第06話 レダ・エルネレイス

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 突然と言って良いほど何の前触れも無く、その日は来た。
 常に彼の部屋に閉じ込められていたので、彼の部屋以外に出たことは無い。それが今日初めて、外を歩くこととなったのだ。深夜にいきなり起こされたことを怒るよりも、不安が先立つ。
 夜には違いないが、それでも夜明けが近いのか、空は微かに蒼みがかっているような気がする。
 ――それでもやはり暗く、明かりも無く。
 ただ二人の足音だけが響く。
 フォルセスカの後に続く自分が酷く怯えていることに、しばらくしてからようやく気づいた。

 目覚めてからずっと、自分は外に出ることが出来なかった。
 何度も出ようとしたが、その度に失敗した。全て、青年の張った結界に阻まれたからだ。
 どうして自分を閉じ込めるのか、その理由に気づいていなかった訳ではない。彼はたまたま助けて拾ってきた幼女を、初め人の子だと勘違いしていたのだ。しかしすぐに、人間ではなく妖魔の子であると気づいた。
 だが結局彼は、そのまま少女を匿い続けた。その為に、決して彼女を外に出そうとはしなかったのだ。
 何故ならここは彼女にとって、とても危険な場所であったから。
 外に出れば命の保証は無い―――言われずとも、何となく分かっていた。
 だと言うのに、今ここを歩いている。
 だから、怯えずにはおれなかったのだ。

「ん? ――どうした?」

 服の裾を掴まれているのに気づいて、フォルセスカが振り返る。
 幼女が震えているのを見て、彼は笑う。

「これは珍しい。俺の部屋ではあんなに元気なのにな」

 おかげで生傷が絶えなかったと、愉快そうに言う。

「……どこにいくの」

 その声に、いつもの反抗的な強さは無くて。
 そう尋ねていた自分自身に、今更のように思い知らされる。
 結局頼れる者は彼しかいないこと。
 その彼を、知らぬうちに信じていたことを。

「さあな。そいつは俺にもわからない。だがまあ、お嬢ちゃんの行き先は決まっているが」
「……私を、どうするの」

 恐る恐る聞くと、青年はにやりと笑ってみせた。

「このろくでもない所から、さよならするのさ」
「にげるの……?」

 幼女の瞳が、驚いたように見開かれる。

「今日の朝からお尋ね者になるんでね。今から逃げるというわけだ」
「私の……ため………?」
「そうだ――って言えたら格好いいんだけどなあ……。けどまあ、ついでとは言いたくない……わかるかい? この俺の複雑な心境が」

 そんな晴れ晴れとした表情で言われても、いまいち納得出来るものではないのだが、それは彼女の知っているいつもの青年の様子だった。

「……いっしょに?」

 行けないことは分かっている。お嬢ちゃんの行き先は決まっている――そう彼は言ったのだ。そして自分はこれからどこに行くのか分からないとも、彼は言っている。
 だが――それでも。

「……いや」
「え……?」

 否定されて、幼女の裾を掴む手に力が入る。

「すまないが、俺は途中までしか付き合えない。何やら尋常でない仕事――まあ趣味みたいなもんだが、そいつをしないといけなくなってな」
「…………」

 フォルセスカの言葉に、幼女は愕然として言葉を失う。
 しばらくの沈黙の後、彼女はすがるような瞳で、彼を見上げた。

「私……人間のことは大きらい………。でも………」

 ――それでも。

「あなたしかいない……だから――」

 言いかけた幼女の口を、フォルセスカはそっと塞ぐ。

「それ以上は言っちゃいけないな。こいつは重大な秘密なんだが……俺は泣き落としには弱くてね……ついつい阿呆な約束をしてしまう」

 だからもう何も言うなと。

「勝手に助けて、また勝手に放り出す……無責任だとは思わないでもないんだが、この身一つじゃどうにもならん。本当に、すまないが」
「――――」

 幼女は言葉も無く、ただうつむいて。
 彼女がその場から動かなくなってから数分。

「――よし。じゃあ名前を言え」

 フォルセスカは幼女の頭をぽん、と叩くと、しゃがみこんでからそう言った。

「お前の名前、ずっと覚えていてやる……いつかまた会う――その時まで」

 いずれまた会えると暗に言って。

「……それとも俺となんか、二度と会いたくないか?」

 少し茶化す彼を、幼女はゆっくりと見上げた。
 ――未だ、フォルセスカは彼女の名を知らない。幼女が黙して明かそうとしなかったからだ。
 それを今、教えてくれと。
 それこそが、再会への鍵となるのだから。
 沈黙が続き、時が流れていく。
 二人には、決して多くの時間は残されていなかった。
 夜明けまでの、僅かな間。
 彼はその貴重な時を、目の前の幼女の為に使うことを厭わなかった。
 そうしてどれほどかの時が流れて。
 彼女は唇を解く。

「………レダ。私の名前は……レダ・エルネレイス」
「レダ、か」

 フォルセスカは笑って、レダの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。今までだとこんなことをしようものなら、絶対に噛みつかれていただろうが、今回はそんな気配すら無く。
 その時彼女に浮かんだ僅かな笑みを、フォルセスカは嬉しく見つめる。
 もしかすると存外……この娘は良い女に育つかもしれないと、ふと思った。後少しで別れなければならないのは、少々残念な気もする。

「――どこへ行く」

 不意に投げかけられた声は、決して予想外のものでは無かったが。

「行動は迅速に……。洩らしたつもりもなかったんだけどなあ」

 振り返るフォルセスカのずっと前に、佇む男の姿。
 それを見て、彼の服をぎゅっと掴み、その後ろへと隠れるレダ。
 アルゼスはそんな彼女の姿を見止めながら、口を開いた。

「その者を逃がすためだけと言うなら……大目にみることもやぶさかではないが」

 元々、アルゼスは話の分かる相手だ。彼もアトラ・ハシース内のスキャンダルなど望まないだろうから、その言葉は信じるに値したかもしれない。
 だが、目的はそれだけではないのだ。

「逃げるのは俺さ。とりあえず途中までは一緒にってことになるが」
「…………。理由がわからない。そうする、意味は?」

 それを聞いて、フォルセスカはだろうなあと頷く。

「俺自身、大した因果だと思ってるからね。そうそう余人にわかるものとも思えないんだが……。しかしどうしてわかったのかな? 俺がこうして、今日ここを去ると」
 誰かに嗅ぎ付けられる可能性は充分考慮していたが、それでも油断した覚えもないし、そういった素振りを見せたことも無かったはずだ。――何よりそれを決心したのは、ほんの先程のことなのだから。
 たまたま見かけた……というには、アルゼスの持つ剣の理由にはならないだろう。そう、彼は剣をもって、フォルセスカを阻むために、ここにあるとしか見えなかった。

「――神託だ。お前が必ず、明日の契約を前に我々を裏切ると……」
「それはそれは。まさかそんなものがあったとは驚きだ」

 意外な答えと言えば、そうだった。
 誰が神託などを下すのかは不明であるが、察しはつく。明日――いや今日の朝、拝謁を賜ることになっている、始祖の片割れ。レネスティアは姉と語った人物。
 その人物は、妹の行動――そしてフォルセスカの決断を見越して、そんな神託を下したのだろうか。

「正直私は信じてはいなかった。だがここにお前がいること……説明して欲しい」
「省きたいね。夜が明けきる前に、ここを離れたい。追手がつくことは覚悟の上だが、端からというのは面白くない」

 一人ならば何とかなるかもしれないが、生憎連れがいる。

「……私はお前を止めねばならない。そのためにここにいる」
「だろうな。しかしお前さん以外の連中がいないのはどういうことかな? 数をもってすれば、俺は抵抗する気すら失ったかもしれないぜ?」
「…………。必要なかろう」

 裏切らないと信じていたからこそ、一人でここにいたのか。
 それとも……。

「迷惑をかける」

 つぶやいて。
 フォルセスカは抜刀した。


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