 姉妹の意見に相違があるらしいことは、俺でもよくわかる。客観的に見れば、あいつがお前から俺を取ったようにも見えるだろう。今こうしてお前がここにいることを見ても、わかる。俺はあいつのためになると誓っているんだ。どう間違っても、俺は邪魔にしかならないと思うんだが?」

 力を誇示して、この場を退かせようとするかのような演出は、分かる。しかし彼女の力ならば、わざわざそんなことをする必要などないのではないか。

「例えそうだとしても……私はそなたを殺す気はないし、そもそもにして私一人ではできないだろう」

 彼女は同じことを繰り返す。
 そこに浮かんでいる感情を、どう表現すればいいのか。

「そなたは知っているか? 二百年前の、あの者を。クリーンセスを殺された時の、レネスティアを。私はあの時のようなあれを、二度と見たくはない」
「……あいつもそうだが。お互いやってることの割には、意外と姉妹想いなんだよなあ……」

 不思議なことではあるが、そのことは間違いないように思える。

「そなたには退いて欲しい。そして、あの者の傍に」
「……悪いが、見過ごすことはできないな」

 それは当然のことである以上、ここでただ指をくわえて見ているだけなど、できるわけもないのだ。

「別に、お前が俺を殺さないと言っているから……安心して粋がっているわけじゃない。結局どうにもならないことなんざ、わかってはいるのさ。言ってしまえば意地……みたいなもんだ」

 それは、イリスの父親としての。

「あいつか成長した時に、言い訳の一つもできないんじゃ困るんでね。まあ、そういうわけだ。頭の悪いことだと思うかもしれないが」
「……そうか」

 エクセリアは頷く。
 その表情は、すでに元の無表情に戻っている。

「さて。そろそろ始めようか」

 それが、合図だった。


 エクセリアがこちらを見つめる。
 その瞳の輝きが変わったと思った瞬間に、フォルセスカはその場を飛び退いた。
 たった今までいた場所が、捻れるようにして粉砕する。
 先程見せた一撃に比べれば、遥かに小さなものではあったが、それでも人間がその対象になれば怪我程度では済まない。
 フォルセスカは一気に間合いを詰めた。
 ――身体が軽い。
 レネスティアと契約を結び、この身体は人のものからかなり変質してしまっている。言ってしまえば魔族の仲間入りをしたのだ。しかもこの身は、それらの長となれるだけの力を秘めている。
 人の身ではありえない速度でもって、彼は一足飛びにエクセリアへと斬りかかった。
 岩をも砕ける一撃は、しかし少女の寸前で阻まれてしまう。水晶のような透明で、色のついた膜が、彼の剣を受け止める壁となって現れていたのだ。
 刃先のこぼれた剣を見て、フォルセスカはすかさず左手をかざし、一気に呪を唱えた。
 これも身体の変化のせいか、自己暗示の精神制御が、驚くほど簡単にできる。

「来たれ――〝レデスの矢〟!」

 瞬間、現れ出でた咒法の炎が、エクセリアを一気に包み込んでしまう。
 再び彼女が姿を現した時には、彼女を覆う水晶の膜はほとんど消失していた。
 そこで間髪入れず、剣を叩き込む。

「――大したものだ。よくぞ今のが氷であると見抜いた」

 余裕で刃を受け止めながら、エクセリアは賞賛の言葉を送る。

「見ればわかるさ……。いくらお前でも、自然界に存在しないものを――世界が用意できないものを、この場に創り出すことはできないだろう? それならば、容易に察しがつくというものだ」

 それができるのは、禁咒と呼ばれる力のみ。彼女にそれが扱えないはずもないが、だからといって一瞬で構築できるものでもない。
 フォルセスカは剣に力を込めるが、まるで動きはしなかった。一体どういう力をしているというのか。

「……そなたの力は、レネスティアに依存するところが大きい。少なくとも変質しきるまでは。本来ならばこれほど時もかからぬはずだが、今のあれは見ての通りだ。今のそなたは、未だ中途半端な代物に過ぎない」
「なるほど……。だが俺としては、お前が歯が立たぬほど強いからじゃないかって思うんだが」

 言って、フォルセスカは無理矢理刃を引き剥がすと、その場から大きく後ろへと下がった。追撃は、無い。

「……私に敵わぬ者が、どうして死神をどうにかできる? あれは、私などよりも遥かに危険な存在として、成長するだろう。我々と同じように認識力を持つようになるだろうが、それは認めるためではなく、否定するための力だ。私とてあれに完全に認識されれば、この身を保てはしないだろう」

 閃光が走った。
 思わず顔を庇ったフォルセスカの両手に鋭い痛みが走り、傷から血が滲み出す。
 彼女は軽く手を振っただけ――しかし重過ぎる一撃だった。

「そなたは強い……が、それはあくまで人としての強さに過ぎぬ。我々というものをもっと学ぶべきだ。でなければいずれ、そなたは死神に殺されよう……」
「……おかしな気分だ。こうして諭されるとは」

 ボロボロになった腕を下ろしながら、フォルセスカは小さく息をつく。

「……もう休むがいい。今のそなたでは、どうにもならぬ」
「できないな。お前さんがわざわざ俺の前に姿を現した理由、わからないわけでもないからな」
「…………」

 言われて、エクセリアは押し黙った。
 彼女ほどの力があるならば、密かにイリスを奪うことなど簡単だったはず。それをせず、わざわざフォルセスカの前に姿を現したのは、何故か。

「大したことではない。レネスティアの選んだそなたに、せめてもの敬意を示したに過ぎない」
「……大したことだと思うがな。俺はね」

 人間など塵芥と思われても仕方無いほどの存在の差が、彼女とはある。にも関わらず、彼女はそういう素振りをみせはしなかった。それどころかこうして――己の所為であると明確に示すようなことすら、している。――まるで、そうすることが礼儀であるかのように。

「まあ、いい。俺はただ、できることをするだけだ」

 結局はそれしかないのだろう……例え、エクセリアにどれほどの理由があったとしても、彼にしてみればそれを容認するわけにはいかないのだから。

「――来い」


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