第01話 第二次ロネノス異端裁定

 闇の夜空に立ち上る、赤い炎と白い煙。
 その夜、小さな村が一つ、地獄の業火に見舞われていた。

 クリセニア侯爵領・ロネノス。

 中央から離れた侯爵領の、さらに田舎に位置するこの村は、大きな街道からも外れており、普段は人の出入りがほとんどない閉鎖された社会だった。
 誰もが知らぬこの村に、火の手が上がったのはこれで二度目。
 一度目は何とか耐え凌ぐことができた。しかしこの二度目は、あまりにも大き過ぎたといえるだろう。

「……夜明けまでには方が着くか」

 その様子を見返しながら、まだ若い男は特に感慨も無くつぶやいた。

「だろうな」

 答える声も、同じように若かった。
 まだ二十歳くらいだろうか。

「浮かない顔をしているな」

 僧衣に返り血を散らした男は、隣に並んだ青年の顔を見て言う。その手に携えられた剣は、赤くぬめり、鈍く炎を照り返している。
 青年は肩をすくめたようだった。

「そりゃあな。俺たちって、本当は祈ることが仕事だろう? こういう仕事は……まあ、なんだ。気が乗らないのさ」
「そう言うな。これも聖職と思え」
「ああ。これで養ってもらっている以上、仕事はきっちりするがね」

 青年はどこか皮肉げに笑うと、隣の男と同じように手にしていた剣を鞘へと収める。

「それでもな、しかしなあと思うわけだ。こんな小さな村一つ潰して、どうなるってもんでもないだろうに」
「だが見過ごせまい? この村は、半年前の異端裁定軍を全滅させている。派遣した軍の規模が小さかったとはいえ、だ」

 このロネノスは、今を遡ること半年前に、同じような戦火を受けている。
 ロネノス異端裁定と呼ばれたそれは、小さな村に巣食う異端者どもを殲滅するために差し向けられたものだった。
 誰もがその聖務の成功を信じて疑わないほど、対象となった村は小さく、非力な存在かに見えのであるが、その結果は苦いものとして記憶されている。

「失敗は、援軍があったからだろ。証拠は無いが、侯爵の手のものだという噂もあるって聞いているが?」
「ラウンデンバーク家自体が、異端の血筋であるとされているからな」
「まあ、有名な話だ」

 頷いてから、青年はひょいっと踵を返した。

「どこへ行く? フォルセスカ」
「散歩だよ」

 フォルセスカと呼ばれた青年は、特に振り返ることなく答え、手をひらひらと振る。

「もう俺たちの出る幕はないだろ。夜明けまでには時間がある。少し、歩いてくるさ」
「……一応気をつけろ。残党が潜んでいるかもしれん」
「ああ。そうするさ」

 そんな青年の背をしばらく見送ってから、アルゼス・ラルティーヌは再び炎へと視線を戻した。
 業火に包まれた民家だったものと、時折聞こえてくる悲鳴。
 なるほど、と今さらながらに納得する。
 こんなものばかり見て、聞いていては、確かに嫌気もさすだろう。フォルセスカは根っからの聖職者というわけでもないが、軍人というわけでもないのだから。

「因果なものだ」

 誰にともなく呟いて。
 フォルセスカとは反対に、彼は炎に向かって歩き出した。

「まあ文句を言ったところでな……」

 どうにかなるものではない。
 それが分かっているからこそ、それについてまた文句が言いたくなるのだが……まあ堂々巡りというやつだろう。

「ふむ……ここはまあ、悪くないな」

 村から少し離れた森林の付近まで来て、フォルセスカはほっと一息ついた。炎の熱もここまで来れば届かず、従来の気温を感じることができる。
 しばらくはこの辺りでうろうろするか――そう思った矢先、だった。

「ん……?」

 何となく気配を感じて、彼は周囲を見回してみる。
 誰もいない――いや。

「――子供か」

 森の近くの地面に倒れ付しているものを見つけ、近寄ってみると、そこには一人の幼女がいた。
 まだ五、六歳といった頃の年齢だろうか。
 全身に血の跡があり、恐らくは彼女自身が流したものと、誰かのものとの二種類が滲んでいるのが分かる。
 見れば、ここまで這って来たような跡が、地面にずっと残っていた。
 ここまで来て力尽きたのだろう。

「討伐隊も、相変わらず容赦が無いな。まあ俺が言っても仕方の無いことだが」

 異端裁定は、常に異端の殲滅を目的としている。例え相手が女子供であろうと、そこに容赦などない。
 この幼女も、その刃の犠牲になったのだろう。
 つぶやきながら、ふと気づいて彼は目を細めた。

「……まだ息があるのか。さても……弱ったことだ」

 僅かに胸が上下していることに気づいて、その幼女がまだ生きていると分かった途端に、フォルセスカは難しい顔になる。
 ……このまま放っておけば、間違い無くいずれ息絶えるだろう。
 助けたとしても、どう見ても重傷である以上、確実に生き長らえるとも限らない。

「…………」

 何故助けようなどと思ったのかは分からないが、その可能性を考えてしまったことは確かだった。
 罪悪感などと、偽善的なことを言うつもりはない。ただ、この幼女がまだ生きようとしているのを見て、何となく手を差し伸べたくなったと言うべきか。
 それは善意と言うよりは、好奇心だったのかもしれない。
 この幼女は間違い無く異端の子だろう。それを助けるという――背信的な行為に。

「――助かりたいか?」

 フォルセスカはしゃがみ込むと、そっと呼びかけた。
 こちらの見込み違いということもある。助けるとしても、その本人に生きたいという意志が無ければ面白くもない。
 答えは無く。
 だがそれでも、ほんの僅か、その幼女の瞼が痙攣したように見えた。

「お前が俺に会ったのは……幸運かどうかは知らん。だがこれも何かの縁だろうさ。お前が生きたいのならできる限り助けてやるし、そうでないのならこのまま死ねばいい」

 声が届いているかどうかも怪しかったが、フォルセスカはゆっくりと、語りかけ続ける。

「――まだ死にたくないのなら、目を開けて俺を見ろ。もし開けれないんだったら、これ以上苦しまないように引導を渡してやる」

 問いかけに、幼女はどう思ったのだろうか。
 そんなことは分かるわけも無かったが、考えたくはなる。
 少なくとも、その幼女がうっすらと瞼を開くその時までは、そのことを考えたりもした。だが瞳を見せたことで、そんなことはどうでもよくなる。

「…………」

 ぼんやりと――しかしどこかしっかりとして、見返してくる瞳。
 言葉は無かったが、それでもそこからは生きようとする意志が感じられるような気がした。

「どうやら俺はなかなか祈る機会には恵まれないようだな。まあそれもいい。どうせ俺たちは祈ることが仕事じゃない」

 幼女の意志を確認して、フォルセスカはふっと笑う。
 苦笑を浮かべたまま、彼はその小さな身体をそっと抱きかかえ上げた。

 ――第二次ロネノス異端裁定。
 西暦にして901年のことである。


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