第05話 禁断の誘惑

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「俺の、命だと?」
「そう……貴方の命を」

 表情を変えることなく告げる少女を見て、フォルセスカは苦く笑う。
 全くいきなり―――何ということを言ってくれるのだろうかこの少女は。

「自分で言うのも何だが、この俺の命、そう安くはないぜ?」

 意外にもあっさりと、彼女は頷いた。

「わかっているわ……だからこそ、貴方が欲しい。姉さんには渡したくない」
「……姉さん?」
「そう……姉さんよ。貴方は明朝、エクセリアと会う約束があるのではなくて?」
「―――――」

 その言葉に、ハッとなる。
 彼が会う約束をしている相手は、確かに一人、いる。
 だがそれは人ではなく、神とされている存在だ。……少なくとも、そうであると皆は信じている。
 もっとも神とは言え、その存在は公衆には知られてはいない。それは教義には無い存在であり、あくまで便宜上神と呼んでいるに過ぎないからだ。
 その正体は原初の創始とされる、根源二祖と称せられる存在。
 それは、姉妹であるという―――
 ここまでは、蔵書に頼らずとも眉唾な言い伝えとして知られている。もちろんあくまで伝説であり、確かであるという証拠はどこにも無いのであるが……。
 状況の把握と共に、フォルセスカは面白げに笑みを刻んだ。

「成程……この俺を魅入ったのは、あろうことか噂に名高い悪魔であったのか」

 悪魔――そう、悪魔だ。
 根源二祖において、便宜上神とされる者に対なるもの――それが、悪魔。
 それは過去の歴史において、魔王とされる人間を世界に放った存在として、このアトラ・ハシースでは知られている。
 もっともそれ以上のことは知られていない、その存在すら不確かなものではあるのだが。

「―――名は?」
「レネスティア」
「……良い名前だ」

 彼の賞賛に、少女は微笑する。

「それで……その悪魔とやらは、この俺の命を望むわけか。実に興味深い話だ。……詳しく聞かせてもらえるのかい?」
「ええ……。貴方には、その命を捧げてもらわなければならないわ。けれどそれは、わたしにではないのよ」
「ほう……では誰に?」
「まだ生まれてはいないわ……。これからこの世界に生まれる、死神に」
「それはまた……面白い」

 死神――その誕生の噂は、既に知る者には知られ渡っていることだった。
 神託という形でその降臨が告げられたのは今から一年ほど前に遡る。信じる者信じない者――現在では様々な呈であるが、少なくとも彼の属すアトラ・ハシースではその予言を信じるとして、この一年を行動してきた。

「その為に、姉さんではなくわたしを選んで欲しい」

 彼女が告げたその意味。
 明日の拝謁は、契約にまつわるもの。つまりレネスティアは、明日会う相手ではなく今この自分と、別の契約をしろと言っているのであろう。

(何とも妙な展開になってきたものだな)

 明日の契約は、禁咒といわれる高次の知識を得る為の、ネレアの契約であることは間違い無い。もっともそれが、具体的にどういうものであるのかは不明ではあるが。
ではこの少女が持ち掛けてきた契約とは、一体如何なものであるのか。
 彼女の存在を悪魔と信じるのならば、その契約は想像できる。人間をして異端の王にならしめる、魔王の契約をおいて他には無いだろう。
 しかし……根源二祖と謳われた存在に、両方からこのようなことを持ち掛けられるとは、果たして光栄なことなのか、それとも運が悪いのか。――どちらにせよ、得難き現実であろう。

「さて……どうしたものかな」

 フォルセスカにとって、これは久々に大いに悩むことであった。
 恐らくは、人生の岐路といっても過言でない選択になるだろう。どちらを選ぶかで、今後の人生が大きく変わるに違いない。

「俺は一応、堕ちるつもりはないんだがな」

 しばらく黙考した後、彼はそう口を開く。

「魔王と言えば、異端の王。俺と言えば、その異端を狩る側の人間だ。その俺が、いきなり百八十度立場を変えることができると思ったかい?」

 まずは、断った。
 全てが本心だったわけではない。
 相手の様子を見る意図が、勿論そこにはある。

「そう……断るの」

 言いながらも、彼女は微笑を消さなかった。
 彼女も、フォルセスカの心境を読んでいたからかもしれない。

「でも……それならばなぜ、このわたしの声に耳を傾けたのかしら?」

 彼がここまで来たのは、その声に誘われてのことだった。
 それに従ったのは、ただの興味本位というわけではない。

「それに……貴方は異端の子を匿っているでしょう」

 予想していた通りに、レネスティアはその話題に触れてきた。

「初めは人の子だと思っただけさ」

 あの幼女のことは、彼がここに来る最大の理由だったのかもしれない。人間と思ってつい助けたのだが、実際には妖魔であったことが、彼に苦労を背負い込ませることとなっている。

「家族を殺されて、酷く人間のことを恨んでいるようでね……下手に外に出すわけにもいかない。かくいう俺も、あいつが何度か暴れた時に噛まれたりしてるんだが」

 正確には三度、痛い目にあっていた。
 一度目は、彼女が初めて目覚めた時であり、それ以降は彼女が完治した後の一ヶ月の間に、二度やられている。
 とは言えこの一ヶ月は、ずいぶん大人しくはなっているのだが……。

「しかしこのままじゃあ、いずれは捕まるな。そうすりゃ火刑台送り……か。ま、それはそれで運命ってやつなんだが」
「その子の為にとは言わないわ。けれど、今までと全く逆から舞台を見るのも、また一興だと思わないかしら……?」
「同感ではあるな」

 だからこそ、ここまでレネスティアの話に耳を傾けもした。
 しかしだからと言って、容易に頷ける話ではない。

「フフ……まあ、時間は朝まであるわ。わたしはそれまで貴方を諦めない……でも、それ以上は期待もしない」

 微笑を零しながら、レネスティアは近くの台座に優雅に腰掛ける。

「長話になりそうだな。望むところだが」

 挑むように。
 彼もまたレネスティアの語る言葉に、耳を傾けた。

「ふ……何とも面白い話だ」

 一通り彼女の言葉を聞いて。
 しばらくの間、愉快そうにフォルセスカは笑った。こんなに笑ったのは、久しぶりかもしれないと思うほどに。
 そんな彼を、わずかな微笑を浮かべて見つめるレネスティア。

「……本当に面白い。そんなことが可能かどうかは知らんが、その発想は気に入ったな」
「フフ……そう?」
「ああ。大したものさ。実に俺の好奇心をくすぐってくれる」

 笑いながら、それでも彼は真剣に尋ねる。

「だがなぜ俺を選ぶ? 参考までに、聞かせてもらいたいんだが」
「さあ……それはわたしにもわからない。ただずっと人間を見続けて、貴方なら……と思ったわ。それ以上の理由が必要かしら?」
「ふむ……なるほど。つまりは俺に一目惚れしたってわけか。こいつは大した僥倖だなあ……」

 あっさりとそう言ってのけるフォルセスカへと、ほんの微かであったが、驚いたような瞳をレネスティアがみせたのを、彼は見逃さなかった。

「そんな顔もできるんだな。澄ましてばかりかと思っていたが」
「驚いたわ……。まさかわたしにそんなことを言うなんて」
「まあ物事なんて、多少は自分に都合のいいように考えないと、人間やってられないからな」
「多少?」

 くすりと笑う、レネスティア。

「多少さ。これくらいは許されると思ったが?」
「ええ……構わないわ。貴方ならば」
「こいつはまいったな……。大した殺し文句だ」

 出会ってより、さほど時間がたったわけではない。それでも彼は――このレネスティアという少女のことを気に入ってしまっていた。
 一見して氷を思わせる容貌と性格をしているにも関わらず、時折見え隠れする暖かい何か。その一瞬を見ようと努力するだけで、相当面白いではないかと思ってしまう。

「ところで、その死神の名前は……もう決めてあるのか?」

 ふと思いついて、聞いてみる。

「いいえ……まだよ。それに子の名前というものは、二人で決めるものではなくて?」
「何から何まで……光栄なことだな」
「わたしは楽しみにしているの……どういう子が生まれてくるのか」
「だろうな」
「けれど貴方にとっては……地獄かもしれないわ。それでもなお、わたしを選んでくれるのかしら……?」

 ひどく強引に誘惑しているように見えて、実際彼女は意志を押し付けなかった。こちらの意志を確認するように、一歩一歩、確実に近づいてくるような感がある。
 意外と堅実で、迂闊なことはしない性格なのかもしれない。会ったばかりの相手に、意外というのもおかしな話ではあるが。

「その分、何か応えてくれるんだろう?」
「何を応えて欲しいのかしら」
「さあてね。正直今ではよくわからん。ただまあ……強いて言うならば」

 それは、ある意味自分とは関係無いことだった。

「あいつのことだ。俺の拾ってきた、子猫のこと。何とかできるのなら、何とかして欲しいものだが……?」

 あの幼女にとっても悪い話ではないと、確かにそう言っていた。ならば答えはあるはず。

「そうね……。このままここに置いていくわけにもいかないでしょう。良い場所を知っているのだけれど、貴方はそこで納得してくれるかしら?」

 そう言って語ったのその場所に、フォルセスカは少々驚いた。

「一体どういうコネ持ってるんだかなあ……。それとも悪魔ともなると、何でもありなのか? ……まあ噂通りで、なおかつお前さんが口を利いてくれるのなら、悪い場所ではないかもしれないが」
「あの娘はきっと、将来貴方の為になるわ。大事にしておかないと、ね……」

 そう言われて、フォルセスカは肩をすくめてみせる。

「棚から牡丹餅ほどには期待できないが、本当にそうなるなら悪くはないな。酔狂もたまには役に立つってことで。だがどうしてそうなると思う?」
「そう信じているからよ。それでは駄目?」
「いや。それも悪くない」

 頷いて、フォルセスカは立ち上った。
 黎明が近い。
 そろそろ、決断しなければならないだろう。

「さて。俺の意志を、聞いてくれるかな?」

 レネスティアの前に膝を折り、その手を受け取って口付ける。

「このフォルセスカ・ゼフィリアード、謹んで貴公の贄となろうぞ」

 その誓約を。
 彼女は静かに……受け入れた。


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