第08話 死神誕生

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 主がいながら、ずっと眠りについていた城。
 渓谷一面に生い茂った森林の中に、その城はあった。
 絶地にあるこの森に足を踏み入れる者などなく、その中にひっそりとそびえる城塞など、今では知られなくなって久しい。
 魔城ゼル・ゼデス―――
 かつての魔王クリーンセス・ロイディアンの居城だったというが、それも二百年以上昔の話で、今ではそんな当時を偲ばせるものは何も残ってはいない。
 クリーンセスは当時、千年ドラゴンと呼ばれる存在と死闘を演じ、命を落としたとされている。
 それ以来主を失ったかに見えた城であるが、実際には一人、この場に留まり続けた者がいたのである。
 その人物というのが、クリーンセスと契約を結び、彼を魔王に為らしめたという悪魔――今フォルセスカの隣にいるレネスティアであるらしい。
 そんなことを思い出しながら、フォルセスカは隣に座ってもたれかかってきている少女を横目で見つめた。

「大丈夫か?」

 短く問い掛けると、少女は視線だけを動かして、フォルセスカを見つめ返してくる。

「…………」

 彼女は口を開かず、ただ頷くだけで応えた。
 真紅の瞳はいつもの輝きを失ってはいなかったが、その全身はひどく弱っているように見える。
 実際この晴天の下、城外に出て、森の中にある湖沼の前の草原で座っている彼女は、まるで周囲の自然に溶け込んでしまうかのように、希薄に思えてしまう。
 夜ですらその全身から滲ませていた存在感は、今では欠片とて残ってはいない。
 レネスティアと初めて出会ったのは、今から約一年前のこと。
 フォルセスカが一年前に予定されていた拝謁を無視し、アトラ・ハシースから追われる身になった原因を作った少女は、当時今とは比べられないほどの存在だった。
 それがこの一年で、信じられないほど弱々しく変わってしまっている。どうしてこうなってしまったのか、理由は分かっていた。
 その原因は今、彼の腕の中にあるのだから。

「おいおい……あんまり引っ張らないで欲しいな」

 彼は長く伸ばした髪を、後ろで適当に縛って流してあるのだが、肩口にかかっているその髪をぐいぐい引っ張る者がいるのである。
 彼の左腕に抱えられているのは、赤子だった。
 濃い金髪に、紅い瞳――。まるでレネスティアのものと同じであるかのような瞳は、確かに彼女の血を引いている証だろう。

「おいこらって言ってるだろう? けっこう痛いんだぞ」

 語りかけても一向に引っ張ることをやめない女の子の赤子を見て、隣から微笑が洩れる。

「……構って欲しいのではなくて? 貴方、わたしばかり見ているから」
「だからってなあ……。小さい頃からこんな暴力的だと、将来不安だ」

 嘯きながら、フォルセスカはその赤子の頬を摘んで、びよーんと引っ張ってやる。
 ふにふにしていて、なかなかに触り心地がいい。
 それに加え、赤子は嫌がるどころかキャッキャッと嬉しそうに声を上げる。それを見ていると―――

「ぬう……。何だか父性愛に目覚めそうだ」

 つぶやいて、思わず抱き上げ頬擦りしてやると、赤子は更に嬉しそうに声を上げて、顔に抱き付いてくる。

「フフ……とっくに目覚めていたでしょうに」
「いやそうかもしれんが、更に覚醒しそうな気分なのさ。自分の新しい一面を発見させられて、何とも妙な気分だが」

 そう言いながらも、彼はそんな自分を構うことなく受け入れているようだった。正直どうなるかと不安だった子育ても、今ではこの娘が可愛くて仕方が無い。
 そう――この子は、自分とレネスティアの間にできた娘だ。彼女の血を引いていると同時に、間違い無く自分のそれも受け継いでいる。

「ほら交代だ……イリス。今度は母親に抱いてもらえ」

 そう言って手渡すと、レネスティアはそれをそっと受け取った。そして普段からは信じられないくらい優しい顔になって、そっと髪を撫で付けている。
 イリス・ゼフィリアード――この娘が生まれてより変わったのは、フォルセスカだけではなく、レネスティアもまた同じだった。
 長年生きてきたという彼女も、こういう経験だけは初めてであるらしい。
 そんな彼女を見ていると、自分がたった今やっていたように、イリスの頬を軽く引っ張ってその感触を確かめていたりする。

「……なんだかなあ。イメージというやつが」

 普段のレネスティアのイメージからかけ離れた姿に、彼も苦笑するしかない。
 そんなことをしていると、不意に座っている二人に影が覆う。
 雲――というわけではなかった。

「なんだ。お前も触りたいのか?」

 フォルセスカが振り返ると、そこには熊ほどもある動物が、二人の後ろにやって来ていたのである。
 黒い毛並みをした、大きな狼――にそれは見えた。実際、狼であることには違いないのだが、その大きさは馬よりも遥かに大きい。
 もともとこの森に住んでいた狼だったらしいが、たまたま城に迷い込んできたのをレネスティアが拾い、城に住み着かせている間にこんな風になってしまったのだという。
 齢すでに百歳以上で、もはや魔獣と呼んで差し支え無く、名をヴァーグラフという。
 ヴァーグラフの知性は動物にしては遥かに高く、この百年はゼル・ゼデスの門を守る、番犬となっていた。
 イリスはこの大きな動物がお気に入りのようで、その姿を見るなり更に嬉しそうな表情になる。レネスティアがそっとイリスを抱き上げてヴァーグラフへと寄せると、彼女はそのまま這うよにしてそのふさふさの毛にしがみ付き、頭の方へとよじ登っていく。

「イリスの散歩、よろしくな」

 フォルセスカに言われると、ヴァーグラフはまるで言葉が理解できるかのようにこくりと頷いて、ゆっくりと湖沼を縁を歩いて行った。
 歩くヴァーグラフの首にしがみ付いてはしゃぐイリスの姿――もはや見慣れたいつもの光景である。
 それを微笑ましく見送っていると、フォルセスカの右肩に体重がかかった。
 イリスを抱いている間身を起こしていたレネスティアが、またもたれかかってきたのである。
 気にせずに、フォルセスカは遠ざかっていく娘を見ながら、口を開いた。

「しかし……信じられないな。あれが本当に……」
「……けれど、わかってはいるのでしょう?」

 そう言われて、こくり、とフォルセスカは頷く。

「お前さんを見ていれば、嫌でもわかる」

 この一年のうちでレネスティアの様子が相当変わったのは、間違い無くイリスに原因があった。
 彼女を宿し、そして産んだことで、レネスティアはその存在力をほとんど失ってしまったのである。まるで赤子に吸い取られてしまったかのように。
 だが失ったとはいえ、時がたてばまた元に戻るらしい。だがそれでも衰弱は激しく、イリスを産んでよりのほとんどの時間は睡眠に費やしている。本当はこうして起きてくることすら辛いはずなのだが、彼女は大体三日に一度くらいは目覚めて、こうして一緒に時間を過ごしていた。
 レネスティアは悪魔とまで言われている存在である。その彼女からそのほとんどの力を奪い取ったのは、紛れも無く赤子であるイリスだ。そのイリスが、ただの存在なわけも無い……。
 レネスティアがフォルセスカの前に現れ、そして彼を誘った目的の一つが、このイリス。
 彼女がフォルセスカに持ち掛けたのは、神託にもある死神を、自らの手で生み出すこと。
 どうせ時がたてば、いずれ自然に死神は生まれ、目覚める。それが避けられない運命ならば、せめて自分がその親になりたいと。
 とんでもないことを言ってきた少女に、フォルセスカは何故か共感し、その為に自分の身を生贄にした。それだけする価値があると、彼なりに感じたから――だが何よりレネスティアという悪魔を気に入ってしまったことが、その一番の理由かもしれない。

「だけどな……イリスはあれだけ笑って、はしゃぐんだ。それなのに感情を理解していないって言われても……なかなかわからないものだ」

「あの子は貴方の血も流れているわ……。貴方は人間というにはもう変質し過ぎているけれど、それでも人間だったことは間違い無い。だからイリスにも、感情は自然に備わっているのよ。でもそれはあの子の本能にとって、矛盾を生み出す不要なもの……。そのために抑止力が働いてしまっているわ。世界からの、抑止力……。感情はあるけれど、その意味を気づかせないように、あの子へと力が及んでいる……」

 今あんな風に喜んではいるが、本人はなぜ自分が嬉しいのかが分からない。赤子である彼女がそんなことを考えるはずも無いが、いずれ成長していけば、その影響は出てくるはず。

「予想通りってやつか」

 彼女が語ったことは、すでに一度聞いていた。あの日、拝謁の間にて。
 つまりこうなることは、初めから分かっていたのだ。
 そしてそのために、フォルセスカという存在があるのだから。

「つまり俺がしなきゃならんことは、そんな当たり前のことを気づかせることか。簡単なようで、きっと難しいんだろうなあ」

 ――貴方のね……命が欲しい。
 あの時、レネスティアは彼にそう言った。
 それは、命をかけねばできないということ。それほどまでに、難しいということ。
 少なくとも彼女は、そう感じている。ならばきっとその通りなのだろう。しかしフォルセスカならばできると信じて選んだのであれば、できないわけがない。そう……できないはずがないのだ。

「……聞いていいかな?」

 ふと思ったこと。
 大したことではないようで、しかしとても不思議に思うことをフォルセスカは問うてみる。

「何かしら」
「お前はどうして、そんなにも死神にこだわる? いくらお前が人外の者とは言え、少々尋常ではない気がするんだが」
「そうね。そうかもしれないわ……」
「何か理由があるのか?」
「さあ……果たして理由なんてあるのかしらね。罪悪感なんて、そう思うことこそつまらないわ……」

 くすりと笑って、レネスティアはフォルセスカを見つめる。

「いいわ……貴方なら。姉さん以外で唯一、わたしを見てくれる貴方ならば」

 そう言って。
 彼女はゆっくりと話し始めた。


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