第07話 アトラ・ハシースとの決別

 鋭い剣戟が、建物の中に響き渡る。
 振り下ろされた一撃を受け止め、弾き返し、反攻に出るも、すぐさま受けられる。

「……こうやって刃を合わせるのは初めてだな」

 ギリギリと鍔迫り合いをしながら、アルゼスが言う。
 彼もまた、ただの司教ではない。
 ミルセナルディス枢機卿に代わり、アトラ・ハシースの統率をしているだけの実力はある。

「まったくさすがだ。俺は若さだけが取り柄だからなあ……!」

 嘯いて、フォルセスカは剣を薙ぐ。
 激しい金属音と共に、両者の間にできる間合い。

「……何をしている? 早く私を倒さねば、夜も明け人も来る。そうなればどうにもなるまい」
「わかってはいるんだがな。できればお前さんを傷つけたくなくてね……まあ無理な話かもしれないが」

 確かに一進一退をしてる暇など無い。

「仕方無いな」

 できれば剣のみで何とかしたかったが、そうも言っていられない。少々博打になるかもしれないが……。

「咒法か。面白い」

 フォルセスカの様子に、アルゼスは目を細めた。
 咒法とは、アトラ・ハシースが秘匿している神の奇蹟のこと。――もっともその実体は、悪魔の技とも言われている。
 遥か昔から人間社会に伝わっているもので、魔法だの魔術だのとも呼ばれはするが、突き詰めれば咒法とはその名の通り、何かを呪うためのもの、である。
 呪うという行為は、相手に何か悪いことが起こるように、祈ることだ。では何を呪うのか――それは世界そのものであるという。呪われ、悪くなった部分は、普通には無い現象を引き起こす。それが咒法の効果であるが、例え一時悪くなったとしても、人間のように自然治癒力が働いて、すぐに元に戻ってしまう。一瞬の効果のためならばそれでも充分なのだが、中には結界などのようにある程度の持続を目的としたものもあり、そういうものほど高度なものとされている。
 だが結局は魔術と呼んで差し支えないのかもしれない。普通はできないことを、何らかの特別な訓練によって為せるようになることを魔術というのならば、咒法もまた同じなのだから。
 何にせよ、この咒法と呼ばれる力は、異端者――特に人間以上の力を持った異族への有力な対抗手段として、長くアトラ・ハシースで研究・開発が行われてきたものだ。
 フォルセスカはそんなアトラ・ハシースで、最も優れた咒法士として誰もに認められていた。
 剣技と咒法――この二つに優れている彼は、アルゼスとて容易には勝てぬ相手であると、彼自身も認めている。

「さて……伸るか反るか、試してみようか」

 言って、フォルセスカはゆっくりとアルゼスとの間合いを開いていく。ずっと後ろで柱に隠れてこちらを見ているレダを、視界の端に確認しながら。

「黒き光、白き闇よ。影を消し、光を除き。己が識に語り、誰が身体に示さん。万物に臨み、万象を望む。其は呪いなれど、祝福とならん……」

 本来咒法を行使するのに、咒禁は必要無い。咒禁とはあくまで自己の精神高揚のための手段であり、精神制御のための暗示を口に出して言わずともできなければ、実戦では役に立たないからだ。
 だが人間というものは、何か明確に感じれる方法を取った方が、やはり効果に影響が出る。声に出し、そして耳で聞くことで、頭の中であれこれするよりも遥かに確実な効力を得ることができるのである。

「我求む、我が手に求む、我が身に下らんことを! 我が懺悔が前に、贖罪の力を齎さんことを! 全ての罪を、無に還さん嵐を!」
「〝ザイオレスの嵐〟か―――!」

 破砕と爆風をもたらす咒法。
 高等咒法の一つであるが、これはあくまで対集団戦に用いるものであり、個人を相手に使用するものではない。
 発生する破壊と爆風は指向性が無く、誰彼構わず飲み込むからだ。もちろん、使用者本人もその被害を受ける。しかもこんな建物内で使えば更に酷いものとなり、何よりその音に誰もが気づき、ここを目指すだろう。
 一体何を考えているのか―――
 怪訝な思いの中、咒法が解放される。
 轟音と爆風――巻き上がった瓦礫の嵐は、アルゼスから視界を奪う。

「……まさか!」

 ある可能性に思い至った瞬間、それを打ち砕くように何かが飛来した。
 暴風から身を守るために張った結界に突き刺さったのは、紛れも無くフォルセスカの剣。

(近くに……!?)

 よもやの可能性に、この嵐の中を前進しようとした彼を留めたのは、その剣だった。この暴風の中、傷つくことを覚悟で迫ってきているのか―――
 その場に踏み止まり、油断なく周囲を警戒するアルゼスだったが、結局は何も起こることはなかった。
 風が止み、噴煙が静まった時には、もう誰の姿も見えない。ただアルゼス一人が、佇むのみ。
 そこでようやく、最初に思った可能性が間違っていなかったと知ることとなった。
 もともとフォルセスカは戦う気など無かったのだ。
 これほど大掛かりな咒法を使ったのは、目をくらませ、この場から逃げ切ることこそが目的だった。また剣を投げつけたことで、そう簡単に武器を手放さないだろうという先入観から、アルゼスはその場に踏み留まってしまった。
 もしかするとこの咒法がただの煙幕ではないかと思った彼に、再び逡巡を与えたという点では非常に効果的だっただろう。

「しかし潔いことだ」

 地面に落ちている剣を拾い上げながら、アルゼスは小さく笑った。
 この剣はフォルセスカがずっと大事に手入れしてきたもの。愛着もあるだろうし、何よりこれから自分の命を守るために必要なもののはずだ。それをこうも簡単に捨てて行くとは……。

「……これから何をするつもりかは知らんが、せいぜい頑張ることだ。どうせ、まともな運命ではあるまい……?」

 誰に誘われたのかは知らないが――ずいぶんな道を選択したものだと。
 それはどこか、同情にも似た響きを含んだ言葉だった。


「ふう……やれやれだ」

 寺院より遠く離れた場所まで来て、フォルセスカはようやく走るのをやめた。

「ほら。ちょいと降りて欲しいな」

 背中に向かってそう言い、その場にしゃがむと、背中に抱きついていたレダが離れる。

「……もうだいじょうぶなの?」
「さて……多分。アルゼスが少しでも友情を感じてくれているのなら、あっさりと追手を差し向けていないと思いたいが、あいつにも立場ってもんがあるからな」

 結局は安心はできないのだと。

「心配はしなくていい。ブラフト・ダーンまではちゃんと送り届けてみせるからな」

 ブラフト・ダーンは、クリセニア侯ロノスティカ・ラウンデンバークの居城である。ラウンデンバーク家は異端の血を引いているという噂のある、曰く付きの家柄である。だが確たる証拠も無く、また僧会に従順だったせいもあって、現在までは事無きを得ていた。
 レネスティアが言った良い場所とは、まさにここのことであったのである。
 仮にも相手は諸侯であるのだが、果たして本当に大丈夫なのやら……。

「そう……。わたしを信じていないの」

 まるで心を読み取ったような内容の声が、不意に耳へと届く。
 振り返れば、レネスティアの姿。

「心臓に悪いなあ……もう少し自然に姿を現して欲しいものだが」

 一体どこから現れたのやらと思うのだが、どうやら相手はまっとうな人間では無いらしく、一般常識というものは通じないらしい。
 突然現れたレネスティアにびっくりしたのか、レダはフォルセスカの後ろに隠れてしまっている。

「ほらほら。変な登場するから驚いてるぞ?」
「……そうね。別に、怖がらせるつもりはなかったのだけれど」

 確かに……レダは驚いている以上に、怯えているようにも見える。
 彼女また、レネスティアの雰囲気の異質さに、知らず気づいているのだろう。それを怖さと感じるのは、あながち間違いではない。フォルセスカですら、それを感じるのだから。

(ま、いずれ慣れるだろうが……)

 でなければ困る……ほどでもないが、いつまでも腰が引けているというのは何やら情けない気がする。態度としては、出会った時よりそんな感情をおくびにも出してはいないつもりなのだが、相手が相手だけに見抜かれていないとも限らない。

「ところで、本当に大丈夫なのかな? このままブラフト・ダーンに向かって」
「途中までで構わないわ。プラキアが来るはずだから」
「プラキア?」

 どこかで聞いたことのあるような名に、うーんと首を傾げると、それに答えたのは意外にもレダだった。

「プラキア様は、ロノスティカ様の……」
「ああ。侯爵夫人の名か」

 そういえばそうだった、と思い出す。

「ええそう……。あの子にはもう話してあるわ。あとはこの子次第……ね」
「あの子、この子、ねえ……」

 確かラウンデンバーク家は、フォルセスカの知る限り代替わりしていないはず。当主にしろその夫人にしろ、それなりの年齢のはずなのだが、レネスティアにしてみればレダと同じ子供のような感覚でものを言う台詞に、何やら感慨深いものを覚えてしまう。
 やはり只者ではないらしい。信じていないわけではないが、本当にレネスティアが悪魔と呼ばれる存在ならば、只者であったら困るような気もするが。

「まあいい。それよりもとっととここを離れた方がいいな。いきなり捕まったら俺は本物の阿呆になってしまう」
「フフ……。それはそれで見物ね……?」

 本気とも冗談ともつかぬ口調で言われ、フォルセスカは苦く笑う。

「何かいじめられている気がするなあ……。こんなんで、これからうまくやっていけるものかねえ」
「あら……。それは貴方次第ではなくて?」
「――まったくその通りさ。とは言えこの先どうなるのやらさっぱりだ」

 楽しみやら怖いやら……。
 そんなことをつぶやくフォルセスカに、それに寄り添うように歩くレネスティアを不思議そうに見比べながら。
 レダも慌ててその後を追いかけた。


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